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霧のペルシア  作者: ウニコ
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青い瞳の女 2

 国会図書館の出口ゲートを通り抜け、ロッカーを開けて鞄を取り出した。百円ショップの折り畳み傘が、鞄の奥にしおれていた。一八五センチはある俺には不釣り合いなしょぼい傘でも、ないよりはましだ。ほっとした気分で、傘を手にした。

 雨が降る中、小さな傘を差し、地下鉄の永田町駅へと向かう。国会図書館の庭木が雨に濡れ、若葉が風に揺れている。朝から図書館に通うのは、学生の時以来だった。大学を卒業してから、まだ二年しか経っていないが、遠い昔の出来事のようだ。

 時計を見ると、午後五時四十分を指している。四月も半ばを過ぎれば、小雨が降っていても、キャッチボールくらいはできる明るさだ。雨は強くなり、傘に当たる雨粒は、次第に大きくなっていた。

 紺のスーツを着た女が、駅の方角からこちらに駆けて来た。傘を持っているが、走る勢いに追いつかない。国会図書館の閲覧時間を気にしているのか? 焦っているのがよくわかる。ふっくらとした健康そうな頬の女と、二度三度ちらっと目があった。

 ハーフなのか、クオーターか、鼻筋は通っているが、顔立ちはいくらか日本人ぽい。だが、茶色がかった髪に、猫のように輝いた青い瞳は、キスリングの『モンパルナスのキキ』のようで、このまま別れてしまうのが惜しく、惹かれてしまった。

 地下鉄の出入口まで来たが、電車に乗るのは止め、青山通りを赤坂に下った。見上げると、赤坂プリンスの最上階は、低くなった雲で霞んでいる。いよいよ雨は本降りになり、革靴の中に水が浸み込み、体が冷えてきた。

 歩くのを速め、遅咲きの八重桜が咲き並ぶ、ニューオータニのそばの《ビストロ・オーバカナル》に入った。店の中は、外国人が多く、「デュゥー・カプチーノ・シルボプレ!」と注文を告げる言葉が、日本ではなく、パリにいる気分にする。

 オニオン・グラタンスープで体を温めた後に、ワインを飲みながら、コピーした雑誌の特集『贋作戦後美術史』を取り出した。陶器にまつわる贋作の歴史を、図書館に通って調べたこの二日間は充実していた。

 両親の死後、俺の生活は荒れ放題で、決していい学生ではなかったのに、なぜか学究生活に憧れていた。以前、祖父がしきりに薦めてくれたヨーロッパへの留学話を思い出した。

 オーバカナルに入り、一時間近く過ぎた頃、俺のテーブルの隣に、濡れた傘を畳みながら、あの女が座った。さっき、国会図書館の前ですれ違った女に違いない。パリの雰囲気がする店には、キスリングの絵画のような女が、とてもよく似合い、それこそ絵になった。

 女は、落ち着かなさそうだ。場所柄か、高校生にも見える若い女性が、日が落ちた時間に一人でいるのは、少し目立った。一杯六百円と街のコーヒー店よりは値が張るカプチーノを頼むと、鞄からコピーを取り出し、熱心に見始めた。横から眺める俺には、女の柔らかな化粧気のない白い肌が美しい。

 隣のテーブルの女が無性に気になってしまうのは、きっとエリカがいなくなって間もないからだろう。

 引っ越して、一週間ほどした、三月の末には「あの絵が、ちょっとしたお金になった!」と、申し訳程度に「ごめん」と入ったメールが来た。引っ越す時に、餞別代わりに上げた俺の絵が、どうやら売れたようだ。

 祖父と父が画家であったため、実は額縁だけは、かなりいいものに入れていた。

 素人の俺の絵が売れるわけはない。きっと古道具屋で額縁が売れたのだろう。「想い出に、貰っていい」にはホロリと来たが、まあ、それもありかと、笑うしかなかった。

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