教育実習生が来ました。〜山下の失言とわがまま〜
山下くんの心境です。
「……つ、九十九?」
「ん?」
山下はHRが終わると恐る恐る九十九に近づき、声をかけた。彼女はいつもどおりの表情に見える。
しかし、人の機微にうといことを山下は自覚しているので「まだ油断は出来ない」と彼女の顔を覗き込んだ。
「あ、あのね。本当にね、芽上先生はただの知り合いだから。恩師の娘さんだから。」
「…恩師………そうなんだ。」
九十九は少し驚き、その後ふんわりとした柔らかい笑顔が見れて山下はホッと息をはく。
しかし、そんな2人の空気をぶち壊したのは、九十九の隣の席の『驚異』だ。
「え?元カノじゃねーの?」
「っ!!!!!……っち!違うよ!美冴はそんなんじゃー!…っあ!」
「………………………。」
その場に変な空気が流れたのを流石の山下でも気がついた。
以前に言われてたことがある。
「付き合って結構たつのにまだ九十九のこと名前で呼ばないんだな」と。
そんな風に考えたこともなかったので山下はキョトンとした顔をした。
前に九十九の名前を呼んだとき真っ赤になっていて距離を取られそうになったり、九十九の家で呼び方について考えたときも「学校の女子の反応が怖い」と名前で呼ぶことを拒否された。
その時は「確かにそうだな。」と納得したが、どれも付き合う前の話だ。
今なら別に『凛花』と呼んでもおかしい関係ではない。
しかし山下は特段、呼び方にこだわってはいなかった。
彼女の名前が好きだ。
『九十九』も『凛花』も。
名前なんて彼女そのものを表しているようだ。
彼女のために買ったお揃いのコップに書かれていた絵柄。百合の花のようなイメージを持つ彼女にピッタリだとそう思っていた。
それに名前を呼んだときの可愛い反応がたまらない。
自分の言葉や行動で彼女がうろたえたり赤くなってくれるのが幸せでならない。
でも、『九十九』という苗字も好きだ。
だってそれは彼女を初めて意識したきっかけだから。
みんなが呼んでるとか、自分だけがとか、どうでもよかった。
彼女の特別でありたい気持ちはもちろんあるが、なんとなく、そんなことで彼女を縛るようなことをする気にならなかった。
いや、そんなの嘘だ。本当は縛りたい。
彼女に他人が近づかないようにガチガチに囲って、彼女の瞳には自分しか映さないようにしたい。困ったことがあれば頼れるのは自分だけで、自分だけに依存して生きて欲しい。
でもそんなことをしてはいけないのを知っているし、できないことも理解している。だって彼女は『女神』で自分なんかが縛れる存在ではない。
そんな葛藤があって、あえて無意識に『九十九』から呼び方を変えていないのかもしれない。
なのでその時は「九十九って呼び方が好きなんだ。」と答えていた気がする。
しかし、
「だったら逆に彼女じゃないヤツを名前で呼ぶと九十九は複雑な気持ちになるんじゃねぇ?」
と、言われた。
「前に他校の『運命女』いたじゃん。お前があの女のこと名前で呼んでたから勘違いしていたヤツは結構多かったぞ?」
「勘違いって?」
「お前が好きなんじゃないかって。ほら、九十九もそう思ってたって言ってただろ。」
「呼び方なんかで?」
「呼び方の影響力は大きいだろう。お前、九十九が鈴木のこと名前で呼び出したらどうよ。」
「っ!…すげぇヤダ!!」
「だろ。津々見のことを……いや、コイツの名前は呼ばねーか。……俺のことを名前で呼び出すとか。」
「あ、土間のことすごく殺したくなる。」
「やめろ。怖いわ。…でもそう思うだろ?だったら九十九も嫌な気持ちになるんじゃねーの?」
「よくわかった!気をつける。」
と、そんな話をしたような気がする。
そして、先ほどのHRだ。
懐かしい顔と出会ってしまい、つい当時のままの呼び方をしてしまった。
その後クラスが変な雰囲気になり、自分の発言のまずさに気づいた。
とっさに九十九の顔を見ると目が合い、すぐにそらされる。
心臓がヒュンと跳ね上がり、背中に冷たいものが流れた気がした。
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ!謝らなければ。言い訳しなければ。
と思ってすぐに九十九の所に来たのに、隣の席の馬鹿野郎のせいで墓穴を掘り、さらに空気を悪くした。
「……っ…っ…九十九。」
「…何?」
「……め、芽上先生は…ただの中学時代の知り合いで、彼女とかじゃない、です。」
「………そう。……わかった。」
「………………。」
「………………。」
口だけ弧を描いているが目が笑っていない九十九にそれ以上なにも言うことが出来ず、山下は肩を落としながら自分の席に戻っていった。
視線を感じ、そちらを見ると土間が呆れた顔をしており、彼はそのまま席を立って九十九の方へ歩いて行った。
次にぷぷっと笑い声がして、顔を上げると黒賀と目が合い、笑いをこらえる仕草をしながらもニヤリとわざとらしく口を歪ませて九十九の方へ行ってしまった。
コイツら!こんな時だけすげー連携しやがって!
