File.11 日常ハッピデート
日常ハッピーデート回です
ジリリリッ鳴り響く目覚ましの音。
すぐに時計の頭を叩き、時刻を確認する。
7時半……歩との約束の時間は9時だから、少し急がないといけない。
「……よし 」
寝間着を脱いで折りたたみ、黒いブラを付け、昨日決めていた服……地味目であまり目立たない、薄い青色のズボンと黒くて簡素な服に袖を通す。
鏡に映る自分は、本当に男の子みたいで……なんだか嬉しかった。
「あっ、咲 」
静かにリビングに降りると、そこにはコーヒーを流し込む咲が居た。
目はボヤけ、いつもツインテールにしてる髪は、片方結ばれてるだけだ。
たぶん寝起きなのかな?
「おはよう咲 」
「おはよう哀花。パン焼いてるから冷めないうちに食べなさい 」
「あっ、ありがとう 」
四角いテーブルの上に置いてあるバケットには、ほやほやと湯気をあげる沢山のパンがある。
すぐに冷蔵庫からマーガリンを出してると、咲が私のマグカップにコーヒーを入れてくれていた。
「いつも通りで良い? 」
「うん 」
咲はいつも通り、砂糖とミルクをコーヒーにたっぷり入れてくれる。
「いつもごめんね。僕も何かできたらいいのに 」
「任務じゃよく助けてくれるでしょ? あと、ごめんよりありがとうの方が嬉しい 」
「……そうだね。いつもありがとう、咲 」
「どう致しまして 」
椅子に座り、パンをちぎってみる。
それは指先が痺れるほど熱かった。
でも柔らかくて、ほんのり香るバターの匂いが、朝の胃にジーンとひびく。
「いただきます 」
「はい召し上がれ。あと髪立ってるわよ 」
熱々のパンをはむはむ食べてると、咲がブラシを持って髪をといてくれる。
「それくらい自分でやるから 」
「別にいいわよ。今くらい、甘えておきなさい 」
「……ありがとう。ほんと、咲がお母さんだったらなぁ 」
「私の方が歳下なんだけど……老けてるって言いたい訳? 」
「いや違うよ!? 」
「冗談よ 」
ふふっと笑いながら、咲はポンポンと頭を撫でてくれた。
「そう思うなら、甘えて。哀花はなんでも一人でやりたがるんだから 」
「……うん。ありがとう 」
本当に咲は優しい。
こんな僕にでも、優しくしてくれるんだから。
「おーす、おはよう 」
玄関の扉が開く。
そこには疲れた顔をする、真城が居た。
「おかえり真城!! 」
ギュンって音が聞こえるくらいはやく、咲は玄関に向かった。
玄関で『お疲れ様』とか『ありがとう』とか、他愛のない話で笑いあってる二人は、本当に新婚さんみたいで微笑ましい。
「あれ? なんで哀花居るんだ? 」
「……ん? 僕出ていった方がいい? 」
「いやそうじゃなくてさ、歩と約束あるんじゃねぇの? 」
「ある……けど? それがどうしたの? 」
「歩なら5時頃に出ていったぞ? 哀花と買い物があるからって 」
「…………えっ? 約束は9時からだよ? 」
「「えっ? 」」
シーンと、リビングは奇妙な静寂に包まれた。
「……アイツ馬鹿か? 」
「馬鹿ね 」
「いや馬鹿じゃないとは思うけど……あっ、用事! 別の用事があったかもしれないし」
慌ててフォローしようとするけど、
「でもアイツ、哀花との買い物があるから絶対に予定入れねぇって言ってたぞ 」
それで何も言えなくなった。
「……… 」
急いでパンを食べ、キュッとコーヒーを飲み干し、すぐさま歯を磨いて玄関に走る。
「じゃあ行ってきます!! 」
「おう行ってら!! 」
「気をつけてね 」
小走りで待ち合わせ場所の大通りにある時計まで向かう。
