特別授業のお時間。〜気付きました〜
「ねえ!九十九から『着きました』メールが来ないんだけど、少しだけメールしてきていい?」
山下が少し焦り気味に訴える。
そんな彼をオーナーのオサムはジロリと睨みつけた。
「んな時間あるか馬鹿!早く出来上がったもの運べ!つーか飲み物の注文すげー来てる!早く持ってけ!」
大音量の怒声が厨房に響く。元々、昼からの勤務だった良一と呼び出しをくらい早くに来た同じバイトの律子はそれを聞くや高速で料理を運んでいく。
「だっていつもだったら10分くらいでメール来るのに、もう20分も経ってんだよ。何かあったのかも。事故に巻き込まれたか、誰かに……うわぁーめっちゃヤバイ!」
「バァーーカ!お前じゃないんだから昼間から襲わねーよ!…つーか電話越しにイチャイチャしやがって気持ち悪い!」
「はぁ?!自分で電話してきたんだろ?邪魔したくせに!…つーか!人間だけじゃないかもしれねーじゃん!熊とかに襲われたらどうすんだよ!」
「いねーよ!つーかテメー!風評被害でうちの店潰す気か?あ?馬鹿なことぼやいてんじゃねーよ!…リョウ!ほら、出来たぞコレも運べ!」
「店潰さないようにする為に来たんだろ!来たくなかったけど!仕方なく!…あ、飲み物とパフェ全部用意したんで良一さん運ぶついでにドア開けてください。」
叫び合う2人を横目に良一が「何であの2人、あんなに怒鳴りあってるのに手が止まらないんだろう。」と呟く。
すると律子は「あれを参考にしたらダメだから。」と諦めた表情で呟き返した。
ピーク時のオサムと山下のスピードはすごい。
手と足も速いが、特に速いのが頭の回転だ。
どうすれば効率がいいか、どの順番でこなせば苦情もこずスムーズにいくか、その見極めが兎に角速い。
止まって考えることがないということは、作業をしている最中に次のことを考えているのだろう。
時々、オサムと山下は分身して2つの身で動いているのではないかと錯覚する。
エンドレス短距離走をしているような状態が1時間近く続いて、ようやく注文が落ち着い時には全員が息を切らしていた。
「はぁー。はぁー。疲れた…。」
「お疲れ!つーか、もうすぐで予約客くるからな。少し休め。」
「うわぁあぁ〜〜〜。」
オサムの発言に良一と律子は絶望の声が出る。
「メールしてきていい?」
「ああ。つーか早くな。」
山下がケータイを取り出そうとした時に「お疲れ様でーす!」と軽快な声が聞こえてきた。
「「「貴人さん!!」」」
行方不明だった貴人がなぜか元気な姿で現れた。
「テメー!このバカト!何してやがったー!」
「え?え?何すか?俺、普通に家にいましたよ?」
「テメーは今日は12時からだろーが!」
「ええ?俺、今日は3時からですよ?」
「……違うよ。…俺と勤務、変わったよね?そして俺は5時からにしてもらってたんだけど。」
黒い笑みを浮かべて山下が低い声で話す。
「………っあ!!」
「お前なー!!」
オサムが説教を始めようとした瞬間、店の電話が鳴り響く。「チッこの忙しい時に。」とブチブチ言いながらオサムは電話に出た。
山下も貴人を責めるより先に早くメールを打とうとケータイを取り出す。
「……え、…九十九ちゃんが?」
オサムの言葉につい山下は顔を上げると、こちらを見ていたオサムが唖然とした顔で言った。
「……九十九ちゃんが親父のトコにいるって……ずぶ濡れで……。」
山下は話を聞くより先に走る。
オサムの父親は山下のアパートの管理人だ。
アパートは店の表側なのでオサムから話を聞くより行った方が早い。
しかし、そんなこと考えるより足が動いていた。
バンッと管理人室を開く。
「九十九!」
すると最近はあまり使わなくなったストーブの前にバスタオルを羽織った九十九がいた。
山下はすぐに近寄り、顔色の悪い九十九の両頬を両手で覆う。
「九十九。…わ、すごく冷たい。大丈夫?寒い?どうしたの?こんなに濡れて。」
「…いっ!」
突然、九十九が顔をしかめたので手を離すと左頬が赤く腫れているのが見えた。
「…何?どうしたのコレ?誰かに殴られたの?」
「…山下くん。」
「何があったの?どうしてこんなになったの?」
「…こらこら。勇也くん。女の子にそんな聞き方をするんじゃない。」
後ろから年配の男性の声がする。
山下は振り返り「しげさん。」と呟いた。
「数人の女の子達に囲まれて最後には噴水に落とされてたんだよ。……すまない。もっと早く止めに入れていたら良かったんだが。」
そう言って表情に影を落とす男性に九十九は「いえ、こんなに良くしてもらってありがとうございます。」と頭を下げる。
「兎に角、風邪を引いてしまう。早く温まっておいで。」
そう言われ九十九は「いえ、もう帰ります。」と言おうとしたがその前に、山下から腕を引っ張られ「行こう。」と立たされる。
「…え、」
「そんな姿で帰らせられない。俺の部屋のお風呂に入って。温まったら送ってくから。」
グイグイと腕を引っ張られ九十九は足が絡みそうになりつつ歩く。
「でも、さすがに、それは…」
「絶対ダメ。お風呂入ってかないと帰らせないから。」
山下のキッパリと言った言葉を聞いて「あ、辞退は無理だな。」と思い素直に着いて行く。
エレベーターに乗り5階まで上がる。山下は部屋の鍵を素早く開け、九十九を中に入れた。
「すぐお風呂沸かすから、少し奥で待ってて。」
そう言われて九十九は部屋の奥に入る。
そして部屋の扉を開き唖然とした。
(…な……何もない!!)
