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1 疲労困憊アラサー乙女

「もう疲れちゃった。」


30代、未婚、彼氏なし。そもそも彼氏というか恋愛経験さえない。

「女で一人で生きて行けるように」「今の時代は手に職よ」との親からのありがたい教えを信じて、今の仕事を選んで約10年。見事な社畜へと変貌を遂げた私は、度重なる多忙の業務でそろそろ限界を迎えそうだ。


ふと腕時計に視線を落とせば、22時過ぎ。こんな時間になると、ギリギリスーパーに滑り込んで半額惣菜を買うか、いっそコンビニで済ませてしまうか…なんて考えながら帰路を歩く。


ふと空を見上げれば、ぼんやりと曇っていた。まさに今の私の心模様を表現するにふさわしい。どんよりと、重くて、暗くて、湿気があって、地面にめり込んでしまうような空気の重厚感。一歩一歩足を進めるのもやっとである。


「ほんと、疲れたなあ。」


なんだろう。空が霞んで見える。いや、これは空が霞んでいるんじゃなくて、私の目が霞んでいるんだ。うるうると込み上げてくる涙が、そろそろ限界だと体の内から告げてくるようで、グッと堪える。


まだ大丈夫、大丈夫だよ、と自分に言い聞かせながら、何度も瞬きをして涙を体の内側に引っ込める。それでも溢れそうになってしまうもんだから、どうしたものか。このままスーパーに入ったら不審に思われるかな。


上を向いたまま手探りで鞄の中からハンカチを探していると。


「どうぞ。」


ふわりと鼻を掠めるのは爽やかで涼しげな香り。声がした方向へ顔を向けると、青年が私へ向かってハンカチを差し伸べていた。


「へ、あ、いや、その。」


驚いて変な声しか出ない。しかも、同時にさっきまで上を向いて溢れないように溜め込んでいた涙が、重力に負けて頬をポロポロと涙を伝った。


「使ってください。」


青年は涼しげに微笑んだ。なんだろう、この人。笑顔からマイナスイオン出てる。

そして、彼はハンカチをスッと手慣れた手つきで私の手に置いた。


「いえ、大丈夫です。すみません。ほら、私、ハンカチちゃんと持ってますので!」


慌てて空いている手で鞄をゴソゴソするが、整理整頓されていないカバンの中でハンカチは迷子になっており、なかなか出てこない。その間にもポタポタと涙がこぼれ落ちてくる。


青年は、フウ、と小さく息を吐くと、私の手からさっき渡してきたハンカチを取った。そして、流れるような手つきで、そのままそのハンカチで私の涙を拭った。


「これでよく見えますよ。」


ニッコリ笑う青年。私は思わず固まってしまった。

その時私は改めてはっきりと青年の姿を見た。


清潔感のある青いシャツに、黒のパンツスタイル。ビジネスマンのような風貌だが、手にはビジネスバッグではなく、無地のトートバッグ。見たところ20代そこそこだろうか。美しく艶のある黒髪は街灯に照らされると、青く光って見える。整った顔立ちはまるで雑誌の中から出てきたようだ。…俳優さんかな?テレビなんてここ最近全然見てないから、分からないけど、これだけオーラを放っているんだ。芸能人のような気がする。


「ありがとう、ございます。」

「いえいえ、困っている女性を放っておくことはできませんから。」


穏やかに微笑む青年。立ち振る舞いや所作も紳士的だ。いや、紳士的すぎる。前言撤回。これは芸能人ではなく、これ新手の詐欺の誘いでは?だとしたらこの人には申し訳ないけど、お礼だけ言ってさっさと立ち去るが吉だ。


「もう大丈夫ですので。あ、ハンカチありがとうございました。それでは失礼します。」


ペコペコと仕事で嫌というほど慣れた動作のお辞儀をして、私は踵を返そうとした。


「あ、ちょっと待ってください。」


やっぱり詐欺か。詐欺のお誘いか。私はいつでも逃げられるように体重は進行方向にかけつつ、振り返った。


「なんでしょう。」

「この辺に、広くて大きい屋敷があるはずなんですけど知りませんか?」

「この辺ですか?」


この辺は近年土地開発が進んでいて、大きなショッピングモールや、スーパーが建っている。そんな大きい屋敷は私も見たことがない。


「知らないですね。モールやスーパーの場所ならわかりますけど。」

「そうですか。」


青年はしょんぼりと淋しそうな顔をした。


「あ、そのお屋敷の名前とか分かりますか?」

「実はわからないんです。昔の地図を頼りにきたもので。」

「昔の地図…少し見せてもらってもいいですか?」

「はい。これです。」


青年はトートバッグから古い紙を一枚取り出した。そこには、筆で書かれたような簡素な地図が書かれている。達筆すぎて読みにくいけど、所々書いてある地名は確かにこの辺りの地域の名前だ。


「これ、もしかして数100年前の地図とかじゃないですか?あ、もしかしてそういう企画か何かですか?」

「企画?いえ、本当にこの屋敷を探しにきただけで。」

「そうなんですか。」

「でも、この辺りにはないってことが分かったので、十分です。ありがとうございました。」


青年はペコっと頭を下げた。

その時、スッと風が吹いた。風はゆっくりと雲を動かし、さっきまでどんよりとしていた雲の切れ間から、月が顔を出す。


青年が月明かりに顔を照らされる。その姿は、妙に神々しかった。そして私はなぜかその青年から目が離せなかった。


「あの。」


気がつけばその青年に声をかけていた。


「もし、ご迷惑じゃなければ、その地図の屋敷があると思われる場所に行ってみませんか?多分ここからだいぶ近所だと思いますし。」


青年の表情がパッと明るくなる。


「本当ですか?」

「はい。」


そこまで言ったところで、私のお腹が激しく音を立てる。そういえば、今日晩ご飯まだだった。恥ずかしくて顔が火照る。


「えっと、その前にちょっとお腹に入れてもいいですか。お腹すいちゃって。」

「どうぞ。」


えーと、この近くは…コンビニ…スーパー、あ、そういえばそこの角を曲がったところにファストフード店があったな。確か0時まで営業してるから、今ならまだいける。私が食べる間ぼーっと待たせるわけにもいかないし、コーヒーでも注文して飲んでもらっている間に私も腹ごしらえをしよう。


「では行きましょう。こっちです。」


私は青年と一緒にファストフード店に向かうことにした。

いつの間にか雲は完全にはけていて、大きくて丸い満月が出ていた。


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