その途中、まさか5時から待ってるなんてないよねと思ってたけど……ちゃんと居た。
パンドラの制服を着て、時計の柱に寄りかかってあくびしてる歩が。
(いや偶然かも! さっき来ただけかも!! )
「おっ、おはよう歩 」
「おはよう哀花!! いやぁカッケェなその服 」
「あっ、ありがとう……ところで何時頃来たの? 」
「5時10分!! 暇で死ぬかと思った!!! 」
最初から変わってる子だなぁとは思ってた。
思ってたんだけど……ここまで来ると、ちょっと引いてしまう。
「そう……なんだ。じゃあその……お買い物に行く? 」
「おう行く! 」
僕とは正反対に、にこやかに笑う歩。
色々、ほんと不安だけど、とりあえず歩の私服を買いに、服屋へ向かう。
「この黒い服良くね!? 」
「えっ、それ女性服…… 」
「あっほんとだ。ちょっと戻してぇ!? 」
「歩!? 」
歩はベチャッとずっこけた。
何もないところで。
しかも並べてある服を倒して。
「いやほんとすみません 」
「いえいえ、大丈夫ですよ 」
服を拾う定員さんに頭を下げる歩。
笑って許してくれる定員さんは、気まずそうにしながらも、こう提案してくれた。
「えっと、とりあえず試着してみたらどうですか? こちらの服なんかオススメですよ? 」
「あっ、はい 」
歩は足早に試着室に行く。
扉がしまった向こうでは、またドタンと転ぶ音がした。
「えっ……大丈夫? 」
「うんへーきへいき。ちょっとあられも無い姿してるけど 」
心配しながら待ってると、試着室の扉がバンっと開かれた。
そこには自慢げな顔をする歩と、裏表反対に着られる黒い服があった。
「どう!? 」
「えっと……裏表が違うんじゃないかな? ほら、タグも見えてるし 」
「あっ、ほんとだ 」
バンっと扉が閉まる。
そしてまた出てきた。
服を前後ろ反対に着る歩が。
「どう!!? 」
「えっと……今度は前後ろ反対だね 」
あんまりこういう事は思いたくない。
思いたくないんだけど、嫌でもそう思ってしまう。
(やっぱり……歩ってバカ? )
あれからまた色々あったけど、無事に服は買い終えた。
歩はシャツとズボンを二着ずつ。
僕は白いチュニックを一着。
店から出たあとは、二人で適当に大通りを歩く。
「歩! そんなに袋振り回したら破れるよ!! 」
「あっ、悪い。それよりこの時計って会計で使えるんだな 」
袋を乱雑に扱う歩は、そんな事を聞いてきた。
「怪異狩り後はそれにお給料が入るからね。歩はどのくらいあるの? 」
「一万六千円……さっきのが四千くらいだったから、だいたい二万入ってたのか 」
「たぶんね。でもそれは命を削って貰ったお金だから、あまり無駄遣いはしない方がいいよ 」
「そーだなぁ。あんだけ死にかけて二万だもんなぁ 」
「うん。だから大事にね 」
「あっ。そこのお嬢さんこういうのどうですか!? 」
急に呼び止められた。
横を向けば、可愛らしいアクセサリーを身につける定員さんが、私にニッコリと商売人の笑みを浮かべている。
「そういう服に、こういうアクセサリーは似合いますよ〜? 髪留めもありますし、女性らしくなれます 」
「いや……僕は 」
「さぁご遠慮なさらずに。女性なんですから、美しく着飾って」
手をグッと掴まれる。
鳥肌が一気に立つ。
あんな女性らしいアクセサリーなんて、僕は付けたくなっ
「あぁ〜! もうこんな時間だァ!! 」
今度は突然、歩が大声を出した。
「哀花! 間に合わねぇから急ごうぜ!! 」
「えっ、ちょっ 」
手を優しく掴まれる。
そして定員さんの声が聞こえなくなるまで、歩は手を僕を引っ張ってくれた。
