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眠リノ森

森を歩く。どれほど進んだか、時間の感覚がない。


頭上を見上げても、木々がぎっしりと枝を絡ませ、空を覆い隠している。


日の光はほとんど差し込まず、森の奥は常に薄暗かった。


(……もう半日くらい経ったか?)


そんな気がするけれど、確信はない。


まるで森そのものが巨大な獣の口の中みたいだ。


足元には泥濘が広がり、じっとりと靴にまとわりつく。


――足跡。


浅く、乱れた靴跡が続いている。まだ新しい。奴らのものだ。


……わかりやすいな。


泥が柔らかかったおかげだろう。


雨でも降ったのか、踏み締めるたびに水分を含んだ土がぬるりと沈む。


この先に何があるのかはわからない。


どこに続いているのかも、何が待ち構えているのかも――。


それでも、進むしかない。


僕は奥歯を噛みしめ、歩を進めた。


森は不気味なほど静かだった。


鳥のさえずりも、虫の羽音すらもしない。


ただ、風に揺れる葉の擦れる音だけが耳に残る。


「……ふぅ。」


息を吐く。


不思議と、足の重さが消えかけている。


理由は分からないが、確かに体が軽くなっていく――。


けれど、違和感があった。


――眠い。


さっきまで極限の疲労と焦燥で、まぶたが重くなるなんてなかったはずなのに。


森に入ってから、急に眠気が襲ってきた。


(……おかしい)


まるで、何かに引きずり込まれるような感覚。


これはただの疲れか?


それとも、森の中に漂う"何か"のせいなのか――。


魔力がもうほとんど残っていないのがわかる。


指先に力を込めてみる。


ほんのわずかに魔力が巡る気配はある。


「くそ……頼む、もう少し持ってくれ……。」


拳を握る。


まだ倒れるわけにはいかない。


一歩、また一歩と、僕は奥へと進んでいく。


森の奥を進んでいると、不意に視界が開けた。


木々の合間に、ぼんやりと浮かび上がる影。


(……あれは?)


目を凝らす。


崩れかけた屋根、ひび割れた壁、ところどころ朽ち果てた外壁。


――教会だ。


長い間、誰にも使われていないのがわかる。


その周囲には、いくつかの古びた家々が点在していた。


どれも屋根が崩れ、壁は苔むしている。


人が住める状態じゃない。


(……ここは、元々村だったのか?)


森に飲み込まれた廃村。


理由はわからない。でも、今はそんなことを考えている暇はない。


僕は地面に目を落とす。


泥の上に、複数の靴跡が続いていた。


教会の扉へと向かっている。


(……間違いない。あそこに、ミアがいるはずだ。)


ギリッ、と歯を食いしばる。


行くべきか——いや、違う。


もしミアを人質に取られたら……?


くそ、落ち着け……考えろ。


今、飛び込むのは正解なのか……?


下手に動けば、ミアを危険に晒す。


まずは、様子を見るべきだ。


僕はゆっくりと身をかがめ、音を立てないように教会の窓に近づいた。


薄汚れた窓ガラスに手をかけ、そっと覗き込もうとした瞬間――


窓に映った男がいた。


——泥まみれの、みすぼらしい子供が。


服は破れ、擦り切れ、あちこちに傷跡が残っている。


腕には擦り傷。血が滲んでいる。


全身ボロボロ。


「……っは。」


思わず、笑いが漏れた。


(なんだよ、これ……)


冗談みたいだ。


泥と血にまみれた自分の姿。


必死になって走って、傷だらけになって、それでもここまで来た。


……ここまで、何回転んだっけな。


(……笑っちゃうな。)


