杞憂で終わって欲しかった
到頭、この日がやって来ました。
ご挨拶当日は残念ながら小雨が降っていて、私が折り畳み傘を鞄から取り出し開くと、コウイチさんが高く掲げてくれたので相合傘の状態で、駅から15分程の場所にあるご実家へ歩いて向かいました。
いつも傘や荷物を率先して持ってくれたり常に車道側を歩いてくれるコウイチさんに対して、ご実家への道程の間のこの時ばかりは、お礼をちゃんと伝えられていたかどうかはっきりとは覚えていません。
そのくらい、私は緊張しきりでした。
どんどん強張る表情筋をどうする事も出来ずに口数が少なくなっていく私の事を、さして気にした風でも無いコウイチさんはゆっくりでも早くでも無い普段と同じ足取りで一歩一歩ご実家へと近付いていきました。
ここだよと声を掛けられて見つめる先には2階建ての一軒家があり、玄関扉の前にある門扉の所でコウイチさんと私は少しの間立ち竦んでいました。
「約束の時間前に着けたな、家に入ろうか。」
とコウイチさんに言葉を掛けられ、覚悟を決めた私は
「うん。」
とだけ返答しました。
門扉を開き玄関扉に向かって歩く2メートル程の間に、青色をした三角屋根の犬小屋を発見した私は
「ねぇねぇ、犬を飼っているの?」
浮き浮きとした感じで問い掛けました。
「あぁ、柴犬と雑種のミックス犬が一匹居てるよ。もう爺ちゃんってぐらいの年だから全然動かないけど。今も寝てると思う。」
と大して興味の無い様子で教えてくれました。
犬小屋の入り口はこちらからは見えず、どんな毛色をしているのか気になった動物好きな私は
「お爺ちゃん犬なんだね。名前は何て言うの?少し近寄っても大丈夫かなぁ?撫でたりしたら怒るかな?」
犬を一目見たくて、早めの口調で尋ねました。
「ゲンだよ。初代の犬は賢かったんだけど、二代目のこのゲンは馬鹿だからあんまり近寄らない方が良い。噛み付かれるから。」
とコウイチさんは答え、私は唇を少し突き出しがっかりした気分で
「そっかぁ。触りたかったけど残念……。知らない人には噛み付いてくるって、お爺ちゃんでも番犬としてしっかり役目を果たしてるんだね。」
と話しました。
「ゲンはもう僕の事を忘れてると思う。馬鹿だから。前の犬は凄く賢くて可愛かったんだけどな。」
こんな風に自分の率直な感想を漏らすコウイチさんに、この時の私はとてもモヤモヤとした気持ちになり、なんでそんなに悪し様に言うんだろう?と心の中で不思議に思い、自然と眉間に皺が寄ってしまいました。
コウイチさんの否定的な話の切り口には慣れていた筈の私でも、何故かこの場面では通常時の自分だったら感じないような苛立ちを感じて歯に衣着せぬ物言いを問い質したくなりました。
どうしてそんな風にしか言えないの?何年も一緒に暮らしていた犬に愛着がある事が、どんな性格でも可愛いって感じる事が普通じゃないの?賢いか賢くないかだけの判断で、そこまで邪険に扱うような言い方をしなくても良いんじゃないの?
不快感と嫌悪感を強く感じて俯き加減で黙ってしまった私は、これからタダオさんに相対するコウイチさんの事を考えとても不安を覚えていました。