「あっ、ありがとう歩 」
大通りに植えられた木の傍でお礼を言う。
すると歩はにパッと明るく笑ってみせた。
「気にすんな! めちゃくちゃ嫌そうな顔してたし……苦手なのか? あぁいうの 」
「……うん。女性らしくってのが少し苦手なだけ。だから」
「じゃあこれ持っててくれ!! 」
「えっ? 」
急に荷物を押し付けられ、歩はどこかに行ってしまった。
それにぽかんとしてると、今度は大通りのど真ん中を全力疾走する歩が、こっちに帰ってきた。
「ただいま〜 」
「おかえり……何しにい」
パサっと、頭の上になにか被せられた。
ちょっと頭を締め付けるような感覚。
それは青みがかった黒い帽子だった。
「えっ、これどうしたの? 」
「買ってきた。俺からのプレゼント〜って思ってくれてらいい 」
「いや悪いし急過ぎるよ!? というかいくらしたのこれ!!? 」
「一万五千ちょっと 」
「全財産じゃん!! 」
すぐに帽子を返そうとするけど、歩は受け取ってくれない。
頭に被せようとしてもヒョイヒョイ避けられる。
「歩……あんまり言いたくないけど、押し付けられても迷惑なだけだから 」
「でも俺は帽子使わねぇからなぁ。もう買っちまったもんなぁ。今更返せねぇしなぁ 」
イラッと、こめかみに何かが込み上げる。
でも歩の言う通りでもある。
これを捨てる訳にもいかないし、好意なのは間違いないし……正直こういう帽子は好きだし。
「だからまっ、貰ってくれ 」
「……うん。でも貰いっぱなしは嫌だから、お昼ご飯は僕に奢らせてね 」
「おう。ありがと 」
帽子の大きさを調整し、しっかりと被る。
濃いめの色をしてるから、この透明な髪とよく似合うし、太陽の眩しさも気にならない。
……良いものを貰っちゃったなぁ。
「それでいいの? 」
お昼。
二人でデパートの三階にある、色んな飲食店の並ぶフードコートに来た。
そこでご飯を食べようとしたのに、歩が持ってきたのは三つのハンバーガーだった。
「奢るんだから、普段食べないものとか」
「いや、これで十分だ 」
「んー……そうなんだ 」
僕はおうどんを受け取り、二人で適当な席を取って手を合わせる。
「「いただきます 」」
手始めにおうどんをツルツル啜る。
汁を吸って唇でも切れそうな柔らかな食感。
これが好きでたまらない。
「ご馳走様でした 」
「えっもう!? 」
僕がおうどんを一本食べただけの間で、歩はハンバーガーを食べ終えていた。
いや……はや過ぎない?
「いや〜久しぶりに美味いって思えた。奢ってくれてありがとな 」
「う、うん…… 」
「じゃあ俺お盆返してくるかっ」
「歩!? 」
立ち上がろうとした歩は、テーブルに足をひっかけてバッタンと倒れてしまった。
しかも顔から落ちてた。
すっごく痛そう……
「だ、大丈夫? 」
「へーき〜 」
「今日、具合が悪いの? ずっと転んでるし 」
「………めて 」
「ん? 」
「今日が……初めてのデートだから。何したらいいか分かんなくて 」
頬を赤らめ、恥ずかしそうに呟く歩。
その姿はこう……凄く意外だった。
歩がこんな顔をするんだってくらい、驚いてしまった。
「あっ……そ、そうなんだ。ごめんね、こんな事聞いて 」
「いやいいよ。それと、ついでみたいで悪いけどさ 」
「うん。なに? 」
「俺と付き合ってくんね? 」
んっ!!?
今僕……えっ? 告白された!?
フードコートで? 食事中に? いきなり?
なんで!?
しかもなんでそんな真面目な顔してるの!?
えっ本気なの?
なにその目……なんで僕をじっと見てるの?
