青い瞳の女 5
まるで何かに取り憑かれたかのように夢中で話す馨を、疑いながらも返事をする自分自身が、どこか底意地の悪いものを感じた。
「そうですか」
幻想的に対して、返す適当な言葉も見当たらず、不明瞭な返事をした。
「『よく似た絵』って聞きましたが、神山さんは、よく似た絵をオークションで扱ったのでしょうか?」
「うちのオークションではなく、どこかで見た気がするんだ。サインはどうなの?」
今度は、サインを訊いてみた。馨は、サインの部分を映した携帯の写真を取り出し、拡大した。
「どうです? 本物だと思います?」
サインは「S.Kirishima 1987」とある。簡単に真似られるが、見慣れたものと同じだ。
俺はサインより、額や額の回りが気になった。額については、リビングのものと、装飾が違っている。よく見ると、写真の絵の回りは、リビングの壁ではなく、白いパネルのようで、どこかに展示してあるものだ。つまり、この絵は、リビングに飾ってあるものではない。いや、『霧のペルシア』がリビングに飾られる前に、どこか他の場所で撮ったということは、ないだろうか?
「この携帯の画像は、何時撮りました?」
念のために訊いてみた。
「一週間前です。あのう、どうですか。真作ですか?」
馨は、期待した答えが得られると思ったのか、僅かにトーンが上がった。一週間前に撮った写真だと言うなら、『霧のペルシア』がもう一枚あることになるが、あったとしても贋作に違いない。
「やっぱり絵の真贋は、とっても難しく、写真ではなかなか判断できないから」
自分からサインはどうかと尋ねたのに、馨から真贋について訊かれると「写真では判断できない」と言葉を濁した。
しかし、この諏訪馨は、いったい誰なのだ? 大学三年生の馨が真作ではないとはいえ、『霧のペルシア』の写真を持ち、「見に来てください」と求めてくる。一号千五百万ともいわれる桐島作品の真贋を気にする馨は、今日初めてあった俺に絵を売って、騙そうとしているわけではないだろう。
「この写真、いや絵は、今は、どこに?」
「青山です!」
「青山って、どうして青山に?」
初対面の相手なのに、つい詰問調になってしまっていた。
「南青山の父の店にあります」
思わず馨をじろりと見た。青く輝く瞳は、嘘をついているようには思えない。
「お父さんのお店?」
「父は、骨董通りで、絵を扱っています」
さっきよりも背筋が伸びた感じで、しっかりと俺を見つめてきた。
俺は、諏訪の姓にピンときた。南青山の骨董通りに、確かに諏訪画廊がある。若い現代作家の洋画を中心に、パリで活躍した佐伯祐三や荻須高徳らのリトグラフを、良心的な値段で扱う店だ。
「じゃあ、君のお父さんのお店に?」
「ええ」と、心なしか今度は弱々しい声が返ってきた。
絵が手元にあるのなら、馨の父なら真贋を確かめるのは容易なはずだ。それなのに、娘の馨は、個展の図録まで探している?
諏訪画廊に『霧のペルシア』があるのなら、いずれにしろ桐島禎博の贋作を掴まされたのに違いない。二〇号の大作だけに、画廊が購入したにしても、かなりの値段になったはずだ。小さな画廊では、対応できる金額ではないのかも知れない。
しかし、どうしてなのか。桐島禎博の贋作が出回るにしても、なぜ、選りに選って『霧のペルシア』なのか。
「いけない。もうこんな時間。私、この近くで、英語の家庭教師をしているので!」
俺は、もう少し事情を聞きたかったが、馨ははっと我に返ったようにあわてて立ち上がると、傘を手にして、出て行った。