ソフィーの決意と炎の魔女
昼前の澄んだ空気が広がる庭。
私とあの女は、静かに向かい合っていた。
木剣を握る手に、自然と力がこもる。
(ここで引いたら負ける……!)
深呼吸しても、速くなる鼓動は止められない。
カトリーヌは、肩を軽く回してのび~っと伸びをする。余裕たっぷり、飄々とした態度。
(くっそ、この余裕ぶった感じがムカつく……!)
「ふーん、気合十分ってとこ? いいねぇ、そういうの嫌いじゃねえよ?」
ニヤリと笑うカトリーヌ。カチンとくる。
「余裕ぶっていられるのも今のうちよ!」
自然と声が鋭くなる。でも、それだけじゃ足りない。もっと強く、もっと――!
カトリーヌが一歩前へ。手のひらをひらひらと動かしながら言う。
「ま、肩の力抜きなって。力みすぎると疲れるぜ? 坊や。」
「坊やじゃない!!」
怒りで顔が熱くなる。ぐっと踏み込んで、木剣を構え直す。
(この挑発、ほんとにムカつく……!!)
カトリーヌは笑いながら肩をすくめる。
「おっと、悪かったな? お嬢ちゃん?」
「何ですって?」
拳を握る手に、さらに力が入る。挑発には負けない――!
「ま、怪我しない程度に相手してやるよ?」
「言ってくれるじゃない!」
視線を鋭く投げる。カトリーヌは動じるどころか、ますます楽しそうに笑った。
「そうそう、その目だよ。つまんない試合はごめんだからな。」
「つまらない? じゃあ、存分に楽しませてあげる!」
叫びと同時に、足にグッと力を込める。
地面を踏みしめた音が響き、空気が張り詰めた――その瞬間。
「……どちらも、もう少し静かにしていただきたいものです。」
背後から、カレンの冷静な声。
私たちを見つめながら、大きくため息をついた。
「はぁ……いいでしょう。試合開始!」
「ソフィー様、負けないでください!」
レナの声が響く。
振り返る余裕はない。でも、その無邪気な応援が、ほんの少し肩の力を抜いてくれた。
(よし――行くわよ!)
カトリーヌが手を広げた瞬間、私は地を蹴った。
庭の静寂を切り裂くように、一直線に駆ける。
風を切る木剣の音。
目の前の敵――侮らせるわけにはいかない!
(絶対に、この剣を当ててみせる!)
一気に間合いを詰め、鋭く振り下ろす。
だけど――。
「おっと、ずいぶんご機嫌な剣だねぇ。」
ひらり。
カトリーヌは軽やかに後ろへ下がり、簡単にかわしてしまった。
(この人……まさか遊んでるつもり!?)
ムカつく。なら――もっと速く、もっと強く!
全力で剣を振るう。
一撃、二撃、三撃――畳みかけるように連続攻撃!
「ソフィー様、それ! 行けます!」
レナの声が背中を押す。
(ありがとう、レナ……! 私、絶対に負けない!)
剣先がカトリーヌの肩に届く――!
そう思った瞬間。
カトリーヌがニヤリと笑い、木剣をほんの少し傾けた。
カンッ!
「くっ……!」
簡単に弾かれた。
バランスを崩し、一歩後退する。
歯を食いしばる。くやしい。
「ほら、言っただろ? 落ち着けよ。その剣が可哀想だぜ?」
カトリーヌは余裕の笑みを浮かべ、片手を腰に当てて見下ろしてくる。
(焦るな……まだ終わりじゃない!)
剣を握り直し、体勢を整える。
「ソフィー様、大丈夫です! まだ行けます!」
レナの声が、再び力をくれる。
(そうよ、大丈夫。私はまだやれる――!)
呼吸を整え、構え直す。
カトリーヌはニヤッと笑った。
「まだやれるだろ? その程度で終わりじゃないよな?」
「当たり前でしょ!」
即座に返す。そして、再び間合いを詰め――。
その瞬間。
カトリーヌが消えた。
――いや、違う。
驚くほどの速さで、懐に飛び込んできた――!
(な、何……!?)
肩越しに、ふわりと掴まれる感触。
次の瞬間――体が宙に浮いた。
(えっ!?)
視界がぐるりと回る。投げられる――!
