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霧のペルシア  作者: ウニコ
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真作 3

 国会図書館に通った翌日、林に呼ばれていたため、胆胆堂へ出掛けた。

 俺と胆胆堂とのつき合いは、二年前、ファーストで働き始めた頃の黒楽茶碗が最初だった。胆胆堂は、早稲田の古本屋街にある、明治三十七年創業と右から書いた古い看板が掛かった店だ。

 入口は二つあり、隣は、貸店舗募集と色褪せた紙が貼ってあった。以前は、オーナーのカモ太郎こと鴨志田太郎が、キャバクラ嬢にやらせたネイルアートの店があったのだ。

 店の中は、数万円程度で買える江戸後期以降の古伊万里を中心に並べられ、客が持ってくれば、骨董品でなくっても売買するのか、まだ新しい舟箪笥にまで値札を付けて置いてある。

 店主の林は、のっぺりした顔で、表情を変えずに話す。歳は、六十歳は越えていた。

 初めて訪れた時、

「楽家三代、道入(のんこう)の黒楽茶碗です」と、何やら大袈裟なほど、とても大事そうにして、奥から数寄屋仕立ての極箱(きわめばこ)を、林が持ってきた。

 手にしている極箱の表蓋には「ノンカウ 赤匂茶碗」の書付に、表千家の何某かの署名と花押がある。紐を解いて開けた極箱の中には、黒楽茶碗が入っていた。箱の銘が『赤匂』で、中が黒楽茶碗だけで、いけないものの臭いがプンプンする。

 俺は、黒楽茶碗を手にした。陶器を見る時は、第一印象が大事だと教えられていた。

「手にとって、じっと見ればわかる。贋作は、持っていると、どこか軽い」は、うちの課長が好む言葉だ。

 だが、俺が疑いを持ったのは、胆胆堂の器の腫れぼったい厚さだった。

 初代長次郎は別にして、楽家歴代随一の名工である薄造りの三代道入のものとは、とてもじゃないが思えない。贋作は軽いばかりではないですよと、そこにはいない課長に向かって、ひとりごちていた。

「いけませんか?」

 黒楽茶碗の高台そばの楽印を見終えると、なぜか頬を弛めながら林が訊いてきた。器の厚さ以外にも、まだ素人同然の入社当時の俺が見ても、贋作なのがわかる決定的な特徴があった。

 茶碗に押された作り手固有の楽印がおかしいのだ。道入の楽印は、「樂」の字の中央が「自」になった通称「()楽印」と呼ばれるものなのに、手にしていた器は「白」の「()楽印」だ。

 道入の楽印が「自楽印」であるのを、林が知らないわけはない。俺を試しているのだろうか?

「林さんは、どう思うの?」と訊きたいが、働き始めたばかりの当時の俺が、初対面の林に対してはできなかった。

 もし、この黒楽茶碗をオークションに出したら、どうだろうか?

 たぶん、楽家の何代目かの作品の写しに違いない。ファーストでは写しは扱わないが、他のオークションなら、三千円くらいから始めて、壱万円前後で落札するのだろう。真作ではないのは確かだが、念のため由来を聞いてみた。

「なんでも江戸時代に御所勤めをしていた、京都のしかるべき旧家から出たもので、蔵の中で眠っていたのを、京都市内の骨董屋に持って行った……」

 また、しかるべきだ。俺は溜息のような慨嘆を吐きそうになった。ファーストで働き始めて、骨董の世界を垣間見た。やんごとなきところから出た仁清が、実は写しであったり、ある筋から出たはずの乾山が贋作と、「しかるべき」に「やんごとなき」、「ある筋」といった言葉だけが、やたらはびこる世界だった。

 林の話の流れなら、胆胆堂は京都の骨董屋から手に入れたはずだが、違った。問題の旧家と骨董屋の間では値が付かなかったそうだ。それを、オーナーの鴨志田が黒楽茶碗の噂を聞きつけ、直接、出掛けて行き手に入れた。林は、抑揚のない昔のNHKの気象予報士のように話した。

 俺は、鴨志田がどれくらいの値段で手に入れたのか気になった。

 林に尋ねると、林は、右手で作った指を左手で隠して見せた。指は二本で、二十万円かと思ったら、二百万円だ。林の口辺に上がった微かな笑いに気が付いた。


音楽に関わる話しを書いています。是非読んでください。

http://ncode.syosetu.com/n3697cj/


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