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神々と王  作者: 聯珠
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前編

あらすじにも記載しました通り、死亡描写がございます。ご注意下さい。

 長椅子に座っていた娘は、刺繍をする手を止めて、ふと窓の外を見た。

 格子の向こうに、鮮やかな夕焼け空が広がっている。それはいつもと変わらぬ光景だった。玻璃の如く照り映える紺青の鱗雲を暫く眺めた後、彼女は立ち上がって部屋を出た。

 臙脂の光の射し込む回廊は静まり返っている。

 塔へと続く螺旋階段を登り、屋上に出るとそこには先客がいた。

「ラクスヴェル」

 天を見上げていた青年の背に娘は呼びかける。淡い金色の髪を持つ青年は振り返らずに「妙な風が吹いている」と言った。

「北の方からだ」

「ええ」

 娘は青年の隣に並び、同じ方角を見る。そこは血のように凝縮した朱を帯びていた。

「――何か良くないことが起こった」


――ローゼンクロイツ首都ヴァイスローゼ。

 北面から東面を消炭色の岩峰に、西面を急峻な斜面に囲まれた白亜の城。その北側には峰が連なり、烽火台があった。その日はよく晴れており、見張りの兵士達はいつものように軽口を叩き合いながらパイプを吹かしていた。

 見張りと言っても、日が高いうちは特にすることがなく、兵士達が駆り出されるのは主に夜だった。

 日が沈むにつれ、魔物の動きは活発になる。彼らの仕事は城を防御し、魔物を撃退することだったが、この頃は以前よりも襲来が増え、駆り出されることが多くなっていた。そして、その原因が魔女の仕業にあると、彼らは信じて疑わなかった。

 会話が進むにつれ、近頃抱いた女の話になった。やれ、金髪の娼婦の胸の形だの酒場の女のくびれだの、猥雑な話題でその場は盛り上がる。その時、ふいにとある一人の男が言った。

「そういえば、あれは中々良かったな」

「あれ?」

「異邦人の魔女がいただろう」

 一瞬、その場が静まり返る。

「……まあ、悪くはなかった」

 微妙な空気を振り払うように、一人が言った。別の男が同調する。

「女らしさはなかったが、結構な上玉だったしな」

 それ以上、その話は盛り上がることなく、別の話題へと移った。目の醒めるような青い空に、鳥の影が映っている。乾いた風に混じって、男達の笑い声が響き渡る。

「――おい」

 誰かがふと言った。

「どうした」

「あれは何だ?」

 その言葉に、視線が一斉に向けられる。――北西の空に黒い影があった。鳥にしては大きく、それは尋常でない速さでヴァイスローゼに向かって、近付いて来ていた。まさか、と兵士達は眼を凝らし――気付いた。

「魔物だ!」

 打ち上げられる黒煙、けたたましく鳴る鐘。――次の瞬間、真っ赤な熱が彼らを襲った。


 轟音を立てて城壁が吹き飛ぶ。――落下する巨石、響き渡る悲鳴。北西から北北東にかけて火の手が上がり、あっという間に城下に広がってゆく。

「――襲撃だ、地下へ急げ!」

 鐘の音に混じって、怒号がする。その間にも火は燃え続け、逃げ惑う人々を嘲笑うように辺りを吞み込んでゆく。

「神よ、お許しください」

 足の悪い老人が地面に跪いて請う。そのすぐ傍には地面にのめり込んだ岩があり、下から二本の足が覗いていた。誰もそれに見向きもせず、老人を助けようとはしなかった。火煙に巻かれて老人は死んで行った。

――何の悪夢だ。

 倒れている老人を横目で見ながら、男は走る。その腕には赤ん坊が抱きしめられていた。妻は大岩で倒壊した家の下敷きになった。火が回らないうちに早く行け、と辛うじて無事だった息子を託され、断腸の思いでその場を後にした。

