そこが帝のいいところ
「先の東宮様は帝になられる直前に亡くなられ、未練を残しておいででした。
なんとなくその辺をさまよっておられたのですが。
此処のところ、帝が斎宮女御様と仲睦まじくされている様子を見て、うらやましくなられたようでございます」
……どの辺が睦まじいのか聞かせて欲しいな、と晴明の言葉に鷹子は思っていた。
確かに最初ほどのよそよそしさはない。
だって、帝、砂糖くれるし。
砂糖くれるし。
砂糖くれるし。
……いや、砂糖をくれるだけなんだが。
この時代、砂糖は貴重なうえに、お菓子作りには欠かせないものだからな、
と鷹子が思ったとき、実守が意外な忠誠心を見せ、呟いた。
「……うーむ。
東宮様では調伏せよとは言いづらいのう」
鷹子の視線に気づき言う。
「なんですかな、女御様。
そんな顔でわたしを見て。
わたしだとて、東宮様のことは哀れだと思うておるのです。
最初から、東宮とは名ばかりで、今の帝一派に今にも追い落とされそうな方であったし。
いや、帝は温厚なお方だが……」
帝を担ぎ上げている辺りが温厚でないと言いたいわけですね。
「東宮様、ほんとうに流行病で亡くなられたんですかね」
ぼそりと是頼がそんなことを言い、ひっ、とみなが固まった。
帝になる儀式の最中の東宮の急死。
誰もが怪しんでいたのは確かだが。
なにせ、今の帝があのように裏も表もない人なので、みな怪しい噂話は忘れていった。
それを直属の部下自ら掘り返すとはっ、とみなが是頼を恐れる。
その空気に気づいたように是頼が言った。
「ああいえ、そういう噂もあったというだけで。
たまたまでしょうね。
だって、東宮様が亡くなられなくとも、どうせ早めに譲位するよう、促されていたでしょうから。
……まあ、左大臣殿が掌中の珠と溺愛しておられた中宮様を帝の方に嫁がされていたことからいっても、いずれ、そうなっていたでしょうしね」
「わ、私が呪い殺したというのか、東宮様をっ」
そのようなことはしておらぬわっ、と実守は叫ぶ。
「東宮様の許にもちゃんと娘を送り込んでおったからなっ。
どっちがどうなってもいいようにっ」
「……さすがですね、左大臣様」
思わず鷹子は口に出して言っていた。
まあ、そういうぬかりない人だから、わざわざ危険を犯して、東宮様を殺す必要はなかったかな、とも思う。
「東宮様は帝になれなかったことが未練だったのですかね?」
昨夜、東宮の霊が居た場所を見ながら鷹子は呟いた。
晴明が言う。
「それもあると思いますが。
もう少し、この世を楽しみたかったのでは?
だから、なにか人生を満喫した、と思うようなことがあったら、上られて、来世に向かわれるかもしれませんね」
この世を楽しみたかった、か。
まあ、生まれ変わってまた、帝になれる立場になるとも限らないし。
いろいろやりたいこともあったろうしな。
鷹子は、ことり、と欄干に柚子蜂蜜の飴を置いた。
手を合わせる。
それを見ていた晴明が、
「今すぐ祟って出ないようにすることはできますが。
それをすると……」
となにか言いかけた。
だが、
「では、出ないようにしろ」
と話途中で実守が命じる。
今、東宮様を哀れなとか言ってませんでしたっけ?
と思ったが、やはり、大事な娘婿である帝の方が大事なようだった。
「少しは祟らせてあげてはどうですか?」
そう鷹子が口を挟むと、
「なんですとっ?
帝になにかあったら、どうされるおつもりなのですかっ」
そもそも、怨霊にちょっと祟らせてやれとはなにごとですかと猛反論される。
「だいたい、女御様も共に祟られておるのですぞっ」
だが、そのとき、ひゅっと、なにか色鮮やかなものが目にも止まらぬ速さで廊下を横切った。
鷹子が目の前に置いていた飴が消える。
昨夜、東宮が居た庭先からではない。
後ろの御簾の方から、それはやってきたようだった。
全員が後ろを振り返ったが、なにも言わなかった。
そこが中宮の間だったからだ。
「……と、ともかく、なんとかしろ、晴明」
わかったな、と言って、実守は居なくなる。
晴明は溜息をつき、
「なにが起きても知りませんよ」
と言ったが。
その後、晴明が東宮を調伏しないまでも、力でおさえ込んたのか、どうなのか。
なにが原因なのかはわからないが。
翌日、吉房が熱を出して寝込んだことだけは確かだった――。