1.
「ひよ、今日は急いで帰るのか?」
サラリと頬にかかった長い髪を耳にかけ直し、七瀬は呆れたような目で私を見る。
窓ガラスから入った光が七瀬の黒髪を暗い緑に染め、一瞬見惚れるが、、
私はすぐに帰り支度を始めた。
「七瀬ごめん!今日、まいぷり♡の日なの!七瀬とゆっくりしたいけど、、私の王子様をオンタイムで見たいの!こんなヲタクな私を許してください、、」
女神を崇める崇拝者のように両手を合わせて頭を下げると、七瀬は少しつまらなそうに視線を外した。
「ひよとゆっくりしたかった。」
ぷくっと頬を膨らませている顔も、最早国宝級。
周りでこっそり七瀬のことを観察している人達も、普段は見せない彼女の珍しい表情を盗み見ている。
いや、盗み見のレベルではない。凝視しているに等しい。
この美しすぎる友人は、そんな人達の視線の'し'の字にも気づいていないけれど。
「アニメのことばっかりだな。ひよは。」
「私の王子様なんだもん〜あんなに好きになる人もういないもん〜分かって〜私のかわいい七瀬♡」
不機嫌そうな七瀬をよそに、私は立ち上がり座っている彼女の頭を撫でた。
すると機嫌を直したかのように、'もうっ'と言って微笑む。
ザワッと空気が揺れ、七瀬のその姿を観察していた周りの人達の目が見開かれた。
七瀬様の女神の微笑み!
あぁ、美しい、、
尊い、、
最高の百合、、ごちそうさまです。。
とか、、
何やら色々と丸聞こえだけど。もう慣れた。
流れる素直な黒髪はしなやかで。日に当たれば美しく変わる緑の黒髪。
零れそうな漆黒の瞳は長く豊かなまつげに覆われ、
少し上を向いた目尻が高貴な印象を放つ。
スラッと通った鼻梁に
意思の強そうな整った眉。
陶器のように滑らかで曇りひとつない肌
そして富士にも負けぬ形の良い唇は桜色だ。
黎明大学ミューズガーデンという名のこのキャンパスに降り立った女神とは彼女《七瀬》のことである。
きっかけがなんだったかはよく覚えていないけど、ここで出会ってまだ1年にも関わらず、昔から見知った幼馴染のように仲良くなれたのだから不思議だ。
七瀬はその美貌から、入学した時から注目を集めていた。
ファンクラブのようなサークルが男女ともにあるものだから、人気の高さがうかがえる。
しかし本人は全く気にもしておらず、なんなら気づいているのかさえわからない。
七瀬と仲良くなりたい人はたくさんいると思うんだけど、七瀬の醸し出す独特の空気を読んでか、
私が邪魔なのか、話しかけてこない。
一度、
「私とばかりいなくてもいいんだよ?」
といったことがあるが、
悲しそうな、怒ったような顔で
「ひよがいいんだ。」
とたしなめられた。
それから私はあえて周りの人達のことを気にせず、七瀬とつるんでいる。
普段から仲の良い私達を見て、
「百合だ、、」
と言われることもしばしば。…断じて違うんだけど。
七瀬にはお付き合いしている素敵な彼氏さんがいるし、
私には'まいぷりんす'のレイヤ様がいるんだもん♡
普通に仲良しなだけだけど、私がいることで七瀬の男よけになってるみたいだし、
あえて否定せず、私達はいつもの私達でいることにしているのだ。
と、少々思い出に浸ってしまっていた。
が、そろそろ急がねば!
レイヤ様が待っている!
大学合格のお祝いに姉に買ってもらったアイボリーのトートを肩にかけ、私は七瀬が絶対に笑顔になる魔法の言葉を告げる。
「久々に明日お弁当作ってくるから、それで許して、ね??」
懇願するように言うと、やっぱり七瀬は優しく微笑んで。
「楽しみにしてる。」
と送り出してくれた。