第1話 受け入れ拒否される子ども(1)
「主人公をどうしようか…… そうだ、幼児にしてやろう。チート能力とか要らねえや。説明もしなくて良いだろう。面倒くさい。」
小説を投稿すべく設定を考える男がいた。彼の名はジェニエミゴエム、神である。
「舞台は、まあ、人間がいなければ話にならんな。魔法も必要だろう。」
星の数ほどある世界から、いくつかピックアップして比較検討している。
そして、文明の進み具合や社会の状況などを踏まえて、転移先の世界を決定した。
主人公は既に決まっている。
日本のホワイトなIT企業に勤める男性従業員。不幸にも異世界に飛ばされてしまう可哀想な人だ。
ジェニエミゴエムは自宅で睡眠中の男に呪いをかけ、異世界へと放り込む……
少年の目が覚めた。石壁のわずかな隙間、苔にまみれた土の上。
「ここは何所ですか?」
戸惑いの表情で辺りを見回しながら、彼は呟き怪訝そうな顔をする。
「あえいおうえおあお。はろーはろー。」
髪をかき上げながら、言葉にもなっていない謎の発声をし、ぽん、と手を打つ。
「むう。夢か……」
ぼそり、と呟くと大きく深呼吸をして瞑目する。そして……
「なぜ飛べないのだ?」
彼の中では、夢の中ならば念じれば飛べるものらしい。全然自由自在にではない上に、飛行速度も遅いのだが、それでも夢の中であれば宙に浮いて進むことはできるのが、彼の「夢」なのだ。
だが、飛べない。
念じてみても、ジャンプしてみても、宙に浮く気配すら無い。惑星の重力に引かれて、普通に落下してしまうだけだ。
「ならば!」
彼は叫ぶと、目を閉じて意識を集中しはじめる。それで何をするということでもなく、目を閉じたまま一点を睨みつけることに全神経を集中していくのだ。
「なんということでしょう……!」
目を見開き、呆然と声を漏らす。独り言の多い奴である。物語として書きやすいのは良いが、近くにいるとかなりウザイだろう。
それはさておき、彼が狙っていたのは目覚めることだった。
集中力を高め、脳ミソを全力で動かせば必然的に睡眠は解除され、夢の世界ならば終了するものだ。
だが、彼の望む結果にはならなかった。この世界は終了していない。
彼の肉体は幼い子供のままだし、周囲の石造りの建造物とて存在感は揺らぎもしない。
――
夢じゃないなら、一体どういうことだ……?
俺は一体どうしてしまったんだ? ここは何だ?
まず、息は苦しくない。ということは、呼吸はできている。いや、それ以前に呼吸が必要であるのかを疑うべきだ。
立って歩けるしジャンプしたら落ちた。これは重力があるということに他ならない。
――
彼は目まぐるしく考える。
息を止め、石壁を叩いたり、足下に転がる石を拾って放り投げてみたりする。
――
慣性の法則は確認された。だが、落下スピードに違和感がある。まさか重力加速度が違うのか?
異世界であることに間違いは無さそうだが、何が地球と同じで、何が違っているのかは把握しておかないとマズイな。
何か計れるものは無いか。いや、現状と周辺の確認の方が先か。
――
さすが理系野郎だ。考え方がファンタジーじゃない。こいつを主人公にしたのは失敗だったか?
いや、まだ始まったばかりだ。打ち切りにするには早すぎる。
きょろきょろと辺りを見回し、さらに上へと視線を向けるが、現在の位置からではほとんど石壁しか見えない。
彼は耳を澄ませ、慎重に家の隙間から道路に出ていく。周囲には民家と思しき建物が立ち並んでいるが、道を通行している者の姿は無い。閑静な住宅街といったところだろうか。
――
空は青く、雲はある。だからといって地球と同じ気象体系とは限らない。これも要チェックだ。晴れた空からいきなり熱湯が降ってくるとも限らない。
そういえば、鳥がいない?
カラスやスズメの類はいないのか? 駆除されているのか? あるいは食料になっているのか。
この辺りに人がいないのはどういう理由だ? 喧騒が聞こえるし、放棄された町ではなさそうだが……
とりあえず、あっちに行ってみよう。
食事は必要なのか? 食べ物をどうやって調達する? 服は着ているけれど、金は持っているのか? 自分の他に人間はいるか? そもそも、自分は人間なのか?
