おい、陰陽師……
「女御よ。
何故、それが頭に乗っておるのだ」
夜、訪れた吉房が鷹子に訊いてきた。
鷹子の頭に神様がへばりついていたからだろう。
「はあ、なにやら、怖かったようなんですよ。
中宮様の御簾の向こうに行こうとしたら弾き飛ばされて」
「……だから、お前、神様じゃないのか」
と呟きながら、吉房は神様を見ている。
だが、なんだかんだでやさしいので、そのままにしておいてくれるようだった。
「帝。
左大臣様の周りで今、なにか変わった動きとかありますか?」
鷹子は、
『そもそも、あなたさえ現れねば、このようなことには……っ』
と言う実守の言葉が気になっていた。
だが、何故かそこで吉房がビクつく。
なんなんだ、と思いながら、じっと見つめると、吉房は目をそらし、言ってきた。
「私はそんなこと望んでおらんのだが。
どうも、実守は自身の四の姫を入内させようと根回ししているようだ。
私はそんなこと望んでおらんのだが」
何故、今、二回繰り返しました? と思いながら鷹子は訊く。
「中宮様がいらっしゃるのにですか?」
姉妹で入内すること自体は珍しいことではないが。
娘のひとりは中宮なのだ。
あの左大臣のことだから、他の娘は次の天皇候補に回しそうな気がしたのだが。
こう言ってはなんだが、今の帝がいつまで帝でいられるかもわからないことだし。
「左大臣がなにを考えておるのかなんぞ、私にはわからぬわ。
ともかく、私はもうこれ以上、妻を増やすつもりはないっ」
そう吉房は言うが、
いえ、増えていただいた方がいいんですけどね、私的には……、と鷹子は思っていた。
そして、相変わらず、ただ泊まっていっただけの吉房が、清涼殿に戻る途中で倒れたという知らせが鷹子の許に入った。
「海坊主はなにをしてたんですか」
訪ねてきた晴明に鷹子は訊いた。
これも呪いのような気がしたからだ。
晴明は今、此処には居ない海坊主の気配を追うように後ろを振り返りながら、
「そろそろ海に帰りたがっていたので、帰っていってしまったのでしょうね」
と呑気なことを言う。
……そういえば、夜は庭に立ってたけど、朝には居なかったな。
朝だから、影が薄くなってるのかと思ったのだが。
「東宮様に祟っていただき、抑えていただこうにも。
東宮様が呪いの場から外れられた途端、魑魅魍魎のような輩が、わっと帝に襲いかかろうとしはじめたので。
もはや、東宮様が呪いの最前列に出てくるのは不可能かと」
呪い大行列か。
まあ、いつまでも東宮様の呪いをあてにしても悪いしな……と鷹子は思う。
帝のことも、うらやましいな~くらいにしか呪ってなかった温厚な東宮様。
早く上に上がっていただいて、心静かに過ごしていただきたい、と鷹子は思っていた。
「晴明。
他の帝を狙っているモノは、小物ばかりなのですか?
なにか強い呪いとかないのですか?」
これを抑えたらよいとかあるのだろうか、と思い、鷹子は訊いてみた。
もっとも、その呪いを抑えたら、また次の呪いが芽吹くのだろうが……。
だが、そこで、晴明は黙った。
この男にわからないことなどあるまいに何故黙る、と思いながら、その沈黙に負けずに几帳越しに見つめていると、晴明は小さく溜息をもらしたあとで言ってきた。
「それが今、帝に祟っているもっとも強い呪いは、私の一番苦手な分野のモノなのですよ」
稀代の陰陽師と言われる安倍晴明にもそんなものあったのか……と鷹子が思ったとき、晴明が言った。
「帝ともなりますと、多くのモノに狙われらっしゃいますが。
今、一番強く出ているのは……女性の怨念ですかね」
確かにこの人、女のドロドロとした怨念とか苦手そうだな、と思いながら、いつも通り無表情に整った晴明の顔を眺める。
「それは帝にどなたか、我々とは別に女の方がいらっしゃるという話ですか?」
その怨念が吉房に向いているのかと思ったが、違うと言う。
「そんなことはありえませんね。
帝は斎宮女御様に夢中なので。
ただ私、そう言った分野に首を突っ込むのが苦手だし、嫌なので」
嫌なのでって。
おい、陰陽師……。
「ですからまあ、詳しいことは詳しい人に訊いたらいいかと思いますね」
女の怨念のことは、女の怨念を発している人物に訊けと言うことか。
晴明の口調からして、その人物は鷹子のすぐ近くに居るようだった。
「私が訊いたところで口を割りはしないでしょう。
悪党のことは悪党に悪党が訊いたらいいように。
この世ならざるモノのことは、別のこの世ならざるモノに、また違うこの世ならざるモノが訊くが早いかと存じます」
「……すっごいもって回った言い方してるけど。
女の怨念のことは、女の怨念を発しているナニカに誰かが訊けってこと?」
その訊きに行く方のこの世ならざるものは誰? と鷹子は問うたが、晴明はその答えを避けるように、
「おっと。
長居してしまいましたね」
と立ち上がる。
「陰陽頭たちは帝の許で加持祈祷を行っておりますので、私も合流せねば」
行くぞ、青龍、と庭でぺこりと頭を下げた青龍を連れ、晴明は出ていこうとしたが。
おっと、と言うように立ち止まり、
「ありがとうございます」
と土産にと出していた干琥珀を抱え、去って行った。
意外に甘いものに目がないな……と思いながら見送っていると、頭の上で神様が笑って言う。
「この世ならざる女の怨念のことは、この世ならざる女の怨霊に、浮世離れした女が訊いたら早い、ということじゃろうな」
神様は鷹子の側にあった高坏に飛び移り、干琥珀を抱えると、シャリシャリと齧りはじめた。
なんか無駄に可愛いな、と思いながらその姿を眺める。