「えっ、えぇっと……ど、どうしたの急に? 」
「いやぁ。怪異狩りの仕事って結構、命懸けじゃん? 」
「うん 」
「次の任務で死ぬかもしれねぇじゃん? 」
「うん 」
「だから告白した 」
「意味がわからないよ!!? それとごめんなさいイヤです!! 」
「あっそうなのね! あと深い意味はねぇけどトイレ行ってくるわ!! 」
そう言い残し、本当に歩はトイレに行ってしまった。
(いや……急展開過ぎない!!? 漫画で言ったらページ開いたら主人公が死んでましたってくらい急だよ!? なに!? なんなの歩!? ストーカーより気持ち悪くて怪異より怖いんだけど!!? )
ぐるぐる回る頭の中。
一度落ち着くために、おうどんに付いてきた、お冷を飲み干す。
整理してみよう。
私は歩と私服を買いに行く約束をしてました。
歩と合流しました。
服を買いました。
ご飯を食べてると告白されました。
(待って……本当に意味が分からないんだけど…… )
頭を抱えて考えても、謎が増えるだけ。
もう直接本人に聞くしか無いけど、あれに聞くのはちょっと怖い。
なんならこの帽子すら怖く思えてきた。
(どうしよう……咲たちに連絡入れて来てもらおうかな )
「お前…… 」
「えっ 」
急に胸ぐらを捕まれ立たされた。
私を睨むのは、ちょび髭を生やした、サングラスの大人。
たしかこの人は……
「昨日、任務の時に居た 」
「あぁ。お前らのせいで、昨日息子を亡くした父親だよ 」
グッと、服を掴む力が強くなる。
首が締まるせいで、変な吐き気が喉に込み上げてくる。
「なぁ……なんでもっと速く来なかったんだよ? 」
そう言われて思い出す。
昨日の任務で、小さな遺体を抱いて泣き叫ぶこの人の姿が。
「……すみません 」
「すみませんじゃねぇんだよ!? なぁ……お前らがあと1分でも……30秒でも速く来てくれればアイツは助かったんだ。まだ2歳の子供が……助かったんだ 」
「……… 」
「なのにお前は呑気にうどんだ? 人を殺したって自覚は無いのかよ!!? 」
何も言えない。
この人の気持ちを考えると、慰めの言葉ですら薄っぺらく感じてしまう。
「なぁ……何とか言えよ…… 」
「……本当に、申し訳ございません 」
「このっ」
拳が振り上げられる。
でも抵抗はしたくなかった。
僕を殴って、その怒りがほんの少しでも和らぐのなら、それでいいから。
「なぁなぁなぁなぁ!! 」
大声とともに、急に誰かが寄ってくる。
それは歩だった。
「誰だおまっ」
歩はニコニコ笑いながら、びしょ濡れの手で大人の頬を叩いた。
なんの躊躇いもなく。
それが当たり前のように。
「……はっ? 」
「反抗期体験できて良かったな! おと〜さん 」
ニタニタ笑う歩。
そのせいで空気が凍り、静寂が辺りに包まれた。
「…………テメェ!!! 」
「歩!! 」
歩の顔面には、拳が振り下ろされた。
鼻血が飛び散る。
なのに歩は瞬きひとつせず、ずっと笑っている。
「まぁまぁこれでも持って落ち着いて 」
「あっ? 」
拳を掴んで、歩は何かを握らせた。
それは銃で、
「…………はっ? 」
「この人銃持ってまぁぁぁす!!!! 」
歩はその腕を高くにあげた。
大声のせいで周りの目線も集まっている。
「子供が襲われてるぞ!! 」
「おい銃だ!! 」
「動くな貴様!!! 」
「違う! 俺のじゃない!! 離せぇぇ!!! 」
「さっ、行こうぜ哀花 」
「えっ 」
取り押さえられる大人を無視して、歩から腕を引っ張られた。
そして五階の小さなテラスまで連れてこられた。
そこでやっと手を振り払えた。
「どうした? 」
「どうしたじゃないよ!? 守ってくれたのはありがとう。でもあの人は子供を亡くしたんだよ? それをあんな卑怯な手ではめて……あの人が冤罪だって説明して」
「哀花 」
今度は肩を掴まれる。
気持ち悪くて鳥肌が立ったのに、手を振りほどけない。
力が強いからじゃない。
歩が今にも泣きそうな目で、僕を睨んでいるから。
「お前は優しいし強いよ。あの状況で、アイツの為を思って、抵抗もせずに殴られようとするんだから……でも、お前が黙って殴られる理由にはならない。優しさを言い訳に自分を傷付けるな。自分の人生を守る権利は、誰にでもあるんだから 」
真っ直ぐな言葉で、力強い声で、叱るように歩は言う。
