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命の重み、涙の誓い

朝の木漏れ日が、森にゆっくりと差し込んでいた。


朽ちた廃村の中、崩れた家屋が静かに佇んでいる。


その奥、ひときわ目立つボロボロの教会。


その前で、私はアーサーの手をそっと握った。


「温かい……眠ってるだけなの?」


まるで、ただ穏やかに寝ているみたい。


だけど、どこか違う気がした。


「起きて! 起きてよ!!」


声が震える。


胸の奥が、ひりひりと痛んだ。


「私を一人にしないでよ!!」


……あの頃と同じだ。


声は出ないのに、心の中で叫んでいる。


あの時と同じように。


「行かないで」って。


「ひとりにしないで」って——。


怖い。怖いよ。だって、私は……


「——こんなに、誰かに守られるなんて、考えたこともなかったの。」


そんなの、夢物語みたいで。


ずっと、一人で戦うしかないって思ってた。


そうやって、生きてきたのに。


——違った。


アーサーは、私を守ってくれた。


「……アーサー、頑張ったね。」


ポツリとこぼれた言葉と一緒に、涙が落ちた。


そっと、彼の頬に触れる。


その時、微かに——


「ミアなら、大丈夫だよ。」


——アーサーの声が聞こえた気がした。


「……えっ?」


心臓が跳ねた。


耳の奥で、まだ彼の声が響いている気がする。


でも、アーサーの唇は——動いていない。


(……今の、何?)


一瞬、世界が静まり返った。


自分の鼓動だけが、やけにうるさい。


だけど、確かに聞こえた。


そう思った瞬間——涙がこぼれた。


「こんなの……ずるいよ……っ」


震える手で、彼を抱きしめる。


その温もりが、胸の奥に突き刺さる。


彼は、こんなになるまで戦ってくれた。


私のために。


「ごめんなさい。」


風が吹いた。


どこからか、空気がざわめく音がする。


ガサッ——。


森の奥で、何かが蠢く気配がした。


「っ……」


空気が、澱んでいく。


ただの森なのに、どこか異質な何かが混じっているような……。


ここにいたら、ダメ。


このままじゃ、アーサーも、私も。


「……もう、泣いてばかりじゃいられない。」


瞳を擦る。


でも、涙は簡単には止まらなかった。


喉の奥が焼けるように熱い。


怖い。


まだ、膝が震えてる。


ここで立ち止まったら——


アーサーが命を懸けた意味がなくなる。


だから。


ぐっと奥歯を噛みしめ、震える膝を叩いて立ち上がる。


「大丈夫、アーサー……」


「今度は、私があなたを守る番よ。」


必ず、連れて帰る——!!!


そう呟いて、彼を背負った。


その重みを感じながら、私は森を歩き出した——。


ゆっくり、一歩ずつ。


呼吸を整えながら、森の奥へと進む。


だけど……思ったより、足が進まない。


「……最悪。」


足が沈む。ぬかるんだ土が、靴を重くしていく。


一歩踏み出すたびに、ぐちゃりと嫌な感触が伝わった。


それに、紅いドレスの裾が濡れて重い。


「……邪魔ね。」


持ち上げても、すぐにまとわりつく。


無視して進むしかない。


「……なんて歩きにくいのよ。」


ぐちゃぐちゃの土だけじゃない。


木の根が入り組んでいて、気を抜けば足を取られそうになる。


慎重に進もうとした、その時——


「っ……!」


細い枝が頬をかすめた。


ピリッとした痛み。


思わず手を触れると、指先にわずかに湿った感触があった。


「……もう。」


軽く息を吐いて、手を下ろす。


それでも、一歩ずつ。


重い……。


息を吸うたびに、肺がきしむ。


視界がにじむ。


ぼやけた森の緑が、揺らめくみたいに見える。


まばたきしても、霞んだまま。


土の匂いが、じわじわと染み込んでくる。


湿っぽくて、どこか懐かしい匂い。


草のざわめきが、耳の奥に優しく響く。


ふっと力が抜けた。


アーサーの重みが、じわじわと肩にのしかかる。


少しずつ、体がずり落ちてきた。


「……よいしょ。」


ぐっと背中を押し上げる。


ほんの少し。それでも、息が詰まる。


——あったかい。


背中に伝わる、小さな温もり——。


「ふふっ……こんな小さな体で、どれだけ頑張ったのよ。」


消えてしまいそうな温もりを、そっと背中で抱きしめる。


おかしいわね。


疲れてるはずなのに、少しだけ足が軽くなった。


気づけば、また歩いていた。


息を吸う。ゆっくり、肺が膨らむのを感じる。


ふと、顔を上げてみた。


お父様……。


心配してるわよね。


でも、あの人ならきっと「乗り越えろ」って言うわね。


霞んでいた視界が、ゆっくりと晴れていく。


その向こう——森の色が、変わっている。


パキン。


足元で、小枝が弾ける音。


……少し、休憩しようかしら。


立ち止まる。


途端に、膝がガクッと震えた。


「はあ、はあ……」


どのくらい歩けば、終わるの……?


