怪しい洞穴に行ってみました
さあ、早く済ませて、プリンの許へっ。
鷹子が別の硯箱の蓋を開け、講義を聞く準備をしていると、いつの間にか現れた神様が鷹子の袖をよじよじと登ってきて、頭に乗る。
神様なので、ふわっと髪の毛が揺れる感じがあるだけで、重さはなかった。
「やれやれ。
危うく調伏されるところであった」
此処は恐ろしいところじゃ、と言う神様に、
「いや、神様、神様なんですよね……?」
と鷹子は言う。
怨霊じゃあるまいし、陰陽師に調伏されてどうすんだ、と思っていた。
「神様、何処行ってらしたんですか?」
「いやいや、プリンが気になって、あの小童のあとをついて行こうとしたのだが、ハグれてしまって」
散歩中、狂犬に襲われた猫のようにぷるぷるしている神様をぽんぽん、と叩き、
「では、しばらく、そこでまったりしててください。
あとで連れて行って差し上げますから」
と鷹子は笑った。
晴明は洞穴に様子を見に行ったあと、鷹子が居る建物へと戻ってきた。
もう陰陽寮側の講義は終わったのか、みな、熱心に鷹子の話を聞いている。
外から見ている晴明に気づいた一人が振り向き、小声で、あ、晴明様、と笑顔で言ってくる。
「斎宮女御殿の講義はどうだ?」
「はい。
端的で大変わかりやすく、あっという間に講義も終わりそうです」
みな、鷹子が有能なので、講義内容が早く進んでいる、と思っているようだが。
理由はそれだけではないだろうなと晴明は思っていた。
きっと早く終えて洞穴に行きたいんだな……。
時折、風が吹き、几帳の隙間から鷹子の姿が垣間見える。
マヌケなことさえ言わなければ、気高く麗しいその姿に、
さすが、元斎王様にして、帝がご寵愛されるお方、とみな、ひれ伏さんばかりになっていた。
高貴な深窓の姫宮といった風情の鷹子だが。
何故だか自分は、そうではない鷹子を知っている気がしていた。
鷹子の話が一段落したところで、晴明は建物の中に入り、声をかけた。
「ご講義ありがとうございました、女御様。
少し陰陽寮の中をご案内致しましょう」
そのとき、ちょうど風が吹いて、また鷹子の顔がチラリと見える。
その嬉しそうな表情も、遠い昔に見たことがある気がしていた。
此処に来てから二時間くらい。
冷蔵庫ならかなり冷えてるんだけど。
そう心配しながらも、鷹子は輦車で運ばれ、陰陽寮の中を見て回る。
建物から建物へは、わざわざ牛車で回るほどの距離ではないので、女房たちは歩いていた。
普通のお役所だなと最初は思ったのだが、呪術の道具や星の観測用の器具などは面白かった。
ひんやりした建物の一階にある、時を知るための水時計も水遊びができる公園や商業施設にある階段状に水が流れるスポットなどを思い出し、悪くなかった。
だが、問題は此処からだっ。
輦車は謎の洞穴に向かって進む。
陰陽寮の建物の裏に小高い山があって、崖になっている場所がある。
シダで覆われたそこには、木の扉がはめ込まれた洞穴があった。
「此処から地下へ下ります。
大丈夫ですか? 女御様」
と晴明が振り返り訊いてくる。
輦車を降りた鷹子は、望むところですっ、と思っていたが、晴明は鷹子の足許を見、
「少し湿っている箇所もあります。
輦車が入れるような広さはないので……」
と少し考える風な顔をする。
「お抱きして運んだ方がいいような気もするのですが」
そこで、女房たちが何故か目を輝かせた。
彼女らは、
女御様を抱きかかえる晴明様っ。
晴明様の腕からこぼれ落ちる女御様の色鮮やかな御装束。
お美しいお二人の顔が近くにあって、見つめ合うとかっ。
まるで絵巻物のようですわっ、と期待していたのだが、鷹子にはそれがわからず、どうしたんだろうなと思い、みんなを眺めていた。
「私などが女御様をお抱えするのはご無礼でしょうから、どう致しましょうか。
かと言って、此処に帝に来ていただくわけにも参りませんしね」
女御の足許が汚れるから、抱えて運べと帝に命じる陰陽師。
問題あるな、と鷹子は思っていた。
晴明は、
「式神に運ばせましょうか」
と提案したあとで、晴明は鷹子を見、
「屈強な鬼に運ばせましょうか」
と言い換えてくる。
「……そんなに重くないから」
思わず鷹子はそう言ってしまったが、
いや、お召し物がですよ、と晴明に言われた。
「大丈夫よ。
そんなことより、早く行きましょうっ」
ささ、早く早くっ、と鷹子は晴明を急かす。
ずんずん晴明について歩いて地下へと下る鷹子を振り返りながら晴明は言った。
「女御様は、ずいぶんと立って歩くのに慣れていらっしゃるご様子」
普通、身分高い姫たちは立って、あちこちザカザカ歩いたりはしない。
「……都の者たちの目の行き届かぬ伊勢では、かなりお好きにされてたんでしょうね」
横目にこちらを見る晴明に、その通りでございます、と苦笑いする。
緩やかに地下に続く洞穴の突き当たり。
小部屋のようになっているところに入ると、突然、
ホホホホホホホホ、と誰かの笑い声がした。
ひっ、と女房たちが息を呑む。
「ああ、これです」
と晴明が棚のカゴの中に入っていた翁の顔のついた梨のようなものを見せる。
長いヒゲのようなものまであるそれを、晴明は彼女らを安心させるために見せたようだが。
当たり前だが、みな、余計にビビっていた。
「珍しい果物などお探しのようだったので、これを女御様にと思ったのですが、青龍に止められまして」
ずっと洞穴でプリンを見張っていたらしい青龍がそんな清明の言葉に苦笑いしていた。
止めてくれて……
「ありがとう、青龍」
と鷹子はそこだけ口に出し、青龍に礼を言う。
いえいえ、もったいないお言葉、と照れたように青龍は言った。
「でもそれ、泥棒避けにいいですね。
入ってきた人が居るとそうして、鳴くんでしょう?」
思ったより室温、低くないようだ、と不安になりながら、鷹子は狭い洞穴の中を見回し言う。
「鳴くだけですけどね」
と言う晴明に、
「でも、ビビって逃げ出すかもですよ」
と言ったあとで、あ、ビビるとか言っちゃった、と思ったのだが。
よく考えたら、ビビるという言葉は、この時代にも使われている言葉だった。
ビビるという言葉が平安時代からあるというのは嘘、という説も現代ではあったようだが。
少なくとも、この異世界では使われている。
「女御様っ、いよいよですねっ」
翁の実を気味悪がりながらも、プリンへの期待の方が上回っているらしい命婦が手に汗握り、言ってくる。
「では、開けてみましょうか」
と晴明が硯箱の蓋を開けてくれた。