急に言われてビックリしたのもあるけど、優しさを言い訳にって言葉が、グリュっと胸の奥に突き刺さった。
そのせいで何も言えなくなってしまう。
「あごめん!? 何様って感じだよな今の!! うお鼻血が!!? 」
そんな僕とは正反対に、歩はワタワタと騒ぎはじめた。
それがなんだか可笑しくて、緊張がほぐれてしまう。
「はい。これ使って 」
使ってないハンカチを差し出すと、歩は顔を赤くしながら『ありがとう』と言って、それを受け取った。
「……歩って不思議だね 」
「ふぁにが? 」
「いや、表情がコロコロ変わるから。子供っぽい顔をしたと思ったら大人みたいな顔をするし、さっきみたいに真面目に怒ってもくれるし……ほんと不思議 」
「ほれほへてる? 」
「褒め言葉〜……ではないかも。でも悪口じゃないよ 」
「ほりゃ良かった〜 」
そう言いながら、歩はテラスのベンチに座り込んだ。
僕もその隣に座る。
すると歩の肩が大きく跳ねた。
「……ねぇ、一つ聞いていい? 」
「ひゃ、ひゃい 」
「どうして僕なんかに告白したの? 」
それを聞いてみたかった。
だって戦いしか価値のない女に何を求めていたのか、それを知りたかったから。
しばらく無言が続いたけど、歩はゆっくり、どこか照れくさそうに話してくれた。
「気になってたからだ。俺を庇って死にそうだった時の笑顔が 」
そう言われて思い出す。
こめかみに銃を突きつけて笑う、自殺一歩手前な歩の姿を。
「あと一秒後に死ぬって状況なのに、お前は笑ってたんだ。それがずっと頭の中グルグルしてた 」
「そんな普通のことで? 」
「あぁ。けど、死んだ方が楽だって思うのに、どれだけ辛い思いをしたんだ? どれだけ死のうと思ったんだ? どんだけ苦しみに悶えて、どれだけ泣いたんだ? それを知りたかった……ってのが八割 」
邪な気持ちじゃなくてちょっと良かった。
むしろそこまで思ってくれてるなら、少し照れくさいまである。
でもそんな言い方をされれば、少し気になってしまう。
「あとの二割は?」
「顔 」
(あー……うん……やっぱりそうだよねぇ )
そりゃあ付き合いが短い僕を好きになるなら外見だろうけど、ここまでハッキリ言われると気まずい。
しかも真正面から。
もうちょっとオブラートに包んで欲しいかな……
「あっ、俺からも質問いいか? 」
「うん 」
「なんで告白断ったんだ? 俺のどこがダメだったか教えてくれよ 」
「えーっと 」
目を泳がせながら考える
理由はあまり言いたくは無いけど、このまま黙ってたら、歩からストーカーされそうだし……しょうがない。
「……あんまり言いふらさないでね 」
「あぁ。俺は口堅いぞ 」
ひとまずそれを信用して、ゆっくりと息を吸う。
「……僕ね、もう結婚相手がいるの。許嫁ってヤツかな? 」
「相手のことは好きなのか? 」
「うんん、顔も知らない 」
「じゃあなんで許嫁なんだ? 」
そっとテラスの柵に手をかける。
広いようで狭い、今の街中がよく見える。
「この日本で生き残るためにはさ、何がいると思う? 」
「金と〜……権力? あぁなるほど。自分の子供を権力者と結婚させて、自分たちの地位を守ろとしてんのか 」
「そうだよ。泡魅一族はだんだん権力が弱くなってきてね、それを補うために政略結婚させようってこと 」
「哀花は嫌じゃねぇのか? 」
歩は冷たい声で聞いてくる。
「もちろん嫌だよ 」
「嫌なら怪異使えよ、それで殺せばいい。いや殺さなくても、脅すなり逃げるなりやり方はあるだろ? 」
「でもさ、今の僕があるのは親のおかげだから。美味しいご飯も、この服もこの体も、ぜんぶ親のおかげ。こんな事で恩返しできるなら、それでいいよ 」
テラスに優しい風が来て、ふわっと髪が舞い上がる。
そんな僕を、怒ったようで悲しんでいるような、なんとも言えない顔をした歩が見つめている。
「…………そうか 」
でも、悲しそうに頷いてくれた。
「お前が決めたんなら、他人がどうこう言えねぇよな 」
「歩はもう他人じゃないけどね 」
「今そういうこと言うな、真面目に勘違いする 」
すっごい眼力で睨まれた。
そのせいで咄嗟に謝ってしまう。
「あっ……ごめん 」
「ふぅぅぅ……俺、決めたわ 」
「えっ? 」
急に歩は僕の横を通り過ぎ、柵の上に立った。
手を横に広げて、今にも落ちそうなのに、嬉しそうに笑って。
「俺、この世界変えるよ。哀花の嫌なことが、一つでも減るように 」
