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あやかし斎王  ~斎宮女御はお飾りの妃となって、おいしいものを食べて暮らしたい~  作者: 菱沼あゆ
第二章 姿なき中宮

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あなたにお仕えします


「私はあなたにお仕えしますよ」


 え? と鷹子は晴明に訊き返す。


「あなたにお仕えします。

 なんなりとお命じください」


 そう言い、晴明は頭を下げた。


 どうやら女御と陰陽寮の役人という立場を超えて、鷹子に協力してくれると言っているようだった。


「帝の妃としては、どうかと思うところもありますが。

 あなたはいずれ、国母になられる方かもしれませんしね」


 いや、どうでしょうね、と曖昧に鷹子は言ったが、晴明は言う。


「あなたの他に帝のお世継ぎをお産みになられる方はいらっしゃいませんから」


 もう日が落ちはじめていた。


 女房たちが早めに用意してくてれいた灯台の仄暗い灯りに照らし出された晴明の白い顔と、辺りを(はばか)るような口調に、ぞくりとする。


 晴明が触れてはならぬ話題に触れようとしている気がして。


 だが、晴明は、その言葉につづけて真顔で言ってきた。


花朧殿(かろうでん)の女御なんて、帝が迫ろうものなら、投げ飛ばしそうですしね」


 ちょっと吹き出しそうになったが、どうも真面目な話のようだった。


 花朧殿の女御が国母となられることはない。


 それと同じくらい中宮様も、ない。


 そう晴明は言っているのだ。


 中宮様と帝は年周りも程よく、花朧殿の女御のように、帝をこの小童(こわっぱ)が、などと思っていそうにはない。


 左大臣も中宮様がお世継ぎをお産みになられることを望んでおられるのだろうに。


 何故、中宮様は帝の前にすら、姿を現さないのか――?


 鷹子は黙って、灯りのせいで、ゾッとする程綺麗に見える晴明の顔を見つめていた。



 その日は、しとしと雨が降っていて。


 鷹子は帝の夜のお召しで、清涼殿に居た。


 とは言っても、ほんとうにただ、ふたりで夜を過ごすだけなので、並んで、ぼんやり庭を眺めていた。


「いい雨だな、女御よ」

「そうですね」


 雨か。


 雨と言われて鷹子が真っ先に思い浮かべるのは、水はけの悪い古いアスファルトの道だった。


 雨が降り出して初めて、靴底に穴が空いていることに気づき、靴下がびしょびしょになって学校に行った。


 ……ロクな記憶じゃないな。


 こんな私が雨の雫が落ちて震える草花を見て、風流だとか語る日が来るとは思ってなかったな。


 鷹子が沈黙している間、吉房も沈黙していた。


 だが、二人の沈黙の理由は違っていた。


 鷹子は登下校中、雨でひどい目に遭ったことを次々思い出していたのだが。


 吉房は口から出そうとしている言葉にためらい、長い間を持たせていただけだった。


 しっとりと降る雨を背に吉房が言ってくる。


「女御よ。

 お前はいつ、私のものになってくれるのだ?」


 この人いい人だな、と鷹子は思った。


 帝って立場なんだし、私はこの人の妻なんだし。


 いきなり手籠(てごめ)にしても、私は文句を言える立場にないのに。


 ちゃんと私の意思を尊重してくれる。


 だが、そのとき、花朧殿(かろうでん)の女御に投げ飛ばされる吉房がふたたび頭に浮かび、笑ってしまった。


 吉房は困ったように言ってくる。


「……私のものにならないのに、そのように可愛らしく笑うでない」


 いや、可愛らしくは笑っていません。


 悲壮な夫の姿を想像して可愛らしく笑うほど、ひどくはありません、と思いながら、鷹子は訊いてみた。


「……とある方が言っておられました。

 帝の子を産みそうなのは私くらいだと」


 どういう意味ですか? と口に出しては問わなかった。


 だが、吉房は雨を見たあとで、振り向き、言ってくる。


「それは、私が愛しているのはお前だけだからだ」


 その眼差しに、不覚にもドキリとしながら鷹子は思っていた。


 ……違うのではないですか?


 晴明が言っていたのは、そういう意味ではないのではないですか?


 だが、吉房はまた違うことを言う。


「あんなことがあって、私は帝になった。

 私の御世も長くはないと思っている(やから)も居る。


 私の子が天皇になることはないやもしれんな」


 誰もが口を(つぐ)んでいることを吉房は自ら口に出した。


 本来、父の後を継ぎ、帝になるはずだったのは、吉房ではなかった。


「帝となるまでの過程に、なにがあったとしても関係ございません。


 あなたが帝となり、今、そこにそうしていらっしゃるのは、あなたが帝となるに値する人物だったから。

 それだけです。


 この国を守る神々があなたを帝として選ばれたのです」


 斎王である鷹子がそう言い切ると、鷹子……と吉房は鷹子を見つめてくる。


 だが、吉房が鷹子に近寄り、その手を握ろうとした瞬間、鷹子の頭上にそれは現れ、吉房に向かい、言い放った。


「私は別にお前を選んではおらぬがなっ」


 立ち上がった吉房は鷹子の頭によじよじとのぼってきた、そのちっちゃな神様をひょいとつまむ。


「別にお前に選んでもらわずともよいわっ」


「なにを無礼なっ。

 私は鷹子とともにこの国を守っておったのだぞっ」

と騒ぐが神様は吉房にバチを当てる様子もない。


 当てないのか当てられないのか。


 ぎゃあぎゃあ二人は揉めはじめたが。


 まあ、この方が賑やかでいいか。


 襲われなくて済みそうだし、と思いながら、鷹子は欄干から雨にけぶる庭を見る。


「今回は葛、大活躍だったので、庭で栽培しようかと思ったんですけどね~。

 あれは大繁殖するからと命婦たちに止められましたよ」


 そう呟いたが、ふたりも罵り合うのに必死で聞いてはいなかった。


 そういえば、葛は日光や風でよく葉が裏返り、また、その裏が意外に白いことから、裏見草(うらみぐさ)と呼ばれている。


 それで恨みとかけて、よく和歌に詠まれていたようなのだが……。


 一首も思い出せんな、と鷹子は思う。


 ああでも確か、

「恋しくば 訪ね来てみよ 和泉なる 新太の森の うらみ葛の葉」

 ってあったな。


 浄瑠璃や歌舞伎に出てくる歌だけど。


 ……安倍晴明を産んだ狐のお母さん、葛の葉が出てくる演目だったな。


 狐であると正体がバレた母親が、この歌を残し、晴明の許を去ったと言われている。


 晴明、しっぽがあるようには見えないけど。


 ほんとうに狐の子なのだろうか?


 あっさり、あやかしを呼んで、プリンを凍らせてくれた姿を思い出せば、それも嘘ではないかのように思えるが。


 帝と神様が騒いで夜は更け。


 鷹子は今日も襲われずに済んだ。



 朝、鷹子は帝の寝所から戻る途中、しんとして人気がないように感じられる中宮の住まいの前で足を止めた。


 下ろされた御簾の前に、紅梅色の薄い和紙でキャンディのように包んだ飴をことりと置く。


「女御様……」


「行きましょう」

と命婦に言い、鷹子はそこを立ち去った。


 美しい装束の一団が去りゆく中、御簾と御簾の隙間から品の良い桜のかさねの袖口と白い手が覗いた。


 鷹子が置いていったキャンディを手にとる。


 だが、鷹子たち一行の誰もそれに気づくことはなかった――。



                              「姿なき中宮」 完





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[一言] 中宮さまは、飴をお受け取りになったのでしょうか?
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