特別授業を客観視しよう。
バイトリーダーの律子さん目線のお話です。
「俺、10時ピッタリでバイト終わるから。ってか5分前には全ての仕事を終わらせるから。」
山下が彼女を送り届け、帰って早々にオサムに宣言する。それをオサムはハイハイと疲れ切った表情で答える。
「……ところで、オサムさん。貴人さん。」
急に山下の声が低くなったことに2人は肩を震わせる。
「…次はないから。」
一瞬だけ彼の顔を見てしまった。
笑顔があんなに怖いなんて初めて体験した。
今日の体験を振り返り、バイトの律子は深い深いため息をつく。
♪〜
12時過ぎに電話が掛かってきた。
バイト先のオーナー、オサムからだった。律子は今日3時からバイトなのでそれまでに大学の課題のレポートをやってしまおうと近くの図書館に行っていた。
図書館から出て電話の通話ボタンを押す。
「お疲れ様です。どうされました?」
「悪い!リツコ!今どこだ?今からバイト出てほしんだが来れるか?」
珍しく焦ったオサムの声がする。
オサムの経営するバーレストランはひっそりとした場所にあるお洒落な店だ。大人っぽく落ち着いた雰囲気が人気で常連客も多い。しかしそうゆう客は夜に来ることが多く、昼間から来るのは大学生など若い子が多い。金額設定からして学生に夜は無理だからだ。
「はい。大丈夫です。今、近くの図書館にいるんですぐ行きます。」
「助かる!今から勇也にも連絡するから。」
「え……でも彼……。」
「うーー!わかってる!でも仕方ない状況で……あ、リョウ!これ持ってけ!…兎に角、頼むな!」
ブツリと電話が切れる。
律子は慌ててバイト先に向かいながら、昨日の山下のことを思い出していた。
「明日も12時からバイトでしょ?」
「ううん。明日は5時からに変えてもらった。ちょっと予定入って…。」
「デート?」
「違うよ。でもめっちゃ楽しみにしてる。」
そう顔を綻ばせていた。
はたして彼は来るのか、もし来た時に彼はどんな顔をするのか少し気になった。
バイト先に着いて更衣室で服を着替える。そしてフロアに出ると山下がすでにマックススピードで働いていた。
顔を見ると爽やかな笑顔を貼り付けており石像のようにそれをキープしているのがわかる。
怖っ……と思い、すぐに手伝いに走る。
「お疲れ!来たんだ。」
「うん。仕方なく。」
石像スマイルは変わらないはずなのにオーラが黒い。もうそれ以上はこの話は止めようと口をつぐむ。
このイケメン高校生に初めて会ったのは半年前だ。新人バイトとしてオサムより紹介された。
キレイな顔と落ち着いた佇まいに他のバイトの女子が色めき立つ。
「えーと。指導者にリツコ。頼むな。」
「えー!私が指導したい!」
カヤが立候補する。
いや。あんたいつもバイトサボってんじゃん。嫌な客の所には行かないし、イケメン見つけたらそこばっかり行くし!そんなことを考えていると、山下から「お願いします。」と目を合わせ話しかけられる。
「えー。」とカヤから不満が上がっているが彼は気にも止めていない様子に好感が持てた。
彼は教えたことをスイスイ吸収していく。とても教え甲斐がある。それにとても気が効くのとコミュニケーション力が高いことがわかった。
面倒な客にも進んで対応し満足させる様子を何度か見たことがある。それに他のバイトに対しても「あ、これ俺が持って行くのでこっちお願いします。」と交換されて不思議に思ってると代わってもらった方の席にカスハラ常習犯が居たりする。
そんなバイトはもれなく山下に惚れるのだが、それを見ていた他のバイトもしっかり惚れてしまうのだ。
そして彼は仕事さばきが早い。
まだ指導係だった時、ピーク時の忙しい最中、お客様から注文を聞いて帰る際、必ず近くのお客様にも注文を聞いていた。忙しい時に仕事増やさないで!と思っていたが、彼の行為で忙しい時間が1割短くなるのがしばらくしてわかった。
そんな彼だが女子にとてもモテるのに、対応が誰に対しても同じだ。男女変わらない笑顔で話し、仕事が始まるとサクリと会話を切り仕事を優先させる。
誰に誘われてもやんわり断り、誰に対しても同じ柔らかい口調で話す。