 辺りには、男の妻のように家屋の下敷きになった者が大勢いた。母親を呼ぶ子供の泣き声、それに釣られて泣き始めた我が子を宥めながら、男は必死に地下の方角に向かって走る。その時、お父さん、と声が聞こえ、思わず足を止めて振り向いた。少し離れた場所で、エプロン姿の幼い少女が立ち尽くして号泣している。置いていかれたのか、はぐれたのかは分からないが、傍には父親らしき人影はない。

 一度は、見て見ぬふりをして先に進もうとした男だったが、眼に焼き付けてしまったからにはそれはできなかった。赤ん坊を片手で抱え直すと、男は少女の下に引き返す。

「おい」

 少女はしゃくり上げながら男を見上げる。涙のいっぱいに溜まった茶色の瞳に、男はこんな時だというのに、憐憫を覚えた。

「来い」

 少女に向かって手を差し出す。すると、少女は小さな手を伸ばした。その手を乱暴に掴むと男は走り出す。赤ん坊の顔に火の粉が降りかからぬよう、身を屈めながら燃え盛る火の間を駆け抜けた。


「――何だ、あれは」

 城の塔から身を乗り出し、男は呟いた。太陽を背に飛空する黒い影。全身を覆う鱗、巨翼が風を切る。

 空を飛ぶ魔物は時々、現れる。しかし、ここまで巨大で、凶暴な生き物を男は見たことがなかった。

――魔物が火を吐く。それは、瞬く間に家や人を飲み込んだ。その様子を見ていた男の脳裏に、とある記憶が蘇る。それはまだ男が子供の頃に祖父から聞いた話だった。

「……終末」

 神と魔王との戦い。魔王に従属していたと言われる、古の悪鬼。

 そんな筈がない、と男は自分に言い聞かせる。しかし、現実として目の前に広がる光景があった。残った城壁の上では、兵士達が魔物と対峙している。突然の襲撃によって、武器は半分以上使い物にならなくなっていた。

「――放て!」

 矢羽の槍が空を切り裂いて飛ぶ。通常の弩矢どしよりも数倍太いそれが上空にいる影を狙う。しかし、標的はその巨躯に反して槍をいとも簡単に躱すと、鮮やかに旋回した。

「怯むな、放て!」

 再び弩砲が発射されるが、同じことだった。醜悪な眼が兵士達を捉える。細い瞳孔を昏い光が過ぎった。

――終わりだ。

 長い尾が城の尖塔を破壊し、砕けた白い岩石がなだれ込んで後から外構が崩落していくのを、少女は地上から見つめていた。その胸には十字架があった。

 魔物を見たのは生まれて初めてだった。それは異形であったが、少女の瞳に映る空はいつもと変わりなかった。――それは、あの日と同じだった。

「……おばあちゃん」

 少女には両親がおらず、祖母と二人で暮らしていた。しかし、少女をこよいなく愛してくれた祖母はもういない。

 背後で悲鳴が上がった。少女が振り返ると、火柱を隔てた先に黒い影が蠢いていた。

 ああ、これが魔物なのか、と少女は思う。しかし、不思議と恐ろしくはなかった。

「……神よ」

 胸に手を当て、少女は祖母の形見の十字架を千切って投げ捨てた。

 

 *

 

――廃墟に人影が佇んでいる。灰色の外套を纏った者達はゆっくりと瓦礫の上を進んでゆく。昼間であるにもかかわらず、陽が射さず薄暗い。一千年前、巨人が棲んでいた死の丘には、永らく誰も足を踏み入れなかった。

 聳え立つ城に、彼らは入ってゆく。螺旋状の階段を登り、長い廊下を歩いて暫くして辿り着いたのは見上げるほど巨大な扉の前だった。先頭にいた男が扉に向かって言葉を発する。すると、扉が一人でに開いた。足元から冷たい匂いが立ち込める。男は奥にある玉座を見た。そこには一人の少年が坐っていた。