――
彼は歩きながら周囲を見回し、疑問符を並び立てる。向かっているのは喧噪の聞こえる方角だ。
自分の手足を確認し、あちこち触って確かめていく。手足に変なところはない。地球人類の子どもと変わりはしない見た目である。
腕も脚も二本ずつだし、顔には目鼻口耳もそれっぽい場所にある。第三の目があったり、口が耳まで裂けているということも無い。
身に付けている服は麻のような布製、足に履いているのは木と革で作られたサンダルだ。
そして彼は、周囲に全身を映せるものが無いかと探すが、何一つ見当たらない。周囲の建物の窓は全て木製であり、ガラスは一切嵌まっていない。
彼は自分の手足や服を一つひとつ確認しながら街の気配に向かって歩いていく。道路は舗装されておらず、砂利混じりの土が踏み固められている。街並みの雰囲気は近代よりは古い西洋式に近い。
曲がりくねった道を何度か折れて行くと、多くの人で賑わっている広場が見えてくる。広場には所狭しと屋台が立ち並び、街の活気に溢れていた。閑静な住宅街との差に驚きつつも、彼は人間を見てほっと息をついた。見たこともない化物が住んでいる町である可能性も考えていた彼は、住人が人間のような容姿の者ばかりであることに少しだけ安心し、屋台の近くに行って人々の観察をはじめる。
――
分かったこと。
住民の話す言葉は全く聞き覚えがない。日本語どころか英語や中国語ですらない。人種・民族としてはスラブ人に見えるがロシア語ではない。もしかしたらチェコ語やハンガリー語なのかもしれないが、その辺りの言語に関する知識は全くない。
どうやら、貨幣は流通しているようだ。
屋台では硬貨のような物を出してやり取りが行われている。そして、自分は一銭も持っていない。売れそうな物も持っていない。
――
彼は腕組みをして人の行き来を眺めながら思案していると、イイモノを見つけ歩いていく。
見つけたのはチンピラだ。刺青の入った筋肉質な腕を見せつけ、肩を怒らせてやたらと幅を取りながら歩いている。彼は右に左にフラフラしながら歩いているチンピラの背後に付くと、早業を炸裂させた。
財布を掏られたとばかりにチンピラが叫ぶが、同時に足下で硬貨が飛び散る音がする。慌てて散らばる硬貨を拾おうとチンピラは屈み込む。
彼は悪い笑みを浮かべて周囲を見守る。そして数分の後、計画は完璧に終わった。
――
ニブいゴリラ野郎はチョロくて助かるな。
とりあえず現金を入手したし、次は銀貨や銅貨っぽいこれの価値の確認。稼ぐ方法も早めに考えないと……
――
いきなり犯罪をはたらくとは、この男のモラルは一体どうなっているんだ? 当たり前のように盗みやがった。
そして、歩きながら屋台に売っているものを眺める。
広場には色々な屋台が並んでいる。肉・魚・野菜、パンや菓子など各種屋台がめじろ押しだ。焼鳥や酒類の匂いも漂っている。
多くの屋台がひしめいているものの、その殆どは食料品であり、生活用品や衣服、家具などを取り扱っている店は見当たらない。
彼はパン屋らしき店に向かい、パンを指して言ってみる。
「これ、一個頂戴。」
やはり言葉が通じないようで、店主と思しきおっちゃんが怪訝そうな顔をしている。彼は英語で言い直すが、おっちゃんの反応は変わらない。
彼は、銅貨を一枚出し、パンを一つ手に取る。
指を三本立てておっちゃんは大きな声を出して彼を止める。彼は指三本を銅貨三枚が代金なのだと理解して、ポケットから銅貨をもう二枚出す。
おっちゃんが安心したように銅貨を受け取って、パンをもう一個差し出す。店の看板には大きく『銅貨三枚でパン二個』と書かれているのだが、彼には読めなかった。彼は礼をすると、パンを咥えて店から離れる。
彼は買ったパンを食べながら街並みを見て歩く。店やそこで売られている物を見れば、大凡の文化レベルの判断が付く。彼は一軒一軒、建物を確認しながら考える。
――
大きな問題がいくつかある。
一つ、言葉がわからない。さっぱり分からない。これは超がつくほどの大問題だ。
一つ、お金が無い。言葉も分からないし、稼ぐ手段はほぼ犯罪しかない。
一つ、住む家が無い。ふかふかのベッドとか贅沢は言わない。せめて安全を確保し、風雨を避けるくらいの生活拠点は欲しい。
だが貧民街に流れて生を繋ぐために乞食や犯罪を繰り返すことはしたくない。そんな夢も希望も無い生に興味はない。楽しめない人生に価値などない。そんな選択をするくらいなら、派手に散ることを考えた方が良い。
この町には孤児院の類はあるのだろうか。古くから孤児の保護や子供の教育は布教の一環のはず。神社や仏閣、教会や修道院といった宗教施設の世話になるのは有力な手段の一つ。
為政者や貴族による孤児院なんてのは、多分期待できない。宗教系ではない孤児院の登場は近代以降。中世にしか見えないこの世界に存在するのだとしたら、それはそれで文化学的に興味深いが。
――
考えながらウロウロと歩き回り、町の南の街門付近にそれを見つけた。
石で造られた巨大な建造物は、その宗教を知らない彼にもそれが礼拝堂であることは想像がついた。さらに周辺には街並みとは明らかに違う様式をもつ建造物が並んでいる。これが神殿でなければ一体何だと言うのだろうか。
彼はその入り口に近寄り、叫ぶ。もちろん、日本語でだ。
「ごめんください! 私の面倒を見ていただけませんか!」
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