そんな彼が時々、律子に対しては素で話すことがある。
「あ〜。今日忙しかったー。」や「ねぇ。メールって何時までならしていいと思う?」といつもすました彼には珍しい口調だ。
一度、どうして皆にはそんな口調で話さないのか聞いてみたことがあるが、彼は「だって面倒だから。律子さんならいいかなって思って。」と言った。
自分のテンションが上がるのがわかる。
もしかして彼は……など思ってしまうのは仕方のないことだ。
そんなことを考えながらの今日の事件だ。
バイトを優先させて来た彼が『ツクモ』という名前に反応し、仕事を放り出し走って行った。唖然とその姿を見ていたが、その後ろでオーナーのオサムが頭を抱えている。
「うわぁ〜。絶対あとでグチグチ言われる。絶対恨まれる。」
そう呟いていた。
そんな彼が少しして戻って来た。そして律子にコソリと話し掛ける。
「ねぇ。律子さん。向かいに下着のショップがあるよね。悪いんだけど女の子の下着買って来てくれないかな。」
真っ赤な顔をした山下の言葉に驚かないわけがない。
「彼女?」
「いや………。うん。」
更に真っ赤になる彼に、自分の心がスッと冷めて行くのがわかった。
「サイズはどのくらい?」
「え!……サイズ?……えっと、ふ、普通。」
「普通のサイズなんかない。」
「…………っ!……と、……兎に角、細身の女の子のサイズを適当に!」
そう言ってバイトに逃げるように入って行った。
仕方なく、あまりサイズが関係ないブラトップシャツとMサイズの下着を買って彼に渡す。
彼は「ありがとう。」と見たことのない笑顔を浮かべてまた少しの間バイトから抜けて行った。
そして1時間程すると女の子を連れてバイト先に来る。
「あ、九十九。この人がベテラン先輩の良一さんで、この人がバイトリーダーの律子さんで、この人がバイト遅刻して来た貴人さん。」
そう紹介されながらも彼の想い人が意外なタイプなことに少し驚いた。
多分、フワフワの可愛い女の子を連れてくるのだろうと思っていたが『ツクモ』さんは真面目そうで口数が少なく、少し根暗気味な普通の女の子だった。
しかし隣にいる山下がとんでもなく顔を緩めているので意中の子に違いないのだろう。
しかも、暴走している山下を「シッ」と指を立てて抑えているのをみるとパワーバランスからして彼女が上なのだろう。
暗に黙れと言われて口をつぐんだ山下を、ザマァミロとばかりにニヤリとしたオサムに対し、熊でも殺せるような視線を返していたが、それは見なかったことにしよう、と思った。
彼女を送って行くと言い彼女の手をサッと繋いで行く。
今までの半年間、バイトを鬼のように入れている彼とは長い時間を過ごしたつもりでいたが、彼にとっての律子もその他の子と同じだったと改めて知らされてしまった。
だってあんなに表情豊かな彼は初めて見る。
なんてイタイ勘違いをしてしまったのだろうと恥ずかしくなった。
「うーー。マジ怖い。あいつが帰ってきたら何て言われるか…どうかご機嫌で帰って来ますように。」
そうオサムは呟き仕事に戻って行く。
からの冒頭へ戻る。だ。
どうやら、オサム曰くご機嫌の方だということなのでそれは良かったとホッとする。
それからの彼は宣言を実現する為に、鬼のように動いた。昼と同様の忙しさだったがご機嫌な様子で全く足が止まらずにスルスルと軽く面倒な客を乗り越えて行く。
「マジ、九十九ちゃん尊敬するわぁ〜。毎日10時から電話の約束してくれねーかな。」
オサムの呟きに、そんなことでか。と唖然としてしまう。しかし、時間が刻々と過ぎると比例したように山下のテンションも上がってくる。
そして9時55分には店の裏方で山下がケータイをガン見しているのに従業員、バイト全員気付いたがスルーしていた。
お客様からのオーダーなどは一切ない。
それまでに彼がしつこいほど、何かございませんか?と聞き回っていたからだ。
10時になったとたん「九十九!お疲れ!うん。ありがとう。」と彼の元気な声が響き、そのままフェードアウトしていく。
多分そのまま帰って行ったんだと思う。
律子にとって長い長い時間が終わっていったのだった。
読んでいただきありがとうございます。