でも、こんなのどうでもいい。


ミアを助けられれば、それでいい。


僕は深く息を吸い、もう一度、窓の向こうを覗き込んだ。


窓にそっと耳を寄せると、中から低い声が聞こえてきた。


「マジだりぃ〜、なんでこんなトコまで来なきゃなんねーんだよ?」


「決まってるだろ。ここで待てって話だ。」


「マジかよ……本当に来んのか?」


軽い口調。適当な態度のくせに、どこか下卑た響きがある。


「ああ。ここで引き渡すことになってる。」


落ち着いた声。淡々としていて、感情の起伏がない。


まるでただの仕事として処理しているようだった。


「いや〜、楽な仕事っしょ? こんなんで金もらえるとか、マジ美味しくね?」


「村から全ての馬車をなくすのが、面倒だったがな。」


「貴族様のガキってのは、泣かせると面白ぇんだよなぁ」


「金さえ貰えればどうでもいい。」


冷静な男が、興味なさそうに言い捨てる。


「いやー、オモチャってのは、壊れるまで使い倒される運命よなぁ。」


その言葉に、別の男が下卑た笑いを漏らした。


「おーい、そこのデカブツ!ヒマなら外でも見てろよ〜」


「はあ?てめえが行けよ。」


ドスン、と鈍い音が響く。豪快な声が不機嫌そうに返した。


「おーい、油断すんなよ? なんかしつこそうなガキだったろ?」


「知らねえよ。」


「へっ、お前、ガキが一番好きなんだろ?」


「チッ……殺せるならいいか。」


ずっしりとした足音が響く。どうやら、その「デカい男」が外へ出ていったらしい。


「しっかし、遅ぇよなぁ……なぁ、嬢ちゃんと楽しんどく?」


軽い調子で言ったのは、さっきのチャラついた男。


「……ダメだと言っただろ。どうなっても知らんぞ。」


冷静な男が呆れたように答える。


「知らねーよ。もうガマンできねぇって!」


「……勝手にしろ。」


その瞬間、血の気が引いた。


……やめろ。やめろ。やめろ。


心臓が跳ね上がる。


——ミアが危ない。


僕はそっと窓から覗き込んだ。


薄汚れたガラスの向こうに、奥へと歩いていく男の姿が見えた。


(ちっ、下衆が。)


全身がカッと熱くなる。


ミアがまずい。


ためらってる時間はない。


ここまで必死に走ってきた。


ここで止まるわけにはいかない。


(……行くぞ!!)


息を、止める。


一瞬、世界が静止した——。


一気に窓枠に手をかけ、跳躍する!!!


——ガラスの冷たい感触が、一瞬だけ指先に伝わる。


次の瞬間——


バリィィィィン!!!!!!!


破片が夜の闇に飛び散る!!!


『——は?』


一瞬、敵の動きが止まる。


飛び散るガラスの破片。


そして——『誰だ!?』


驚愕の声が響いた!!!


その瞬間、ためらいなく魔力を解放した。


「テレキネシス!!」


見えない力が男の体を捉えた。


「ぐわっ――!!」


衝撃音とともに、男の体が壁へと叩きつけられる。


鈍い音が教会内に響く。


「っ……!」


目の前がぐにゃりと歪んだ。


頭がふらつく。


まぶたがじわりと重くなる。


まるで全身が深い霧の中に沈み込むような感覚。


(……やばい、眠気が……)


それでも、歯を食いしばって立つ。


「……今は、寝てる場合じゃないだろ……っ!」


脳に渦巻く眠気を振り払うように、拳を握りしめた。


意識がぼやける。足が重い。


でも、今止まったら——


ミアが……!!


「……くそっ!!」


胸が締めつけられる。


踏ん張れ、行け!!


奥歯を噛みしめ、床を蹴った。


視界が揺れる。足がもつれそうになる。


それでも止まらない。


扉の向こうに……!!


いそげ!!!


「おいおい、今の音、ヤバくね?」


教会の奥から、慌てた声が聞こえた。


「……って、まーいいや。どうせ片付けるっしょ?」


余裕を崩さない、若い男の声。


「へっへっ、興奮してきたわ。」


下卑た笑い声。


ぞわり、と嫌な寒気が背中を走る。


(……くそったれが。)


目を向けると、ドアの前に男が立っていた。


今にも中に入ろうとしている。


一瞬の判断。


考えるよりも先に、体が動いた。


「――吹き飛べ!!!」


魔力を叩きつける。


「なっ――!?」


ダンッ!!!


轟音とともに、男の体が壁に叩きつけられた。


教会全体が軋むほどの衝撃。


床に崩れ落ちた男は、呻きながら動かない。


「……っ……はぁ、はぁ……」


その瞬間、膝がガクッと崩れた。


「……くそっ……」


全身の力が抜ける。


視界が揺れ、頭がぐらりと傾ぐ。


(まずい……また、眠気が……)


手をついた床が、やけに冷たい。


目を閉じたら、そのまま意識が沈みそうだ。


(……くそ……テレキネシスは……ダメだ……)


(今の僕には……負担がデカすぎる……)


吐く息が震える。


それでも、奥歯を噛みしめて拳を握った。


「……お前みたいなやつは、絶対許さない!!」


かすれる声で吐き捨てる。


息が荒くなる。


でも――


まだ終わりじゃない。


まだ、ミアを助けてない――!!


僕は迷わず、ドアへと手を伸ばした。


ギィ……と、鈍い音を立てながら、扉が開く。


くっ!!


息を飲んだ。


そこには、床に倒れたミアの姿があった。


頭から荒い布をかぶせられ、小さな体がかすかに揺れている。


まるで、ただの物のように転がされているみたいに。


「くそっ……!!」


奥歯を噛みしめ、思わず床を踏み鳴らした。


ミア……!!


