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第6話 仏の子(4)

 弓士は、子どもがゴブリンと戦っている一部始終を見ていた。


 隙をみて何度か援護射撃を試みるが、子どもとゴブリンの距離が近すぎて機会はそう多くない。

 そのうち二射は子どもに当たってしまうのを覚悟の上で放っていた。


 援護射撃に成功しなければ味方が殺されてしまうタイミングでは誤射を恐れずに放つ。この町ではそれなりに名を知られている弓士である彼は、迷わずに実行する。

 迷うことに価値は無い。戦場であれば、それはなおのこと。弓士はそれをよく知っていた。

 オークやオーガの気を引きつつ、子どもの援護を繰り返し、気付いた時には二十匹ほどいたゴブリンは全て子どもの刃の前に倒れていた。

 既に、敵の数は最初の三分の一以下に減っている。


 百戦錬磨のハンターから見れば、単体のゴブリンは取るに足らない強さしかない。

 だが、オーガやオークと刃を交えている最中に背後からゴブリンに攻撃されれば痛手を受ける。

 その心配がなくなったというのは、一つの転換点と言えるだろう。

 敵の主力たるオーガはほぼ残っているが、それらも無傷ではない。味方の戦力は温存されているのに対し、敵戦力は確実に減っているのだ。


 オークに矢を射かけ続けながら子どもの方を見ると、静かにひっそりと戦場を離れようとしていた。オークやオーガが子どもに気付いている様子は無い。弓士にはそれを怒るつもりも咎めるつもりもない。むしろ子どもが逃げやすいように、自分へと注意を向けるべく攻勢を強める。


 声を掛けるわけにもいかず、逃げ去っていく子どもを見送ってから、弓士は矢倉を下りた。リーダーに現状の報告をし、今後の作戦を立てるために。


「狼、ゴブリンは全て始末した。残りは熊×二、オーク×九、オーガ×五。」


 弓士の説明を聞いているのは、防衛戦力は中級ハンターが九人、下級ハンターが二十一人。丸腰の兵士(やくたたず)が四十二人。

 比較的魔物が少ないと言われているこの地域に、上級ハンターはいない。

 戦力としては、兵士が武器を持っていれば十分に勝てるはずなのだが……


 今、総攻撃を仕掛けて勝てないことは無いだろう。犠牲になるのは一人や二人ではないどころか、生き残るのが半数程度だろうが。

 中級ハンターのリーダーは苦い顔をする。


 どうやら、まだ決断はできないようだ。

 だがバリケードのダメージも大きく、そう長く持ちこたえられそうにはない。


「バリケードが破られる前に、少しでも敵戦力を削ろう。」


 リーダーが提示したのは『敵に援軍が無い』場合に有効な作戦だ。だが、反対する者は無く、バリケード越しに槍で地道に攻撃することに決まった。



 一時間後。

 バリケードは限界が近づいていた。

 裕によって捕球された矢も、既にすべて射尽くしている。あとは覚悟を決めて総攻撃に出るだけ。そのタイミングを計っているその時だった。


 上空から再び矢筒が降ってきて、不幸にもそれが兵士の一人の頭部に直撃した。声を荒らげる兵士の横にさらに二本の槍が降ってきて、兵士たちに動揺が走る。

 騒ぐ兵士を奥に引っ込めて、リーダーが周囲に問う。


「先刻のもそうだが、これは一体?」


 外にいる子どもからだと断じる弓士。五、六歳の子どもが一人、敵の戦力を削りつつ、こちらに矢を届けてくれているのだと。

 周囲のハンター達は苦笑する。バリケードの向こうで頑張っている者がいるのは確かなのだろうが、それが幼い子ども一人でだなんてことはありえない。


 だが、今はそんなことを言いあっていられるほど余裕があるわけではない。

 ハンターチームが降ってきた二本の槍を兵士に手渡し、睨みつける。


「市民を守るのはアンタたちの仕事だろう!」


 税を食んでいる兵士には前面に立って頑張ってほしいと思うのは当然のこと。

 ハンターの作るバリケードは、最後の砦なのである。第一次防衛線である防壁・街門を放棄し、武器を捨てて逃げてきた兵士たちを快く思っているハンターなどこの場にはいない。


