第96話 じんじゃへ!
店長から聞いた話。
以前に働いていたお店で、事務所の裏手から奇妙な叫び声か聞こえてきたことがあった。ダミ声ではっきり聞き取れないのだが、こんな風に聞こえる。
じんじゃへ! じんじゃへ! じんじゃへーっ!
酔っ払いが騒いでいるのだろうと最初は気にもしなかったのだが、それが何日も続くので不審に思ってきた。待機中の女の子たちも不安を口にするようになり、いよいよ放っておけなくなった。
ビルの裏手は雑木林になっており、街灯などは存在していない。真っ暗な中では不自由なので、まずは日が昇ってから様子を見に行くことにした。
雑居ビルの谷間にあるその林は朝になっても薄暗く、腰ほどの高さもある雑草が繁茂している。しかし、音が聞こえてきたのはこの中だ。改めて目を凝らしてみると、林の奥に続く獣道のようなものがある。雑草をかき分けてみると石畳が顔を出した。どうやらもともと道があったようだ。
雑草に覆われた石畳の道を進んでいくと、一番奥にこじんまりとしたお社が姿を現した。玉砂利が敷かれていたおかげだろうか。お社の前庭だけは雑草の侵食が多少抑えられている。
しかし、お社の本体はぼろぼろで、格子戸の骨はバキボキに折れているし、全体に蔦が絡みついている。中は真っ暗で、何を祀っているのかもわからない。
「神社へ、神社へ……ってことだったのか。ちゃんとお祀りしろってことかな」
店長はわりと信心深いタチで、素直にそう解釈した。
とはいえ、他人の敷地である。自分勝手をするわけにはいかない。
とりあえずいくらかの賽銭を備え、二礼二拍手一礼で丁寧に拝んだ。
(今日のところはこれで勘弁してください。オーナーから商工組合なりに伝えてもらいますから。女の子も怖がってるので、どうか静かにしてください)
きっとこれで収まるだろう。
そう思った引き上げたその日の夜のことである。
じんじゃへ! じんじゃへ! じんじゃへーっ!
またあの叫び声が聞こえてきた。
せっかくお参りしたのに何なんだ。やはり酔っ払いが入り込んで騒いでいるだけなのだろうか。
女の子から発せられる「様子を見てきてくれ」という無言の圧力に負け、ため息をつきつつお社に向かう。林の中は想像以上に暗い。スマホのライトで照らしながら進むが、何度もつまずいて転びそうになる。
じんじゃへ! じんじゃへ! じんじゃへーっ!
その間も叫び声は聞こえ、徐々に近づいているのがわかる。
草むらを抜けて、やっとお社の前まで来て視界が開けた。
じんじゃへ! じんじゃえ! じんじゃえぇええーっ!
中年太りにランニングシャツを着た、薄毛の男。
スマホが照らす弱々しい光の円の中に映っていたのは、お社の格子戸に幼児ほどの大きさのクマのヌイグルミを押し付けて、執拗に殴りつける男の姿だった。男が拳を振るうたび、バキボキと格子の骨が折れる。
男はふと手を止めると、ゆっくりと振り返った。
Uの字に歪んだ口からはだらだらと涎が垂れ、数本の歯しか残っていない。焦点の合わない黒目がちの瞳をこちらに向けて、
じんじゃえぇぇえええぇぇええぇえええ!!
鼓膜が痛くなるほどの絶叫を上げ、クマのヌイグルミを片手に掴んでこちらに向かって全速力で駆けてきた。そして尻餅をついた店長の横を駆け抜け、
じんじゃえぇぇぇえええええぇぇええええぇええええぇぇぇ!!
という叫びを残してどこかに消えていった。
そしてその日以降、謎の叫び声が聞こえてくることはなくなったという。
「改めて思うとさ」
店長が当時を思い出して語る。
「神社へ、神社へって言ってたわけじゃなく、死んじゃえ、死んじゃえ、って叫んでたのかなあって」




