35◇反面教師と子うさぎの逃走劇
「先生っ……! 次はどっちに向かえばっ……!?」
ディルとアレテーが落ちたのは、安定空間から遠く離れた場所らしかった。
進めど進めど、目的地を知らせる幻像が消えない。
そして今、狼の背に乗った二人はモンスターに囲まれつつあった。
サイクロプス、ゴーレム、溶岩の河を泳ぐ巨大トカゲ、業火のブレスを得意とする火竜、様々なモンスターがディルたちを追ってきている。
「真っ直ぐ走らせろ」
「えぇっ!? で、でも目の前に、ご、ごつごつした岩で出来た、もんすたーさんがっ」
「ゴーレムだ。いいから行け、速度を上げろ」
「は、はいぃっ……」
ぐんっと巨狼が加速する。
ゴーレムがこちらに向かって手を伸ばす。
ディルは袋から丸められた札を取り出した。
すぐさま広げて、ナイフでも投げるように飛ばす。
それがゴーレムの手に触れると一瞬、敵の動きが止まった。
その僅かな時間で、巨狼が駆け抜ける。
動き出したゴーレムの腕は空を切り、巨狼はやつの股下をくぐり抜けてそのまま疾走。
ディルたちを背後から追っていたサイクロプスが標的をゴーレムへと移し、棍棒を叩きつけた。
「よし、二体脱落だな」
「ほ、本当に、もんすたーさん同士で戦うのですね……」
アレテーがなんとも言えない顔をしたのも束の間――。
「――来るぞ、息を止めろ」
ディルは外套を広げ、アレテーを包み込むように抱きしめる。
彼の探索才覚は未来視ではない。
何が起こるかまでは見えない。
見えるのは、自分がとるべき行動だけ。
「ひゃうっ!? せ、先生っ――!?」
次の瞬間、二人の上空を飛んでいた火竜がブレスを吐いた。
炎熱が二人を包み、一瞬で水狼が蒸発する。
「~~~~っ」
生きたまま業火に晒されるという初めての体験に、アレテーが震える。
だが、二人の肉も骨も、炎に焼かれてはいなかった。
特殊攻撃耐性を持つ外套のおかげだ。
巨狼が消えたことで地面に投げ出された二人は、そのまま地面を転がる。
やがて勢いが収まると、ディルは仰向けの状態で止まる。
胸の上には、ずっと抱きしめていたアレテーが乗っている。
彼女の顔はいかなる感情からか、紅潮している。
「怪我は」
「な、ないでしゅ」
「じゃあさっさとどけ」
「びゃい!」
こりろん、と横にずれるアレテー。
ディルは立ち上がりながら火竜を探す。
先程のブレスでディルたちが死んだと思ったのか、次の獲物目掛けて飛びかかっているところだった。
とはいえ、安心は出来ない。
数体のサイクロプスに目をつけられたからだ。
「……お前、走りながら探索才覚使えるか」
「ご、ごめんなさい、まだ無理です」
「巨狼を作るのに十秒か十五秒くらいだな?」
「は、はい」
「よし、作れ」
ディルは言いながら、アレテーを横抱きにする。
俗に言う、お姫様だっこである。
「せ、先生っ!?」
「集中しろ。生死が懸かった局面だ」
アレテーの表情が、引き締められた。
「……! はい、頑張ります」
装備で身体能力が上昇しても、肉体が別物になるわけではない。
運動量はそのまま、エネルギー消費や疲労といった形でディルにのしかかる。
「あーくそ。帰ったら一ヶ月は休暇をとる。絶対とる」
再び、ディルは靴の能力を起動する。
――設定、十五秒・二倍速。
アレテーを抱えては戦えない。
やるのは逃走。
それも、敵の攻撃を掻い潜りながら、目的地に向かって走らねばならない。
三体のサイクロプスを神速で置き去りにしたあとも、モンスターの襲撃は続いた。
アレテーが再び作り出した巨狼に乗り、二人は安定空間を目指す。
「ごめんなさい先生、わたしが探索才覚で戦えれば、もっと……」
「うざい」
「ひどいですっ」
「あ? お前はいいから狼操るのに集中しろ」
「わたし、頑張ってます! 先生はもっとわたしを褒めてくれてもいいと思います! 褒められたら、もっと頑張れますけども!」
ふんすっ、と鼻を鳴らすアレテーは、いつになく反抗的。
呆気にとられた際に、ディルはふと冷静さを取り戻す。
「お前何言って――いやそうか、俺もおかしくなってるな。くそ、ここに落ちてどれくらい経ってる……」
精神が蝕まれていることにさえ、強く意識しないと気づけない。
「お前じゃなくて、レティって呼んでください!」
「あー分かった分かった。おらレティ、口開けろ」
「またそういう言い方……あーん」
憤怒領域効果で怒りっぽくなっても、アレテーの素直さは消せないようだ。
鎮静効果のある飴を一粒口に放り込んでやってから、ディルは自分も一粒舐める。
「はっ……わたし何を……うぅ、ごめんなさい先生、先程の発言は忘れていただけますと……」
「狼上手に操れて、レティちゃんは偉いな~」
「うぐっ……あ、ありがとうございます……」
効果はすぐに出るが、一時しのぎでしかない。
――こんなんだったら、一番近い『垂れ糸』を目的地に設定すべきだったか? いやダメだ。
ディルが表示したのは、最も生還率の高いルートだ。
どれだけ危険だろうと、死にかけようと、この道を歩むことが生還に繋がっている。
「……このあたりには見覚えがある。安定空間だ。『垂れ糸』も近いぞ」
「は、はい……」
「どうした、喜ばないのか?」
「あ、あの、先生……」
「なんだ」
「ど、どこへ行けばいいのでしょう」
巨狼は止まっている。
狼の進行方向にあった大地が、巨大ゴーレムの背中だったことが今まさに判明し、起き上がったゴーレムに道を塞がれたからだ。
左右も背後も、モンスターに囲まれつつある。
まさに、絶体絶命と言えた。
そして、ダメ押しとばかりに――。
「……なる、ほど、こう、くる、か」
「せ、先生? なんだか、話し方が少し……」
靴の反動が、今来たのだ。
直近四度の使用の内、一度目の反動は日常生活で迎えている。
反動は順番とは限らない。
二度目から四度目の反動が、バラバラに襲ってくることもあるわけだ。
仮に今、十五秒分の反動がやってきているなら、最も近いモンスターの攻撃を捌けるか怪しい。
「先生! ご指示をください!」
――だが。
「……いい」
「先生!?」
「ここで、いい」
ディルのルート表示は、もう終わっている。
「ここが、ゴールだ」
ゴーレムが――縦に真っ二つになる。