 金色の髪に、透き通るように白い膚。その美しさは、魔物とは凡そかけ離れている。

「エルフか」

 少年の側にいた獣人が彼らを睨みつける。背丈は10フィートほど、狼の姿形をしており、服は着ておらず、腰布のみを身に着けている。

「エルフが何の用だ」

 あちこちで唸り声とともに、武器を取る音がする。他のエルフが弓に手をかけようとするのを男は制し、頭巾を脱いだ。現れたのは月色の髪。

「――我々は灰のエルフである。攻撃の意思はない」

 信じられると思うか、と獅子獣人が吐き捨てる。

「おのれ以外の種族を見下し、お高く止まった奴らの言うことなど」

 一斉に罵声が上がる中、玉座の上の少年は無表情でルシウスを見つめている。その覇気のない瞳をルシウスは見つめ返す。

「夜の王と話がしたい」

「――良いだろう」

 淡々とした声が紡がれる。

「フェル」

 咎めるように、狼獣人が言う。

「この者達が来るのは分かっていた」

 その言葉に、ルシウスは一拍置いてから口を開いた。

「人間に恨みを抱いているのか」

「――いや」

 少年はあっさりと答えた。

「この体に、もはや恨みは残っていない」

「――ならば、なにゆえ人間を害する?」

「聖国以外を襲えと命じた覚えはない。地上で起きている全ては人間が招いたことだ」

「その通りだろう。だが、魔物を止められるのは汝しかおらぬ」

「――エルフが人間に肩入れをするのか?」

 切れ長の瞳が細められる。

「獣人達の存在をこれまで無視しておきながら、人間だけは特別扱いという訳か」

「肩入れするつもりはない。ただ、どうするつもりなのか問いたい。――この地上を支配し、神々に敵対する意思があるのかどうか」

 ルシウスの言葉に、少年は何も言わない。

「人間どもの獣人に対する不当な侵略はそうでないと?」

 狼獣人がせせら笑う。

「反吐が出る理屈だ」

 そうではない、と他のエルフがたしなめる。

「今のこの状況は人間達の自業自得である。――我々が聞いているのは、そこな王が邪な魂を受け入れるつもりがあるかどうかだ」

 少年の顔に、初めて表情が浮かんだ。ルシウスは畳みかけるように言う。

「忠告する。甘言に耳を傾けてはならない。さもなくば、魂を喰われ、その身を乗っ取られるであろう」

「――その言葉、信じる根拠は?」

「我らは嘘は吐かぬ。――ウィリディス」

 言って、ルシウスは振り返る。すると、黒髪のエルフが白樺の小箱をルシウスに渡した。別のエルフが蓋を開けると、そこには拳大ほどの白い石が入っていた。

「月の雫を授けよう。人の子らが良い夢を見られるように」

 少年は無言で石を見た後、口を開いた。

「用が済んだなら帰れ」


 日が暮れる頃、少年は一人で塔を訪う。部屋に入ると、窓辺に坐って眠る人影があった。

「ジル」

 側まで行って少年が呼びかけると、赤髪の少女はゆっくりと眼を開けた。

「塔主様」

 身を起こす少女の隣に少年は坐った。

「来てくれたの」

 その頬には涙の跡があった。少年はそっと頬に触れる。

「また、泣いていたのか」

「平気よ。ただの夢だもの」

 少女は明るく言ったが、その瞳は寂しげだった。少年は持っていた石を少女の手に握らせた。

「これは?」

「夢見が良くなる」

 少女は眼をまるくした。

「――どこから?」

 少年は何も言わず、少女の手を包み込むように握る。

「何か夢に出てこなかったか?」

「……いいえ。何も」

 少女は答えて、少年を見つめる。曇りのない翠の眼を少年は見つめ返す。

「何かあったら言え」

「ええ」

「欲しいものはあるか?」

「――もう十分に貰っているわ」

 言って、少女は少年の頬にキスをした。

「あなたの側にいたい」


 *


 ルシウスが次に死の丘に足を踏み入れたのは、一月後だった。

「――何の用だ」

 相変わらず、少年は驚いた様子もなく言った。

「あれは役に立っているか」

「そんなことを聞くためにわざわざ来たのか」

 少年の顔に、感情の色はない。

「必要なことだ」

「――我を討つために?」





 



前編、いかがでしたでしょうか。

感想等頂けましたら幸いです。

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