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7 清月

ふわりと掠める爽やかで涼しげな香り。

この香り…どこで嗅いだっけ。


あれから部屋に戻った私。もう一度布団に入るという気も起こらなかったため、部屋に備えつけられている小さな文机で頬杖を付いて、ぼーっとしていた。



「感心ですね。お勉強ですか?」


体を起こし、声がする方へ顔を向けると、そこには私の見知った顔があった。


「あなたは。」

「覚えていますか?」


そうだ、あの日…仕事帰りに出会った青年。

ただし、今目の前にいる彼は、服装がこの国風…というか東洋風で、長いひらひらした袖に、羽織の姿、明らかに上質な服を身に纏っている。私が出会った時は、大学生のような見た目だったはず。なんだか今は大学生というより高貴な身分の人って感じだ。服装で人って雰囲気変わるんだなぁ、なんて感心していると、青年は私の側に座った。


「へ?」

「僕のこと、覚えていますか?」


近い、綺麗な顔が近い。っていうか本当に肌がきめ細かい、瞳もキラキラしていて宝石かな?眩しい。


「覚えてます近いです覚えてます。」


慌てて早口で言いながら私は彼から距離を取ろうと後退りをした。しかし着慣れない服に足や腰が引っかかり、綺麗に仰向けに倒れた。彼はサッと私の頭の下に手を入れて、頭を支えた。


「ふう、危なかったですね。」

「アリガトウゴザイマス。」

「どうしてそんなよそよそしいんですか?昨晩お会いしたときはもっと積極的だった気がするのですが。もしかしてお身体が優れないとか?」

「いえ、そんなことは。」


私は視線を逸らす。


「あの、起き上がれるのでその手を離していただけると…。わっ。」


青年は私の頭を支える手を肩へずらし、ゆっくりと私の体を起こした。

なんだか看病されている病人みたいだ。


「どこか打ったりはしていませんか?」

「大丈夫です。」

「良かったです。」


ニコッと笑う青年。


「あの、あなたは?」


私は青年に問うと、青年はフッと笑みを浮かべた。


「ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。僕は清月(せいげつ)と申します。」


清月って、あの双子が言っていた名前だ。つまり、あの二人とこの人は顔見知りなわけか。あれちょっと待てよ、あの双子「清月様」って言ってたよね。ってことはこの人は偉い人なのかな。


「偉い人なんですか?」

「ん?どうしてそう思うんですか?」

「いや、双子…春兎と秋兎があなたのことを『清月様』と呼んでいたので。」

「ああ、なるほど。」


清月、と名乗る青年は納得していた。


「まあ、偉い人という基準が僕にはよくわからないですが、そこそこの身分かと。」


それを一般的には偉い人というのでは。

なんて心の中でツッコミを入れた。


「ところで、僕はまだあなたのお名前を聞いていなかったですよね。」

「そうでしたっけ。」

「ええ。お名前を教えていただけますか?」


清月は私の唇の横にそっと触れた。その指先はほんのりひんやりとしていた。

あまりにも自然な動作だったので、数秒経ってから顔が熱ってきた。


「なっ長月市葉(ながつきいちは)です。」

「市葉、素敵な名前ですね。市葉さんとお呼びしても?」

「お好きにどうぞ。」

「ありがとう。」


私は唇の横に触れる彼の手を両手でゆっくりと離す。彼は、おやまあ、なんていいながらふふっと笑った。何がおかしいのだろう。ああ、恥ずかしい。こんなの少女漫画でしかみたことがない。顔が熱い。


「あの、私をここに連れてきたのはあなたですか?」

「そうですね。ここにくる途中で市葉さん気を失ってしまったので。確かに慣れていないと、市葉さんの国と僕たちの国を行き来するのは体に対する負担も大きいですから。」

「えっと、どうして私をここに連れてきたんですか?」

「もしかして帰りたくなりましたか?」

「いえ、そういうわけではなくて…。」


いや、そういうわけでもあるのか。急だったから職場には何も言えてないし、失踪届とか出されているかもしれない。大事になっていないといいのだけれど。


「仕事の件もありますし、急だったから、いろんなところに迷惑をかけてそうで…。」

「ああ、それだったら問題ないですよ。うちの国の者がうまく処理してくれているはずです。そのように指示は出していますから。」


何それ。私が驚いて彼を見ると、彼は微笑んだ。


「大丈夫ですよ。心配しなくても。あと、あなたをここへ連れてきた理由は、もうすでに伝えていたはずですが…忘れてしまいましたか?」


言われたっけそんなこと。ああ、そういえば、あの夜…僕の国や僕を気に入ってくれたら花嫁に…みたいなことは言われたような気が…。


「思い出しましたか?」

「あれはご冗談では…。」

「冗談?とんでもない。僕はいつだって本気ですよ。」


ニッコリ笑う清月。


「僕はあなたを僕の花嫁にするつもりでここへ連れてきましたから。」


形の良い唇が弧を描く。


「私のどこにも花嫁になるような魅力はないと思いますが。っていうか、私そもそもあなたのことよく知らないですし、急に違う国に連れてこられて花嫁にって言われても困るっていうか、焦るっていうか、どうしたらいいかわからないっていうか。この国のことも知らないですし、さっき双子にもなんか毒を盛られるから気をつけろみたいなことも言われましたし。」


混乱して捲し立てるような早口になる。清月は穏やかな表情を浮かべたまま私の話を聞いている。そして私が一息で言い終わってゼエハアと呼吸を整えていると、清月は口を開いた。


「市葉さん、お腹空きませんか?」

「は?」

「お腹が空くと思考力が鈍るって言いますし、僕もさっきまで公務があって小腹が空いているんですよ。昼食まではまだ時間がありますし、軽く軽食でもどうですか?」

「今はそんな気分じゃ…。」


そこまで答えたところで、グゥーっとお腹がなった。そういえば、昨日の夜にファストフードを食べてから、今まで何も食べてなかった。さっき双子とジュースを飲んだだけだ。


「決まりですね。綺麗な庭園があるんですよ。そこで食べませんか?」

「庭園って兎の飾りがあっていろんな花が咲いているところですか?」

「おや?もう庭園へは行かれたのですか?」

「二人に案内してもらいました。」

「あー…先を越されてしまいましたね。あそこは僕のお気に入りの場所なんですが…。できれば僕が紹介したかったなあ。」


少し悔しそうに眉をハの字にして笑う清月。


「じゃあ、僕の部屋はどうでしょう?ここからだと少し歩きますが。」

「えっと。」

「さあ、行きましょう。立てますか。」


彼は私の手を取ってゆっくりと立たせる。私は彼に促されるまま立ち上がった。

そして私の姿を上から下までじっと見る清月。


「よく似合っていますね。とても綺麗です。」


そう微笑んだ。

似合っている、綺麗なんて言われたの何年ぶりだろう。


「おや?下を向いてどうしましたか?」

「いえ、その…言われ慣れてないことを言われたので。」

「とても綺麗ですよ。もう一度いいましょうか?」

「けっ結構です!」


私の言葉に清月はほんの少しだけいたずらっ子のような笑みを浮かべたのだった。


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