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帝のお渡り


「晴明。

 ちょっとお忍びで出かけたい。


 式神で我らの偽物は作れるか」


 そう吉房に問われた晴明は、

「そんな不敬になりそうなものは作れませんが。

 どうせ、御簾の向こうでなにも見えないでしょうから」

と式神で人形のようなものをふたつ作り、御簾の中に置く。


「では、女御よ、参ろう」

と言う吉房とともに、鷹子は牛車に乗って、お忍びで里に出た。


 かなり走った山の中、山桜は散っていたが、ぽつんと一本の大きなしだれ桜だけが咲いていた。


 日はもう落ちかけ、一望できる里は青紫の夕闇に染まっている。


「まあ、素敵ですわね」


 帝はその場所に繧繝縁(うんげんべり)の畳を二枚敷き、その上に方形の敷物、(しとね)を敷かせ、更に胡床(あぐら)という折り畳みの椅子をふたつ置かせていた。


 そのふたつの椅子の真ん中に脚を外側に反らせて彫刻を施した美しい花足(けそく)の机がある。


 ……これ、仏前で使うやつでは、と鷹子は思ったが。


 しだれ桜の前に二つの篝火(かがりび)を灯させた吉房は鷹子を茵の上に立たせて笑う。


「どうだ、女御よ。

 『おーぷんかふぇ』だ」


 しだれ桜ももう終わりが近いようで、風が吹くと、花びらが一斉に舞う。


 篝火に照らし出されたその光景を見ながら、鷹子は笑って言った。


「……ありがとうございます。

 では、みんなでいただきましょうか」


 ほんの一切れしかないお菓子を命婦に更に小さく割ってもらい、命婦もいっしょにみんなで花を眺めながら食べた。


「甘くない……。

 けど、野苺の甘酸っぱさでいい感じになってますね。


 ちょっとふわっというか、ぬるっとした感じのカイマクも癖になる味でなかなか」


 ほんの一口ではあったが、鷹子は、にんまりとする。


 でも、改良に必要なのはやっぱり甘味だな、と思っていた。


 今まで見たこともない不思議な菓子に、一同は満足したようだった。


「帝、ありがとうございます。

 とても素敵なおーぷんかふぇです」


 ……うん、と吉房は照れたように俯いた。




 夜、帝のお渡りがあった。


 いや、昼間も来たんだが……と思いながら、鷹子は吉房を出迎える。


「女御よ。

 甘さが足りぬと言っておったから、蜂蜜と甘葛(あまづら)を持って参ったぞ」


 甘葛(あまづら)とはツタの樹液を煮詰めて作った甘味料だ。


 上品な甘さで、正直そんなに甘くはないのだが。


 わずかな量を作るのにも大変な労力を要する代物(しろもの)だ。


「もうあの菓子はないのであろうから。

 ちょっと寒いが、(けず)()を持って参った」


 銀の器に入ったかき氷に甘葛をかけていただく。


「いいですね。

 贅沢な感じがします。


 あの、塊のままの氷はないですか?」


「うむ、あるぞ。

 酒にでも入れるか」


 金属の盃に入った甘い酒に、氷を入れると滑り落ちて、かろん、と甲高い音がした。


 鷹子はその氷の塊入りの酒を月に掲げて笑う。


「オン・ザ・ロックですね」


「おんざろっく?」

と訊き返したあとで吉房が言う。


「本当はあそこで宴会をやりたかったのだがな。

 あまり堅苦しいことをして、お前がまた(ぬえ)を呼んできても困るしな」


「あれっ? お気づきでした?」

と言って鷹子は笑った。


「いつの間に鵺を飼い慣らした」


 その問いには鷹子は答えなかった。


 また同じ手が使えなくなっては困るからだ。


 だが、吉房には、なにもかもバレている気がした。


「ま、それはともかく、とりあえず、今夜はオンザロックで」


 鷹子は月に盃を掲げる。


「いい夜だな」

「そうですね」


 月明かりと心地よい夜風の中、鷹子は言った。


「ひとつ、歌でも詠みましょうか」


「ほう。

 珍しいな。


 お前が進んで歌を詠むとか」


 夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを


  雲のいづこに 月宿るらむ――。


「ほう。

 素晴らしい歌だが、


 ……まだ夏じゃないぞ」


「そうですね……」


 しかも、百人一首からのパクリだ。


 いや、単にこの歌が好きなのだ。


「もう一杯呑むか」


「はい」


 帝自ら酒を注いでくれ、器に氷を落としてくれた。




 その頃、左大臣 実守(さねもり)は、


 あの一癖ありそうな女御のことだ。

 狙わぬと言って、油断させたあと奪いにくるかもしれん、

と荘園までわざわざ出向いていた。


 冴え冴えとした美しい月を見上げもせずに、非時香菓と思われる小さな木の周りをウロつく。


 呆れたように部下たちに、

「左大臣、もう戻られませんか~?」

と声をかけられながら。




 朝を待たずに、呑んだだけで帝が帰ったあと、鷹子がひとり寝所に居ると声が聞こえてきた。


「変わった菓子を作ったのではなかったのか」


 ああ、と鷹子は笑い、

「ちゃんととってありますよ。

 破片ですけど」

と言い、枕許にそっと、包んでおいた菓子の欠片(かけら)を置いた。


「何故、私が人間のあとだ……」


 そんな声に鷹子は笑って言う。


「すみません。

 やっぱり神様が先ですよね」

と。


 強い風に御簾が巻き上がり、思わずそちらを見た鷹子が振り向いたとき、菓子の破片はもうなかった。




                               「第一章 鵺が鳴く夜」 完




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― 新着の感想 ―
[一言] 甘いものって、なかなか手に入らなかったのですね。 やっぱり砂糖の味に慣れちゃった高校生には、物足りなさそう。
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