アーサーは、こんな道を歩いてきたの?


——こんな、暗くて、深い森の道を。


少しだけ膝を折り、地面に片手をついた。


ふと、思う。


……私じゃ、ダメなのかな?


喉の奥に、苦い言葉が込み上げる。


でも、それを押し込めた。


「このくらいで、弱音を吐いていたら……怒られるわね。」


まるで、隣でアーサーが笑っているような気がする。


背中の重みを支えようと、腕を動かした。


その時——指先が、ドレスのポケットに触れた。


「……あっ。」


そっと取り出す。


月光のように淡く輝く、小さなペンダント。


指先でなぞると、ひんやりとして、どこか懐かしい。


「……ふふっ。」


変ね。


素直じゃなかったあの時の私。


意地悪だった彼。


……でも、楽しかったわ。


本当に、どうしてこうなったのかしらね。


指先で、そっとペンダントをなぞる。


ふと、思い出す。


「黒い髪とよく似合いそうだね。」


思わず、くすっと笑いそうになる。


……本当に、嬉しかったわ。


ペンダントを握りしめる。


ほんの少し、温かくなった気がする。


静かに息を吐いた。


そして、私はまた、一歩踏み出した。


森の木々はどこまでも続き、同じ景色が繰り返される。


まるで、私がここから抜け出すことを拒むみたいに。


出口は……まだ、先?


いや、もうすぐのはず。


そう信じて歩く。


——森の外へ。


焦る気持ちが、足を速める。


だが——


ふと、鼻をつく鉄の匂いに気づいた。


血の匂い。


「……っ。」


風が止まる。


揺れていた葉が、ぴたりと動きをやめた。


さっきまで感じていた微かな温もりが、ゆっくりと冷たく染まっていくようだった。


アーサーの傷から滲む血の匂いが、静かに広がる。


それに気づいた瞬間、胸の奥がざわついた。


嫌な予感がする。


でも、足を止めるわけにはいかない。


膝に力を込め、前へ進む。


大丈夫……まだ何も起こってない……。


落ち着け、落ち着け。


そう思うのに、心臓の音が耳の奥でやけに響く。


歩くたび、背中に何かが張り付くような気がする。


……違う。気のせいじゃない。


背後で、カサッ。


瞬間、喉がひりつく。


風……? いや——。


足が震える。硬直する。


動いて——。


歯を食いしばり、前へ出した。


だけど——聞こえる。


かすかな足音。


誰かが、いる。


「っ……」


振り向く。


何もない。


……なのに、気配がする。


背筋がざわつく。


"何か" が、こちらを見ている。


「なに……!? なんなのよ……!!」


言葉が震えた。


最悪。


これじゃ、怯えてるのが丸わかりじゃない……。


「……出てきなさいよ!!!」


張り詰めた空気の中、声が鋭く響いた。


だけど——


ぞくり。


背筋が冷たくなる。


まるで、真後ろで何かが息を潜めているような感覚。


「……っ!!」


いてもたってもいられず、足が速まる。


でも、焦りで呼吸が乱れそうになった瞬間——


「大丈夫、大丈夫だからね?」


そう言って、アーサーの顔をちらりと見た。


この腕の中にいる。


だから、守らなきゃ。


胸の奥がきゅっと縮む。


そっと背中を押し直す。


——その時。


木の葉が、ひとつ、落ちた。


小さな動き。


なのに、違和感がある。


おかしい。


なぜか、そこだけ時間がズレたみたいに見えた。


足を止める。


じわりと、視線を感じる。


「……っ。」


怖い。


でも、無視できない。


そっと目だけを向ける。


——そこ。


木々の間。


チカッ。


光が、揺れた。


「っ……!!」


息が詰まる。


目……!?


睨みつけるような、冷たい光。


狙われている。


ダメ……!! 逃げなきゃ!!


でも、アーサーが……!!


焦る。


胸の奥が、じくじくと焼けるように熱い。


でも、足が動かない。


襲ってくる……!? いや、まだ……!!


「……っ。」


拳を握る。


指先が食い込むほど、力が入る。


でも、震えは止まらない。


動け。


動け——!!!


足が重い。


疲労で、思うように動かない。


それなのに——


背中の重みだけは、容赦なくのしかかる。


「っ……は、ぁ……!」


アーサーの重さ。


ただの体重じゃない。


(命がかかってる……!!)


ここで止まれない。


止まるわけには、いかない。


それなのに、足が鈍る。


「アーサーは……こんな傷で戦ったのよ……!」


そう思った瞬間、心の奥で何かがはじけた。


(なら……私がこれくらいで音を上げるなんて、だめ……!!)


アーサーを見つめる。


「歩け……歩くの、ミア……!!!」


肩に力を込める。


アーサーの息を肌で感じながら、森を進む。


どれだけ歩けばいいの?


……本当に、出口はあるの?


足元の土が、じわじわと沈む。


歩いた距離も、時間の感覚も、ぼやけていく。


「……はぁ、はぁ……っ」


木々が続く。


景色は変わらない。


同じ場所を、ぐるぐると歩いている気がする。


進んでいるはずなのに——


(本当に、出口なんてあるの……?)


