ある家庭
その鄙びた地において、その家庭の父親は絶対神である。
神にもいろいろある。
善なる神であれば、その家庭の子供達は幸福に満ち溢れていたかもしれない。
だが、その家庭にいたのは荒れ狂う荒神だったのだ。
その家庭には、母親と三人の子供達と継子の娘がいる。
先に育った郭公の娘にとって、その家庭の父親の暴力は愛の鞭だと言う。
そして、本当に鞭打つのだ。
痛みで泣いても、泣き顔が気に入らないと鞭打つ。
基本スタイルは、泣く子は鞭打つ。
物を使って人を折檻するのは、一番楽だ。
鞭打つものは、露天で買った2000ギルのベルトだ。
その家庭の父親は、酒に酔うと特に暴力が激しくなる。
何か気に食わないことがあると、その場にいる全員に向かって暴言を吐き、物を壊し、暴力を振るう。
子供達が泣き叫んでも、その怒りは収まることがなかった。
その家庭の子供達は、常に父親の怒りに晒されていた。
怒りの矛先が自分達に向けられるのか、それとも母親や隣人に向けられるのか、予測不可能だった。
だから子供達は、いつでも警戒心を持ち、怖い思いをしていた。
絶対神である父親から逃げる方法はなかった。
学校に行けば、父親が迎えに来て帰りに暴力を振るわれる。
友達の家に泊まりに行っても、父親に見つかって帰りに暴力を振るわれる。
逃げ場のないその家庭で、子供達はただ耐えるしかなかった。
しかし、その家庭にいた子供達は、誰かに助けを求める方法を知らなかった。
親や地域社会が子供達を守るべき存在であるはずなのに、その家庭ではそういうことが起こらなかった。
子供達は、自分達が受けている暴力が普通であると思い込み、その苦しみを誰にも話すことができなかった。
こうして、その家庭の子供達は、暴力に耐え続けた。
一方で、父親は自分が絶対神であるという錯覚に陥っていた。
彼は自分の行いが正当であると信じ、周囲の人々が自分に服従することを期待していた。
なぜならば、その父親には野望があったのだ。