必死に体をひねり、どうにか地面に着地。
「……やるじゃない。」
息を整え、平静を装って微笑む。
カトリーヌは腕を組み、少し驚いたように目を細めた。
「ほぉ、この嬢ちゃん、なかなかやるねぇ。」
胸の奥で、小さな喜びが芽生える。
でも――表には出さない。
「まだまだ……これからよ。」
剣を構え直し、一気に踏み込む。
しかし――。
カトリーヌは、ひらり、ひらりとかわす。
まるで遊んでいるみたいに。
剣筋が風を切る音だけが、むなしく響く。
(なんで――どうして当たらないの!?)
焦る。
攻撃を重ねるたびに、苛立ちが募る。
「おいおい、そんなにカッカするなよ?」
カトリーヌが軽く笑う。
「戦いってのは、もっと肩の力を抜くもんだぜ?」
その言葉が、耳に刺さる。
(肩の力を抜け、ですって……!?)
そんな余裕、どこにもないのに!
呼吸が荒くなる。
でも――止まれない!
剣を振る。地を蹴る。
砂埃が舞い、体力が削られていく。
それでも。
私の目から、闘志の炎が消えることはなかった――!
剣を振るたび、腕に響く振動。
全身を駆け巡る緊張。
(この攻撃で、決める――!)
木剣を握り直し、一気に間合いを詰める。
だけど――その瞬間。
「じゃあさ、少しだけ魔法を混ぜてみようか。」
カトリーヌの軽い声が響いた。
「えっ!? 魔法使うの!?」
指先に、小さな炎。
なに……それ……?
鮮やかなオレンジが視界を染める。
直感が警鐘を鳴らした。
指を振ると、火の蝶のような光がふわりと舞い、私の足元へ。
(蝶……違う、ただの火じゃない!)
とっさに一歩下がる。
木剣を振るうけど、蝶はふわりと舞い、ひらりと躱す。
「おっと、そんなに驚くなよ。ただの挨拶さ。」
カトリーヌの挑発。
その余裕に、胸の奥がざわつく。
(挨拶……? ふざけないで!)
剣を振り上げ、火の蝶を叩き斬る――
だけど。
蝶は、触れる直前に消えた。
(なっ……!)
思わず肩が跳ねる。
剣の振りが、わずかに鈍る。
(私の剣が……こんな小細工に惑わされるなんて……!)
息を整え、再び構える。
「そんな小細工に負けると思う?」
自分を奮い立たせるように声を張る。
でも、火の蝶が剣筋を横切るたび、動きが鈍る。
小さな動揺が、剣の軌道を狂わせる――
カトリーヌは余裕の笑みを浮かべ、私をじっと観察していた。
「剣を握ってるのはお前だろ? なら、もっと大事にしてやれよ。」
指を軽く振ると、火の蝶がふわり。
私の周囲を囲むように舞う。
(この蝶……ムカつく……!)
「くっ……!」
悔しさを噛み締め、歯を食いしばる。
剣を振る。
けど、カトリーヌの動きは蝶と連動しているみたいに軽やかで――
私の攻撃は、すべていなされる。
「まあまあ、そんなに熱くなんなよ。」
挑発的な声。
でも――その目に、一瞬だけ宿った真剣さ。
遊びじゃない。
カトリーヌは、本気で私を見ている――
剣を振るたびに汗が滲む。
呼吸が乱れ、腕も重くなってきた。
それでも――負けるわけにはいかない!
火の蝶の幻影に翻弄されながらも、少しずつカトリーヌとの距離を詰める。
疲労が押し寄せる。全身が悲鳴を上げる。
けれど、私の目から闘志の炎が消えることはない。
世界の音が遠のく。
鳥のさえずりも、木々のざわめきも消えたように感じる。
観客の視線が刺さる。息を呑む気配が伝わってくる。
(今は、ただ目の前の敵だけ――!)
剣を握る手がわずかに震えた。
でも、大丈夫。気持ちは折れていない。
風が髪を撫でる。
木漏れ日が剣先をかすかに照らす。
「……フン、驚く準備はできてる?」
「な、何!?」
「見せてあげるわ――私の“必殺技”!」
私は足を踏み込む。
この一撃で……すべてを――!
砂埃が舞い上がり、渦を巻く。
体中の力が剣へと集まり、熱く燃え上がるような感覚が走る。
(これで決める――!!)