九十九はまず最初にそう思った。
何もないわけではない。しかし、生活に必要と思われる物がそこにはなかった。
部屋はワンルームで端にはキッチンが備え付けられている。
そして部屋の奥にモコリと膨らんだ布。多分、布団をたたんで布を被せているのだろう。
その向かい側の端に小さな机。その下に無造作に置かれた教科書。
部屋にはそれだけしか物がなかった。
(…え?……え?……冷蔵庫は?……テレビは?)
部屋の中央に入るもそれらは見つけられない。もしかして他に部屋があるのかも、と思うもそれらしき扉は見当たらない。
(…え?…おかしいな。…山下くんが転校してきたの半年前だよね?)
昨日、引っ越して来ましたと言われても納得するような物の少なさに開いた口が塞がらない。
以前、山下の部屋を想像したことがあった。
想像ではオシャレな家具とオシャレな雑貨が溢れドラマのような部屋のイメージを持っていたが、まさかこれ程、想像と違うとは思わなかった。
チラリとキッチンを見ると500mlのペットボトルの水がまとめて置いてあるだけで、その他の物は何もない。皿もコップも箸も。
お願いだから備え付けの棚に入れていると言ってくれ…とつい思ってしまう。
広くない部屋なはずなのにとても広く感じてどこに居ればいいのかわからず立ちつくした。
1つだけ。不要なものといえるの物が目に入った。
小さな机の上にチョコっと置いてある可愛らしい箱だ。
以前、彼が欲しいと言ったサンドイッチを入れていた箱を見つけ「よかった。ここは本当に山下くんの家なんだ」とようやく思うことができ、九十九はホッと息をついた。
「九十九。寒いよね。お風呂沸くまで待ってね。あー。何か温かい飲み物買って来た方がいっか。ちょっと待ってて。」
そう言って部屋に入ってすぐまた出て行こうとする山下を止める。
「飲み物はさっきもらったから、ここにいて。」
人の家に1人でいるのは居たたまれない。それにここが山下の部屋だとは納得しきれていない気持ちもあった。
すると山下はすぐに部屋に戻り、布団カバーから毛布を取り出し九十九にかぶせる。
「わ、ダメだよ。毛布濡れるよ。」
「いいから。…座って。」
そう言って毛布ごと九十九を抱きしめる。
「…………。」
毛布から山下の匂いがする。
本能が少しずつ納得し始めたのか、体の緊張が少し緩んできた。
「…あったかい。」
「…ん。…まだ冷たい。もっと寄って。」
そう言われたので全身を山下に預けるようにすると、さらにギュッと抱きしめられる。
「……………。ねえ。九十九。誰にやられたの?」
「……ん。…誰だろうね。」
山下が少しムッとしたような気配がした。
九十九は目を閉じて山下の首元に猫のようにゴロゴロと擦り寄る。
「……………。講義にいた女の子達?」
「……そうだね。いたかもね。」
九十九は彼女達のことを山下に言うつもりはなかった。暴力はいけないにしろ彼女たちが言っていたことはあながち間違いではないし、彼女達にキツくあたる山下を見たくなかった。
「……………。何で教えてくれないの?…俺だから言えないの?」
「……ん?…今が幸せだから言わないの。」
「……………。」
彼がムッとしたような、それでいて嬉しいような複雑な顔をして黙る。しめしめと思っていると九十九の頭に山下が頬を擦り寄らせてきた。
ゴリゴリと力一杯でだ。
「…ふふっ。痛いよ。」
「幸せなんでしょ。我慢して。」
多分、いっぱい心配してくれているんだと思う。それなのに、のらりくらり返事をする九十九の気持ちを、ムッとしながらも尊重してくれる彼は本当に優しい。
(……………好きだなぁ…………)
自然に、本当に無意識にそう心で呟く。
(…そっか。………私、山下くんが好きなんだ。)
それこそ自然にストンと納得する。
目をうっすら開けて彼を見ると、目を伏せて少し辛そうな彼の顔が見えた。
(………山下くんが好き。)
(……好きだよ。)
(…大好き。)
お風呂が沸いたことを知らせる音が響くまで九十九は心の中で彼の思いを呟いていた。
読んでいただきありがとうございます。
九十九がやっと気持ちを自覚しました。
あと、山下のことが少しずつ見えてきて、逆に謎が深まってしまいましたね。
2人のバカップルぶりはまだまだ続きます。
ご安心ください。笑