 バリケードから突き出される槍の勢いが突如増してオーガを襲う。

 手を刺されて猛り、棍棒を力いっぱい振り廻す。


 さらに頭上からの怒声に顔を上げると、目の前に弓矢が突き出されていた。

 目から深々と矢が突き刺さったオーガが倒れる。


 その時、弓士は再び先ほどの子どもを目にした。何かを抱えてオーガの群れに突っ込んでくる。


「もう良いって! 無理するなああああああ!」


 叫びながら弓士はオーガに向けて立て続けに射掛ける。

 走り寄ってきた子どもは、抱えていた何かを放り投げると、踵を返して逃げて行く。

 そして、オーガの姿は黒煙と炎に包まれた。


 バリケードの外で燃え上がる炎を見てリーダーが決断を下す。


「全員! 出るぞ!」


 これ以上の機会は二度とないだろう。

 中級チームを先頭にハンター達がバリケードを飛び越えて、炎に包まれてパニックになっている敵に畳みかける。



 バリケード前から少し離れた場所からオーガの咆哮があがる。

 そこでは、一人の子どもがオーガに追われていた。


「目の前に集中しろ! あの子が一匹引き付けてくれているんだ、無駄にするな!」


 振り返り、駆けつけようとするハンターに弓士が叫ぶ。子どもを気にして、より高い戦力を持つ者が傷を負ったのでは意味が無い。




 裕は右に左に走り回ってオーガの攻撃を避けつつ、棍棒を握る手指に向けて反撃を試みる。

 何度か空振りをしながらも、オーガの動きの癖を観察し、その精度を上げていっている。


 横薙ぎに振るわれる棍棒の一撃を狙いすまして、思い切り踏み込んでオーガの手首に向けて全力で刃を叩き込む。

 だが次の瞬間、裕はオーガが振り抜いた腕の直撃を受けて倒れ込む。

 一方、裕の攻撃でオーガも棍棒を取り落としている。

 予想外の反撃だったのか、オーガは怒りの咆哮を上げて裕を睨みつける。


 オーガは慎重さを知らない。

 裕に向かって一気に踏み込み、腕を大きく振りかぶると、その脇腹に矢が突き刺さる。弓士のナイスフォローである。


 振り向き叫ぶオーガの声は次の瞬間、悲鳴に変わり、勢いよく倒れ込む。

 裕がオーガの足指に山刀を突き立て、さらにオーガの後ろに回り込んでアキレス腱に向けて刃を叩き込んだのだ。回り込んだ勢いを利用しつつ渾身の力を込めたその一撃はオーガの腱を完全に断ち切っていた。


 肩で息をしながら、裕はふらふらと戦場を後にする。もはや体力の限界のようである。

 振り返りもせず曲がりくねった道を進み、そこで裕はありえないものを見た。


 道いっぱいに広がっている骸骨兵。その数、約四十。

 裕が呆然と立ち尽くしていると、骸骨兵は虚ろな眼窩を裕に向けて迫ってくる。

 裕にはもう戦う力も逃げる力もない。一体くらいなら何とかなるのかも知れないが、四十という数には為す術が無い。

 もはや打つ手なし。万策尽きた。万事休すという状況である。


 裕は諦めることにした。


「この世界でも天国とやらに行けるのですかね? 極楽浄土に行くには南無阿弥陀仏でしたっけ……? なんまんだぶ、なんまんだぶ。」


 骸骨兵に動揺が走った。


「何で諦めたら、希望が見えるのですか?」


 昔から念仏って幽霊に向かって唱えたりするし、アンデッドに効いたりするんだろうか? などとぼんやり考えている暇はない。


南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)!」


 合掌し、気合いを込めて叫ぶ。しかし、成仏してくれない。

 次に裕が思いついたのは一つしかない。というか、これ一つしか知らないのだ。


仏説(ぶっせつ)摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみたしんぎょう 観自在菩薩(かんじーざいぼーさつ) 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃーはーらーみったーじー 照見五蘊皆空しょうけんごーうんかいくう 度一切苦厄(どーいっさいくーやく) 舎利子(しゃーりーしー)……」



――

 骸骨兵がゾロゾロ集まってお経を聞いている? あんたら何宗だよ?

 そもそも般若心経って迷える魂に有効なのでしたっけ?

 まあいいや。集中、集中。

――



依般若波羅蜜多故えーはんにゃーはーらーみったーこー 心無罣礙(しんむーけいげ) 無罣礙故(むーけいげーこー) 無有恐怖(むーうーくーふー) 遠離一切顛倒夢想おんりーいっさいてんどうむーそう ……」


 目の前の哀れな者たちの救いを願い、経を続ける。そして。


羯諦(ぎゃーてい) 羯諦(ぎゃーてい) 波羅羯諦(はらぎゃーてい) 波羅僧羯諦(はらそーぎゃーてい) 菩提薩婆訶(ぼーじーそわか)般若心経(はんにゃしんぎょう)


 骸骨兵の動きが完全に止まっている。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」


 裕は静かに念仏を唱える。

 骸骨兵は力を失い崩れていく。


「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」


 何度も念仏を繰り返す。

 不死者を極楽浄土に送り、裕の意識が薄れていく。


「じょーどしゅーばんざい。しんらんしょうにんばんざい。」


 ワケの分からないことを言いながら裕は意識を失った。なお、浄土宗の開祖は法然である。親鸞聖人は浄土真宗だ。

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