「いや危ないから!! 危ないから降りよ歩!!? ここ五階だから!!! 」
「あっ、任務来た 」
歩はドンッとこっちに降りてきた。
右腕に付けられた時計は赤く光っている。
「なぁ。荷物どうしたらいい? 」
「えっと……僕が預かるよ。寮に届けておくから安心して 」
「おう。じゃあ行ってくる!! 」
「う、うん。行ってらっしゃい 」
そう言うと、歩はスタコラと何処かに行ってしまった。
「た、ただいま〜 」
「あっ、おかえ……どうしたの? 」
寮に帰ると、ギョッとする咲が出迎えてくれた。
それもそうだと思う。
たぶん今の顔は、すっごく疲れてるだろうから。
「いや……なんというか……嵐みたいな時間だったなって 」
「えっ、何かされたの? 」
「うん……色々と 」
荷物をリビングに置いて席に座る。
すると心配そうにしながら、咲は甘いコーヒーを入れてくれた。
「で、何されたのよ? まさか襲われたとか? 」
「いや……まずこの帽子を買ってもらったの。一万五千円の 」
「えっ? 」
「そして告白された 」
「えぇ!? 」
「殴られそうな所を助けて貰って 」
「はっ? 」
「真面目に説教されて 」
「なんで? 」
「告白した理由を教えて貰って 」
「ちょっ、ちょっと待ちなさい? 」
「日本変えるとか言って、任務に行っちゃった 」
今日のことを思い出したながらコーヒーを飲む中、咲は『はァ?』と言いながら眉間にシワを寄せていた。
「……アイツってなんなの? 聞いてる限りだと、頭のおかしな人と買い物してきた風に聞こえるんだけど 」
「うーん、確かに普通の人には思えないんだけど……でも悪い人じゃないよ。ちょっと気持ち悪いけど 」
「哀花がそう言うって相当よね…… 」
お互いに気まずい笑みを浮かべ、二人でゆっくりとコーヒーを飲む。
そうしていたら、ふと思い浮かんだことがある。
(そういえば僕って、歩について何も知らないなぁ )
裏口入学させる時に、少しだけその過去に目を通した事がある。
至って普通に入学と卒業を繰り返す経歴と……なぜか中学三年生の頃だけにあった、精神科への入院記録。
怪異とは無縁の生活を送っていたのに、怪異に臆さない姿勢。
そして家族全員が怪異から殺されてるのに、全く闇を感じさせない表情。
考えれば考えるほど、歩のことは分からなくなっていく。
でもあの時言ってくれた言葉……
『優しさを言い訳に自分を傷つけるな 』
あれだけは裏表も何もなく、僕を心配してくれただけだって言うのは、しっかりと伝わった。
何故かは分からないけど。
「ただいま〜。あー報告疲れたァァ 」
「あっ、真城 」
ちょうどコーヒーを飲み終えた頃、真城も帰ってきた。
その手には白い紙袋が握られている。
「おっ、おかえり哀花。さっき歩が渡してくれって 」
「えっ、なにそれ 」
「さぁ? 明日の用意があるとかで、すぐどっか行っちまったからな 」
「……そう 」
とりあえず紙袋を受け取り、中に手を入れてみる。
そしたら気持ち悪い感触が指先にまとわりついた。
「ひっ!? 」
「どうしたの? 」
「いや……なんか……ヌメっとした感覚が 」
「えっ 」
「はぁ!? 」
慌てるように真城が袋を逆さにする。
すると落ちてきたのは、ヌルヌルとテカる……木櫛だった。
「えっと……何コレ? 」
「たぶん木櫛の油漬けね。いい匂いがするし、髪が綺麗になるけどメンテナンスが面倒臭いやつ 」
美容品に詳しい咲が言うから、間違いないと思う。
あれを触った指先からは椿油みたいな匂いもするし。
でも本当に良かった。
もしこれがあれだったら……うっ、想像しただけで嫌な気持ちになってくる。
「あっ…… 」
突然、真城が声を漏らした。
「どうしたの? 」
「いや女性に送る櫛ってさ……結婚してくださいって意味があった気がすんだよな 」
「えっ 」
「えっ 」
「いや考えすぎてかもしれねぇぞ!? そんなプレゼンにいちいち意味なんか」
「でも哀花。今日、告白されたらしいわよ 」
「……歩に? 」
「……うん 」
「「「………… 」」」
そこから数十分ほど、リビングは微妙な空気が続いてしまった。
そしてみんな、同じ考えを持ったと思う。
『『『それは気持ち悪いよ歩…… 』』』
寮に来て3日目で、気持ち悪いが共通認識なった歩くん
いや〜可哀想ですね




