晴明を呼べ
「みな、気もそぞろなようですね。
斎宮女御様がお出ましだからでしょうか」
自分も左大臣たちも頭が上がらぬ老獪な老人たちが御簾の向こうで、そう言い笑い合うのを天皇、吉房は聞いていた。
確かに。
みな、御簾の向こうに居る美貌の元斎王が気になって仕方ないようだった。
月を見るために灯りは最小限にしてあるが、御簾の向こうのわずかな灯りにほんのりと照らし出される鷹子の影を見ただけで、みな落ち着かなくなるようだった。
私もほとんど見たことないからな、妻なのに……と吉房は思っていた。
「うらやましいですなあ。
あのような方を妻にできるのは、神と帝だけだとみなが申しておりますよ」
こちらに聞こえるように老人たちは言う。
庭の宴を眺めている彼らからは、風に乗って良い香りがしてきた。
それぞれが家に伝わる秘蔵の香をつけてきているようだった。
老人たちは香にも香の付け方にも年季が入っていて。
若造め、と笑われている気がする、とつい深読みしてしまうのは、まだ帝となって日も浅く、自信がないからだろう。
それにしても、あれが妻で、うらやましいとか。
……いや、どうなんだろうな、と吉房が思ったとき、急に強くなった風が晴れた空に雲を押しやり、月を隠した。
その瞬間、ヒョーヒョーというなにかの鳴き声が宴をしている庭に響き渡った。
不気味なその声は東に西にと移動しながら、いつまでも聞こえている。
みながざわつき、怯えはじめた。
「あの声は……」
「鵺じゃっ。鵺が出たぞっ」
「ひいっ。
私の耳許でっ」
「いや、私の後ろだっ」
とあちこちで叫び声が上がる。
ばたばたとみな、慌て出す。
だが、帝である自分の手前、この場から逃げ出すこともできないようだった。
吉房はひとつ溜息をつき、
「安倍晴明を呼べ」
と近くにいた者に命じた。
再び現れた月を背に、色白で細面の男が現れた。
白い狩衣を着た彼は、
「大変な騒ぎですな」
と言ってくる。
この美しい顔の男は陰陽寮に入ったばかりの若き陰陽師、安倍晴明だ。
晴明は神妙そうな顔を取りつくろってはいたが、その目の奥は愉快そうに笑っていた。
「晴明、私は良い、鷹子を頼む」
「ですが……」
「私はあのようなものを恐れるようにできてはおらぬ」
さすが、帝、という目で周りの者たちは見ていたが、晴明は笑い、
「御意」
と一礼して去っていった。
晴明が去ったあと、ぼそりと吉房は呟く。
「まあ、鷹子もなにも恐れてはおらぬだろうがな」
と――。