僕は駆け寄る。


乱暴に縛られた手首。かすかに動く肩。


息は……ある。


でも、その小さな体はあまりに力なくて、今にも消えそうだった。


僕はすぐに手の縄をほどいた。


ガサッ……と布を取り払う。


荒い息。青ざめた頬。


「……ミア。」


震える声で呼ぶ。


そっと頬に手を当てると、ひんやりと冷たかった。


「ミア、ミア!」


願うように名前を呼ぶ。


その瞬間、ミアのまぶたがかすかに動いた。


「……ごめんね、待たせちゃって。」


僕は、できる限りの笑顔を作った。


ミアの瞳が揺れる。


「……あっ、あ……う……」


何かを言おうとするのに、言葉にならない。


「……どうして……どうしてここに……っ!」


涙があふれる。


僕は、優しく微笑んだ。


「見つけたよ。」


そう言った瞬間――


「——あっ……」


ミアの涙が、ぽろぽろとこぼれた。


「……ひっ……」


肩が震える。全身が震えている。


僕は、そっと手を差し伸べた。


ミアの指が、ゆっくりと僕の手に触れる。


冷たい。氷みたいだ。


(こんなに震えて……どれだけ怖かったんだ……!!)


僕は、強くその手を握った。


「ミア。」


そう呼ぶと、ミアは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、何度も頷いた。


「ありがとう……ありがとう……っ……」


声が震えている。


僕はそっと、ミアの頬に手を当て、流れる涙を拭った。


「もう泣かないで、ミア。」


どこまでも優しく、そして決意を込めて――。


ミアは涙に濡れた紅い瞳で僕を見上げた。


「……うん。」


小さく頷く。


まだ不安は残っているはずだ。


それでも、僕の言葉を信じようとしてくれている。


「さあ、急いでここから逃げよう。」


そう言って手を引こうとした瞬間、ミアが戸惑いの表情を見せた。


「で、でも……男たちが!!」


「倒したから大丈夫だよ。」


「えっ!?あなたが?」


驚いたように、目を見開くミア。


「まだ、一人だけ外にいるけどね。」


さらっと言うと、ミアの顔がさらに不安げになる。


「で…でも…」


彼女の手が、かすかに震えた。


僕はふっと笑って振り向いた。


「ミアは必ず守るから。」


その言葉に、ミアの瞳が揺れる。


「アーサー……」


かすれた声で、そっと僕の名前を呼んだ。


「初めて名前で呼んでくれたね。」


思わず口元が緩んだ。


すると――


「も、もう!うるさい!!」


ミアが顔を赤くしてぷいっとそっぽを向く。


僕は思わず吹き出した。


「ははっ。」


……うん、大丈夫だ。


「行くよ!!」


僕はミアの手をしっかり握り、外へ向かって駆け出した――!!


ギィ……バタン!!


教会の扉を押し開き、深い森の空気が肌にまとわりつく。


「おいおい、ガキども。そんなに急いでどこに行くんだ?」


低く響く声。


振り向くと、教会の入口に立っていたのは 身長二メートルを超える大男 だった。


「中の奴らはどうし――」


「喋るな。」


風が爆ぜた。


一瞬で、男の巨体が宙に浮く。


「う、うぎゃ――!」


ドガンッ!!


民家の壁に、叩きつける。


衝撃で、木壁がバキバキと軋む。


そのまま、男は崩れるように倒れた。


「……邪魔だ。」


低く呟くと、後ろから震える声がした。


「ア……アーサー……。」


振り返ると、ミアが不安そうに僕を見ていた。


さっきまで泣いていた瞳。


けど今は――怯えが混じってる。


「大丈夫。」


そう言いながら、そっと手を握る。


……くそ、また眠くなってきた……


ぼんやりする頭を振って、意識を保つ。


でも、確かに魔力は……回復してる?


……そうか……修行の時はこんなに眠くならなかった……


今はほぼ魔力ゼロ……だからか? それに、魔法を使うたび眠気が増してる……


じわりと指先が痺れる。


……初級魔法くらいなら、まだ……


拳をぎゅっと握る。


(……やれる、まだ……!)


ビリビリと肌を刺す、異様な気配。


「!?」


——次の瞬間、"それ"が空気を裂いた。


ビュンッ!!


——闇の槍が一直線に迫る。


「ミア!!」


反射的に腕を引く。


「きゃっ!」


間一髪、身体を引いた瞬間、槍は背後の教会へと突き刺さる。


ドガァン!!


扉が粉々に砕け、破片が飛び散った。


「今ので仕留めたつもりだったんだけどよ。」


低く、乾いた声が響く。


森の奥、闇の中から何かがゆっくりと歩み出る。


「闇魔法……?」


ミアが震える声で呟く。


「誰だ!!」


僕は叫んだ。


影が蠢く。"それ"は、音もなく歩みを進めた。


——まるで、"人の形をした何か"のように。


「お前は……!?」


「あなたは……!?」


闇と光の狭間で、時間が止まる。


風も、葉のざわめきも、すべてが凍りついたように——静寂が降りた。


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