地獄の業火に焼かれても……2
鷹子は今日も美しい。
浮世離れした雰囲気の鷹子がつまびく琴の音も美しい。
御簾を上げさせた吉房は月の光を浴びた鷹子を無心に眺める。
だが、その鷹子がふいに手を止めた。
「どうした?」
吉房が訊くと、鷹子は眉をひそめて呟く。
「いえ、こんな時間に琴弾くとか騒音ですよね~と思って。
近所の人に撲殺されませんかね……」
「近所の人……?」
吉房は周囲を見回した。
近くに控えていた命婦と目が合う。
命婦は慌てて手を振っていた。
「近所の人というのがよくわからないが。
お前の美しい演奏を聴いて、迷惑だと思う人間が居るはずもないだろう」
「いやいやー、聴きたくない人に無理やり聴かせたら、どんな音楽でも騒音ですよ。
ところで帝。
昨日も来られたのに、何故、今日もお越しに?」
切れ長の目で自分を見つめ、鷹子はそんなつれないことを言ってくる。
そのつれなさにゾクゾクする
……とかいうわけでは、決してない。
「……来てはいけないのか」
子どもが反抗するようにそう言ってみたが、
「たまには他の方を訪ねてみられてはどうですか?」
と鷹子の反応はなおもつれない。
だが、他の方、という言葉に、吉房は溜息をついて言う。
「私にお前の他に妻など居ない。
訪ねていったら、なにしに来たの、と言いそうな女御と、そもそも存在しているのかも怪しい中宮くらいしか」
元義母の花朧殿の女御と、左大臣に押し付けられたうえに近年見たことがない中宮。
帝だというのに、妻に恵まれなさすぎではないか? と吉房は思う。
まあ、どんな結婚にまつわる不幸も、この斎宮女御ひとりでお釣りが来ると思っているのだが……。
「それに、帝自らおいでになられなくとも、お呼びになれば、私から参りましたのに」
真っ直ぐに黒い瞳で見つめられ、どきりとしてしまったが、
「そしたら、好きなときに帰っていいですよね?」
と鷹子は言う。
「待て」
と吉房は言った。
「夜のお召しというのは、そういうものではない」
「では、どういうものなのですか」
斎宮という穢れなき神の世界で生きてきた妻に、夫婦とはこういうものだと力づくで教えるのも野暮だ。
命婦たちがさりげなく居なくなった居室を見回し、吉房は咳払いしながら訊いてみた。
「今日は居ないのか、伊勢の神とやらは」
「おられますよ」
と言う鷹子は物陰を見たり、天井を見たりしている。
「……何処に潜んでるんだ、その神様は」
ネズミかなにかか、とつい、無礼なことを言ってしまう。
鷹子は、あー、いえいえ、と笑って答えなかった。
一体、どうしたら、この妻の心が自分を向くのか……。
考えあぐねた吉房は鷹子に訊いてみた。
「鷹子よ。
牛の乳以外に欲しいものはないのか」
「ございますが。
それを求めることは、帝に逆らうのと同じことですので」
憂い顔で鷹子が言う。
「一体、なにが欲しいのだ」
それを与えたら、鷹子は花のように笑ってくれるだろうかと、つい、身を乗り出して訊いてしまう。
だが、鷹子は沈痛な顔をし、
「……口に出すのも憚られるものですので」
とだけ言った。
口に出すのも憚られるものって、なんだっ!?
と思いながら、吉房は香を焚きしめた鷹子の髪が夜風に揺れるのを見つめていた。