青い瞳の女 4
「それにしても、コピーたくさん取ったんだぁ」と、初対面なのに少し砕けた調子で、俺は話した。
「カラーにしたかったけど、一枚二一〇円だったから、白黒にしたのです。でも、それで良かった」
確かに、何十枚もコピーしているのだから、一枚に二一〇円も出していたら、大変だろう。馨の気持が、よくわかる。
「桐島禎博のファン?」
「いいえ、ある絵を探しているんですが、結局、見つかりませんでした」
馨は、手にしたコピーの束を整えながら、さばさばしたように話す。コピーは、帝国画廊の個展の図録ばかりのようだ。
「市販されている画集は全て見たつもりだけどなくって、国会図書館のホームページでコピーを申し込んで取りに来たんです。これで三度目、国会図書館にあるもので、手に入りそうなものは、全部確かめました。画家って、発表されていない作品もありますよね?」
「普通は、習作を含め、埋もれた作品はあるものだけど、桐島禎博については、どうかな?」
市場に出回っている桐島作品は、帝国画廊が作品目録を作って管理しているのを、俺は知っていた。どうやら馨には、俺の言葉が、あまり良く響かなかったのか、眉をしかめた。
「桐島のどんな絵を、探しているの?」
ちょっと考えてから、馨は携帯を出すと、一枚の写真を画面に映し出した。
(霧のペルシア!)
一瞬、言葉を失ったのを、諏訪馨は気付いただろうか。馨の携帯に映し出された絵は『霧のペルシア』に違いない。確かに桐島禎博の作品だ。
ただ、祖父は同じ絵を何枚も描く画家ではない。『霧のペルシア』は、一枚しかない絵であり、その一枚は、俺の家に飾ってある。ということは、今、目の前にいる諏訪馨は、どうやってこの写真を手に入れたのか?
「ご存じです?」
俺の変化を気づいたのか、語尾を上げ、洋猫のような青い瞳を一層輝かせながら訊いてきた。
「よく似た絵なら……」
正直に、うちの家にあると話すか、それとも知っているとでも答えるべきだったのか。俺は、なぜか曖昧な返事をしていた。
しかし、どうして『霧のペルシア』が、馨の携帯に入っているのか。直ぐに、思い浮かぶのはエリカだ。「ひょっとして、馨はエリカの友人なのか?」と考え、少し派手っぽく見える顔を、じっと見つめてしまった。
俺の熱い視線を感じて、馨が頬を赤らめたと思ったら、どうやらそうではないようだ。
「じゃあ、やっぱり似た絵があるのですね!」
体を半分ほど乗り出した勢いで、ほとんど飲んでいないカプチーノが、少し音を立てて、こぼれた。
「桐島禎博らしい絵ですね。サイズは?」
馨の勢いに驚いた俺は、精一杯の冷静を装って、サイズを尋ねた。今度は馨の「やっぱり似た絵が……」が気になった。
「二〇号です。もしよろしければ、一度、見に来てください。桐島画伯らしい、繊細なタッチの作品で、実物はもっといいんです。光によって、バザールの人の顔が、霧の中から浮かび上がってくる。それが、幻想的なんです」
馨の携帯の写真に写っている絵は、二〇号だという。それなら、リビングに飾ってある『霧のペルシア』と変わりないはずだ。
「じゃあ、やっぱり似た絵が」に、今度は「一度、見に来てください」だ。つまり『霧のペルシア』が他にもあるというのだ。
いやいや、あるはずがなく、絶対にあるわけない。もしこれが胆胆堂の林ならば、「林さんも、冗談が過ぎるよ」と声を上げて笑うのだが、こんなに魅力的な女性が真剣なまなざしで言われると、大笑いする訳にはいかなかった。