全身全霊の叫びが、庭に響き渡った。
「くらえぇぇ!! ベルベット・テンペストォォォ!!!」
剣を振り抜く。
風を裂く衝撃。全身の力を込めた、渾身の一撃。
これで、すべてを覆せる――!
そう、確信した瞬間だった。
「えっ、何それ!?」
……アーサーの声?
振り返ると、弟が腹を抱えて、地面を転げ回っていた。
「かっこよすぎるっていうか……絶対考えたでしょ!? ははっ……やばいって、もう!!」
えっ。
何それって何よ!! 私、真剣なのに!!
「やめてよ、そういう反応……!!」
叫んだけど、すでに手が震えているのが分かる。
視線を向けると、クリスまで口元を押さえて肩を震わせていた。
「アーサー、やめろ……姉さんが……ふふっ。」
何その笑い方!? もう、なんなの!?
母までハンカチで口元を押さえ、肩を揺らしている。
「ソフィーったら……頑張って考えたのね……うふふ。」
「頑張って考えた」じゃない!! これは真剣勝負なんだから!!!
父は視線をそらしながら苦笑いしていた。
「まあ、独特だな……。」
やめて!! 微妙なコメントやめて!!!
追い打ちをかけるように、レナが手を叩いて笑い転げる。
「あははっ! ソフィー様、それ最高です! 本当に!!」
「もうやめてってば!!」
涙目で叫ぶ。
だが――最後のトドメが刺される。
冷静沈着なカレンが、ふっと微笑み、静かに言った。
「クスッ……その技名、まさか一晩中ご自室で鏡に向かって練習されていたのでは?」
「言わないでえええええ!!!」
全身の血が一気に頭にのぼる。
顔が熱い。絶対真っ赤になってる。
庭中に笑い声が響く。
それでも――私は剣を握る手に力を込めた。
(みんな笑ってる……でも、そんなの気にしてられない!!)
大きく息を吸い込む。
乱れた呼吸を整え、気持ちを立て直す。
――まだ終わりじゃない。
剣を振りかぶった瞬間、体の奥底で何かが燃え上がるのを感じた。
技名なんて関係ない。
この一撃に、私のすべてを込める――!
渦巻くような剣筋が、空を裂く。
頂点まで振り上げた刃を、一気に振り下ろした。
ズバァッ!!
剣圧が風を巻き込み、庭全体を揺らす。
観客たちが息を呑む。
でも、私は見ない。
目の前の敵しか見えない――!
だけど。
「ははっ……やばい、ちょっと、これ反則級だって……ふふふっ!!」
カトリーヌは、大笑いしていた。
(……何!?)
「って、ちょっと待った!」
彼女の動きが、ほんの一瞬遅れる。
その一瞬――私の剣先が、カトリーヌの胸元をかすめた。
「おっとっと、ちょっとヤバい!」
かすかな手応え。
だが、次の瞬間。
カトリーヌの周囲に、薄く光る魔法障壁がふわりと浮かび上がった。
私の剣が、それに弾かれる。
「ふぅ……一瞬ヒヤッとしたけど、いい一撃だわ。」
カトリーヌは木剣を片手で弾き飛ばし、余裕たっぷりに笑っている。
「お疲れさん、なかなかやるじゃねえか。でも、まだまだこれからだな。」
負けた――
頭では分かっている。
けれど、悔しさで手が震える。
その時。
庭の端で控えていたカレンが、静かに一歩前に出た。
「ここまでです。お二人とも、素晴らしい戦いでした。」
落ち着いた声が響く。
カレンが深く頭を下げると、周囲の緊張感がふっと解けた。
でも。
私の中の悔しさは、解けない――!
(ダメだ……こんなところで終わりじゃ足りない! もっと……もっと!!)
歯を食いしばる。
拳を、ぎゅっと握りしめる。
剣を振り抜いた手が、まだ震えている。
いや――違う。
震えているんじゃない。
何かが、湧き上がってくる――!!
視界が、霞む。
……いや、違う。
世界の色が、一瞬だけ変わった。
次の瞬間。
私の瞳が、青く輝いた。
ぞわっ……と、空気が震える。
庭が静けさを取り戻す中――
私の心だけが、燃え続けていた。




