第36話 妻の命日
私の話だ。
その日の客先は一軒家だったのだが、通された部屋がおかしかった。
八畳ほどの和室で、入るなり線香の匂いが漂った。床の間を見ればまだ新しい仏壇に、若い女性の遺影が鎮座している。
「あの、ここでお願いしたいんですけど……」
客の男が弱々しい声で言う。
中年と呼ぶにはまだ若い男で、三十代前半だろう。細面で、一昔前に日曜朝の特撮番組でヒーローを演じていた役者の誰かに似ている。ざっくり言えば爽やか系のイケメンだ。特殊な嗜好を持っているタイプには見えなかったが、人間、見た目では判断できないものだ。
「別の部屋じゃダメなんですか。さすがにここじゃ……」と私が渋ると、
「すみません! お願いします! ここじゃなきゃダメなんです!」と、男は土下座しかねない勢いで頼み込んできた。
「あの、急に言われても困ると思うんですけど、事情を聞いてほしいんです。それを聞いてダメだったら、諦めます。何もしなくていいですし、返金しろなんて絶対言いませんので、せめて話だけでも聞かせていただけないでしょうか……」
何にせよ、時間が来れば退散する身なのだ。
無駄話で肉体労働を省けるのならその方が楽でいい。
男の話を聞くことにした。
「ええっと、どこから話そうかな……。あの、今日は妻の命日なんですよ。一周忌で。結婚したのが一昨年で、去年に交通事故で、結婚記念日が命日になっちゃって……」
要領を得ない男の話をまとめると、仏壇の遺影は彼の妻のものらしい。一昨年に結婚したばかりの新婚で、子供はいない。妻は去年に交通事故で亡くなったのだが、何の因果かその日は結婚記念日だった。つまり今日は、男の妻の一周忌兼結婚記念日というわけだった。
そんな日に、デリヘル嬢を呼んだ上にわざわざ仏壇の前でプレイするというのがわからない。それを尋ねると、
「あの、その……ちょっとお見せしたいものがあるので。少し待っていただけますか」
男は二階に行って、それから段ボール箱を抱えて降りてきた。かなり重いもののようだった。
「あの、中を見てほしいんです」
段ボールの中には本がぎっしりつまっていた。
B5サイズで凝った装丁のものが多い。しかし、A4のコピー紙をホチキス留めしただけの雑なものも混ざっている。いずれもバーコードはついていない。要するに同人誌だ。
ひとつ手に取ってみると、表紙に書かれた男の顔に妙に既視感がある。目の前の男と見比べる。実写と漫画で表現の違いはあれど、そっくりだ。
「ちょっとでいいので、中に目を通していただけると……」
言われる通り、ぱらぱらとめくってみる。
内容はいわゆるナマモノ系の同人誌だ。アニメや漫画のキャラクターではなく、実在の人間をテーマとしたもの。特撮番組のヒーローが、悪の女幹部になじられ蹂躙され、それをヒロインに見せつける……という寝取られものがほとんどだった。
「妻の遺品なんです……。だから、その、きっと供養になると思って……」
ははあ、と思った。
男には特別な嗜好はないが、妻にはあったということか。
たぶん、この男と結婚したのも推しの役者に似ているからだったのだろう。それを知ったうえで、なお死んだ妻の望みを叶えてやろうという男に、哀れみと気持ち悪さのないまぜになった感情をおぼえた。
だいたい、二次元とリアルは違う。NTR趣味はあくまでも二次元限定だったのではないか。現実で夫に浮気されたいと思う女が果たして存在するのだろうか。
結局、話は聞いたがプレイはお断りした。
仏間で男とやり取りしている間、遺影がずっとカタカタと震えていたからだ。それが死んだ女のどんな感情を示していたとしても、ろくなことにはならなかっただろう。