疑念が、じわりと心を蝕む。


だけど——


「ダメ……考えちゃダメ……!」


そう思いながら、足を前に出し続けた。


その時。


低く、湿った音が耳をかすめた。


——フウッ……


「っ……!!」


生温かい息が、首筋を撫でた。


すぐ近く。


狼の、荒い息づかい——。


——背筋が、粟立つ。


なに……?


嫌な感覚がする。


思わず、あたりを見回す。


……その時。


視界の端で、何かが動いた。


そして——


森の奥。


黄色い瞳が、ひとつ。


……ふたつ。


……みっつ。


じわり、じわりと増えていく。


ざりっ……。


土が、踏みしめられる音。


闇の奥から、ゆっくりと滲み出す足音。


「——っ!!!」


喉の奥で鳴る、湿った息遣い。


獣の吐息。


(……囲まれてるの……!?)


一歩、後ずさる。


冷たいものが、背筋を這う。


反射的に、アーサーの手を握った。


ぎゅっ——!!


震えてるのが、バレる。


「……っ。」


でも、離せなかった。


「っ……!!」


走らなきゃ。逃げなきゃ。


そう思った瞬間——


足がもつれた。


視界が揺れる。


「——あっ!!」


身体が、無重力みたいに浮いた。


次の瞬間——


地面が、叩きつけてきた。


ドサッ!!!!


「アーサー!!!」


アーサーの身体が、もろく崩れる。


土に沈む。


肩口から、赤がにじんだ。


じわじわと、土が濡れる。


(やだ……ダメ!!)


目の前で、狼たちの影が蠢く。


ギラリ——。


牙が、ちらりと光った。


喉の奥から、低い唸り声。


一歩、また一歩——


土を抉る爪。


口の端から、粘つく唾が滴る。


「っ……!!」


喉が凍る。


それでも、動かなきゃ。


手を伸ばす。


指先が、冷たい石を掴んだ。


「こっちよ!!」


膝に力を込め、立ち上がる。


アーサーの前に、庇うように立った。


ガサッ!!


一匹の狼が、飛びかかってくる——!!


「きゃっ……!!!」


ガブッ!!!!


「っ……ぐ、ぁ……!!」


鋭い牙が、足に突き刺さる。


熱い。


痛い!!


「……やだ……!!」


震える手で、石を握りしめる。


「いや、いや……!!!」


ゴッ!!!!


「離して!!!」


何度も、何度も叩く。


それでも——離れない。


「やだ……やだやだやだ!!!」


ドレスが引き裂かれる。


千切れる布の音。


「やめて!! いやぁぁあああっ!!!」


喉が張り裂けそうに叫ぶ。


涙が、滲む。


狼が唸る。


まだ噛んでる。


離さない。


「いやだああああ!!! 離してええええ!!!」


もう、石を持つ手も震えてる。


「いや……っ、やだ、やだ……!!」


怖い、痛い、痛い、怖い!!!


「ア……アーサぁ……!!!」


声にならない嗚咽が、喉を塞ぐ。


もう、ダメ——


——その時。


シュンッ!!!!


何かが、空気を裂いた。


ゴシュッッ!!!!


——ドクン。


音が、遅れて届く。


何かが起こった。


でも——何が?


「……っ!!?」


恐る恐る、目を開ける。


狼が、のたうっていた。


喉元に、鋭い土の槍が突き刺さっている。


(なに……? 何が……!?)


手足が震える。


思考が追いつかない。


足元が、ふっと軽くなった。


狼が、もう動かない。


私の足が——自由になった。


恐る恐る振り向く。


そこには——


アーサー。


彼は、まだ眠っていた。


けれど、その手が、微かに震えている。


指先から、茶色の魔力が滲み、土へと溶けていく。


(……アーサーが……?)


眠ったままの彼が、私を——


「守ってくれたんだ……。」


喉が詰まる。


涙が、溢れる。


「アーサー……っ!!!」


彼は、意識がない。動かない。


なのに、


「なんで……なんでこんな……!!」


震える声が、喉の奥から漏れる。


「ここまでしなくたって……よかったのに……!!」


唇を噛む。


「なんで……なんで……!!」


涙が止まらない。


そして——その一瞬。


口をついて、言葉がこぼれた。


「……私なんか……」


(——あ。)


「私なんか……見捨てればよかったのに!!!」


言った瞬間、胸がギュッと締めつけられた。


喉が焼けるように痛い。


違う。違う。


「……やだ……!!」


「そんなの、いや……!!!」


涙が止まらない。


震える手で、アーサーの体にしがみつく。


「……お願い……!!」


「アーサー……っ!!」


ごめんなさい。ごめんなさい。


違うの、本当は……


本当は、


「……ありがとう……っ!!!」


声が震えた。


涙で視界が滲む。


それでも、私は——


前を向く。


アーサーは、私を守ってくれた。


なら、今度は——


「……っ……絶対に……!!」


拳を握る。


震える指に、力を込める。


「絶対に、アーサーを助ける!!」


この手で——


この力で——


必ず!!!

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