と、悔しくてさらに頭を抱え、机にうつ伏せた。
後ろの方で可愛い声が聞こえる。
耳をそばだててみるが内容までは聞こえない。
ワイワイとうるさい会話の中で彼女の声が時々まざり聞こえてくる。
そこに自分はいないのに、平然と他のやつと話す彼女にすら悔しくなってくる。
彼女は結構ずるいと思う。
こんなに自分は彼女のことが好きなのに、彼女のことを一途に想っているのに、彼女は自分だけじゃー満足しないんだ。
彼女は不思議と人を集める能力を持っていて、何だかんだ誰かが側にいる。それは自分であればいいのに、そうでないことも多い。
そのことを悔しがっているのは自分だけで、彼女は平然と他人を受け入れている。
以前の喋らない、笑わない時からそうだったのだから、今なんてもっとタチが悪い。
九十九の言葉に皆が反応するし、九十九の笑顔に皆が少しだけホッとする。
それを知ってるのは自分だけでいいのに。
そう思って仕方がない。
それに今の現状もだ。
確かについうっかりポロリと言ってしまった失言は自分のせいかもしれない。
しかし、津々見の発言にしろ、土間の表情にしろ、黒賀のイラっとする笑い方にしろ、自分に対するアタリが強すぎる。
『てめぇは少し反省しろ。』とばかりの対応と、それから九十九のフォローがセットになっている。
チラリの九十九の方を見る。
そこにはいつも集まるメンバーに囲まれて、話をしている九十九がいた。
声を発している人の顔を目で追っている姿が可愛くて可愛くて、今現在そこに自分がいないことが悔しい。
…………こうなったら何気ないふりして、輪に加わってみようかな。
そんな風に思い、顔を上げ立ち上がり、そっと九十九の方を向くと、そうなることを予想でもしていたかのように土間と目が合い、虫でも払うかのようにパッと手で払われるような仕草をされる。
「………………。」
そっとイスに座り、そっとうつ伏せなおした。
絶対!絶対!昼までにちゃんと仲直りして、昼休みはイチャイチャベタベタするから!
お前たちには絶対見せない表情をしてもらって、お前たちには絶対言わないこと言ってもらって、お前たちには絶対しないことしてもらうんだから!!
自分がどんなに子どもっぽいことを考えているかなんて、すでに自覚してはいるが、湧き上がるこの気持ちをこんな風に思うことでしか抑えることが出来ない。
ポロリと言った「美冴」という1言でこんな悔しくて惨めな気持ちにさせられるなんて今まで考えたこともなかった。
こんな気持ちになるのなら『美冴』とも会いたくなかったし、これからどうやって接触を減らせるかを考えなければならない。
それに『美冴』は自分の昔のことを知っている。
うっかり九十九に余計なことを言わないようにしなければならない。
あぁ頭が痛い。
したいことと、しなければいけないことが全くの正反対だ。
遠くで九十九のクスクスとした笑い声が聞こえた。
やめて!九十九!俺がいないとかでそんな可愛い声で笑わないで!
そう思うも少しだけその声が心を癒していく。
絶対!絶対!仲直り!イチャイチャベタベタ!
可愛い表情に可愛い言葉に可愛い仕草をしてもらうから!これ絶対だから!
山下の理性を保つために九十九に対するわがままは必要なことだった。
読んでいただきありがとうございます。
彼のわがままはこうやって生まれてます。
嘘です。本能でやらかしてます。
でも今回のお話でヘビー級の山下の想いが伝わったと思います。それを受け止めなければならない九十九にもエールを送っときます。




