完璧なパンができるとは思ってないです
なんだかんだで何人かの女房たちは、たんぽぽコーヒーが気に入ったようだった。
「では、いよいよ、パンを焼いてみましよう」
「……此処でですか?」
と晴明が言う。
「庭で焼こうかなとも思ったんたけど。
庭木のひとつも焼いたら、庭師に怒られそうだから」
「あなたが怒られるとかないと思いますが。
あ~って顔はされるとは思いますね」
と晴明は言う。
「……そうね。
だから、とりあえず、火鉢で、ちょこっと焼いてみようかと」
えっ? また火鉢ですかっ?
という顔を命婦がした。
以前、美しい装飾の炭櫃にいきなり壺をかけようとして以来、煮炊きに使っても怒られない火鉢が用意されてはいるのだが。
命婦たちは、もう、それも片付けてしまいたいようだった。
「こんなものをいつまでも出していては笑われてしまいます」
と言うのだ。
確かに、そろそろ火鉢を部屋の中で焚くと暑い感じの季節になってきた。
でも、こっそり美味しいものを作るにはそれがいるんですよ、と思いながら、鷹子は晴明とパンを焼く段取りの相談をする。
「まあとりあえず、生地を作ってみましょうか。
正解がわからないので、いろいろ分量を変えたりして」
丸をつけた酵母菌から使おう、と鷹子は丸をつけた瓶を集めてきてもらった。
陰陽寮に置いてきた瓶は此処のほど発酵が進んでいないようだったが。
それはそれで少し遅れて使えるから、まあいいか、と思う。
さて、まずは小麦粉。
でも、これ、強力粉じゃないんだよな。
薄力粉でも作れなくはなかったと思うけど。
普通のパンとはちょっと違う感じになっちゃうかも。
ま、パンっぽいものってことでいいか、とゆるく鷹子は思う。
そもそも、材料も器具もそろっていないうえに、レシピもあやしい状態で、完璧なものが作れるだなんて思っていない。
せめて、現代スイーツの片鱗をこの宮中で見たいだけだ。
鷹子たちは分量を変えながら、酒粕の酵母菌と小麦粉と塩と水を合わせてこね、生地が膨らむのを半日待った。
膨らんだ生地を分割し、丸めて休ませている間に、吉房がやってくる。
「あら、帝」
「……なんだ、この騒ぎは。
夜伽どころの騒ぎではないではないか」
今宵訪ねると文を出してあったろう、と言われる。
そういえば、なんか返事書いたな、と鷹子は思い出す。
「ちょうどよかったです、帝。
これからパンを焼くので、コーヒーでも飲んでお待ちください」
「コーヒー?」
「伊予」
と鷹子が伊予を見ると、はい、と頷いた伊予が手際よくコーヒーを淹れ、吉房と是頼に出した。
何杯も淹れたので、手慣れてきたようだ。
今も物陰では、付喪神たちが、どんどん、たんぽぽコーヒーを増産している。
「帝っ、まず、私がお毒見をっ」
是頼が器の中の真っ黒な液体を見て、吉房を止めた。
毒だとは思っていないだろうが。
またなんか得体の知れないものを作ってそうだと思ったのだろう。
恐る恐るコーヒーに口をつけた是頼は、意外にそうに目を見開く。
「うむ。
苦いですが、なかなか美味しいです、帝」
「是頼殿は大人の味がおわかりになるのですね」
と鷹子が微笑むと、吉房も口をつけてみていた。
だが、すぐに飲むのをやめる。
「……うむ。
なるほど、悪くない」
いや、悪そうですよ……。
「この苦味がいいな」
その苦味が嫌そうですよ。
「……砂糖と牛乳を入れても美味しいやもしれぬな」
カフェオレですかね。
なんか予想通りだ、と苦笑する鷹子の肩に乗っている神様が吉房に向かい言った。
「苦いのであろう、吉房っ。
我にはわかるぞ、この大人の味とやらが。
飲み慣れた味じゃっ。
まるで薬草汁のようじゃっ」
……神様も苦かったのですね、と鷹子は苦笑する。
「薬草か。
では、身体に良いのだろう。
神よ、しばらく浸かっていてはどうか」
と吉房は神様をつまんで、コーヒーにつけようとする。
もちろん、神様は飛んで逃げていたが。
「そうだ、是頼。
此処から帰るとき、東宮様ともうひとり、清涼殿の庭に居る霊にもコーヒーを運んで差し上げて欲しいのだけど」
と鷹子が是頼を見ると、
えっ? 誰と誰っ?
そして、何故っ!?
という顔を吉房と二人でしていた。




