戸惑い 6
馨の携帯のバイブレーションが震えた。
「やだぁ、鈴木さんから『週末どうしていますか?』だって」
躊躇なく自分宛のメールを俺に見せる馨が気になりながら、仕事と関係ないメールを送る鈴木にムッときた。
俺と馨がこうして一緒にいるのなどは、鈴木は知るわけない。会社では、相変わらず俺を見る度に何か罵らないと気が済まない鈴木に、意趣返しをするようで、心地よくも感じた。
「出品が中止になるんですか?」
馨は心配そうな顔をしている。
突然の言葉に、俺が驚いて「中止って、何が?」と訊くと、
「『霧のペルシア』です」と馨は答える。
馨は、俺が知らないのに驚いたようだ。
「全然聞いていないけど、それはどうして?」
「鈴木さんが、『反対する人がいて、俺が防いでいる』って」
まあ、確かに第一課長が反対し鈴木がごり押しして出品させたようだが、ここまで来て、いまさら中止はない。
「隣の課の話だから、さっぱりわからないや」
俺は曖昧に返事した。
「じゃあ、神山さんが反対しているわけではないんですね?」
「そりゃそうだよ。反対する理由はないし」
つい慌ててしまい「反対する理由はない」と、心とは裏腹な言葉まで加えていた。きっと、俺がPAUL で『霧のペルシア』についていろいろ尋ねたから、鈴木の話を真に受けて、俺が反対していると誤解したのだ。
「やっぱり鑑定書とかが、必要だったの?」
馨は、今やっと思いついたかのように話してきた。
「『霧のペルシア』なら、鑑定書なんて必要ないよ。日本人の画家なら、物故作家で所定鑑定人が指定されている場合は、鑑定書を用意したりする。だけど、そうでない場合は要らないんだ」
「所定鑑定人って?」
「お父さんから、聞いていない?」
「絵の専門的なことは、全然」
どうも、馨は門前の小僧というわけにはいかないようだ。
「明治以降に作られた美術品については『○○の鑑定は、××が行う』と、あらかじめ鑑定人が決まっている場合があるんだ。それが、所定鑑定人と呼ばれるもので、だいたい子供や孫、配偶者がなる。ただ、棟方志功作品は、渋谷の東急本店内の棟方志功鑑定会がやる、といったように、個人ではなく所定鑑定機関の場合もあるんだ」
「桐島禎博も?」
「桐島は、まだ生きているから」
祖父が聞いたら「誰が、儂を殺そうとしているんだ」と、鼻を鳴らして怒るのを想像し、思わず笑った。
「生きている画家の場合は簡単さ。わからなければ、画家自身に訊けばいい」
「じゃあ、帝国画廊は何?」
帝国画廊は、桐島の作品を、レゾネを作って管理しているだけだ。
馨の話で気が付いたが、帝国画廊が祖父の若い時からの作品を扱い、レゾネを作って管理しているのは、いずれ所定鑑定機関になるのを、考えているのかも知れない。
だが、祖父が俺のファーストへの就職の時に「せいぜいオークション会社で鑑定眼を鍛えて、将来は儂の所定鑑定人でもなってもらえばいい」と少し怒りを込めて突き離すように言ったが、祖父は俺や俺の子供にやらせる心づもりなのだろう。
「帝国画廊はレゾネを管理しているだけさ。桐島は、生きているから、所定鑑定人はいないし、所定鑑定機関も当然ない。桐島ような場合は、まずファーストの査定セクションが鑑定をするんだ」
将来桐島の所定鑑定人になるかも知れない俺が、贋作を持っている画廊の娘に、白々しい話をしていた。