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霧のペルシア  作者: ウニコ
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戸惑い 5

 国立新美術館で、モディリアーニを楽しんだ。貧しくても描き続けたモンパルナスの貧乏画家の絵は、新しくできた現代建築の美術館に似合った。

「絵は苦悩から生まれる」と叫び、苦しみを逃れるために、いや、芸術的な苦しみに揉まれて、ゴッホのように酒や薬に溺れて夭折したモディリアーニの絵は、きっと時代よりも僅かに先を行っていたのだろう。まだ百年も経っていないのに、こんなに素晴らしい絵が、どうして当時は理解されなかったのかと思うものばかりだ。

 国立新美術館を出た後、表参道のちょっと外れた場所にある喫茶店《Cat's》に馨を誘った。表参道は、美術館の最寄り駅である乃木坂駅からは地下鉄で一本だ。

《Cat's》はサイフォンでコーヒーを煎れてくれ、あまり人に知られていない穴場的な店だ。劇団四季の関係者がやっているような店名だが、まったく関係はない。四十手前のマスターが、愛猫家なのだ。

 この店では、マスターに干支を訊かれれば、常連の印だといわれる。常連になると、必ずマスターは干支を訊いてきて、F1ならぬネコ1グランプリを話す。もちろん俺も、マスターから干支を訊かれ、お得意のネコ1グランプリも聞いていた。

「昔、十二支を決める時に、十二種類ではなく、十三種類の動物が神様にエントリーした。十三種類の中には、今の干支の十二種類と猫も入っていた。猫を含めた十三種類の動物が、走って競争して決めることになり、日々練習ラウンドを重ねた。レースが近くなって、猫には勝てないと思った鼠は情報戦を駆使する。レースの日が変更になったと、鼠は猫に違う日を教えたのだ。レース当日、猫は昼寝をしていてリタイヤ、本来なら十二支に必ず入っているはずの猫は、入れなかった。それで怒った猫は、世界中で今も鼠を追い掛けている」と誰もが知っている落ちが付くのだ。

 ちなみに俺の干支は鼠で、猫年生まれのマスターとは、犬や鼠は相性が悪いらしい。だが、そういうマスターの本当の干支が、何なのか客は誰も知らない。マスターが生まれた年を頑なに明かさないのを考えると、俺はきっと鼠だからだと考えている。

《Cat's》の壁には仔猫に、アメリカン・ショートヘアーや、毛がまったく生えていない珍しい猫の写真が飾られている。訪れた客は「可愛い!」と叫ぶ写真ばかりだが、マスターには、どんな猫も可愛いく見えるそうだ。

 ここ何年間は、時間があると上野公園に行って猫の写真を撮り続け、最近は、そうやって撮った猫の写真集を自費出版した。俺も一冊貰ったが、目がつぶれていたり片足のない猫まで載せたもので、本屋に置いて、とても売れるとは思えない写真集だ。

 写真の説明をすると驚くのが、公園の全ての猫に名前が付いていて、マスターが親子関係や兄弟関係を知っている点だ。「この猫とこいつが兄妹!」はわかるが「この猫の父親が、こいつ!」はちっとも頷けない。母親はわかっても、公園の猫の父親が人間にわかるのかと考えると、かなり胡散臭い。

 マスターの話を推測すると、どうも猫の世界の近親交配は激しく、これだけは人間のほうが行儀が良さそうだ。

 また、マスターの奥さんは猫が好きではなく、家では猫が飼えないと嘆いている。それどころか「今度前科がついたら離婚だ」と得意げに話す。

 どうもマスターは前科一犯で、どんな罪を犯したのかと訊けば、「奥さんが産気づいた時に、車に轢かれた野良猫を動物病院に連れて行っていたために、病院へ行けなかった」と笑っていた。

《Cat's》のコーヒーは、客の間では東京一美味いと評判だ。俺が入ると「おっ、今日は、可愛いペルシアと一緒か」と馨を見て、すかさず猫に譬えた。

 俺たちが座ったテーブルの脇の絵は、白いペルシア猫だった。

「ミャーン、可愛い!」

 猫の鳴き声を真似る馨に、俺は艶かしく感じてドキッとした。

「諏訪さん」と馨に話し掛けると、

「馨と呼んでください!」と、猫が頬を舐めるように甘えてきた。

 この日から、俺は《馨》と呼び、馨は俺を《ヒロ》と呼ぶようになった。俺たちは、また一つ階段を上った。

「馨、ここのコーヒーは、なかなかいけるんだ」

 間の悪い時に話したようで、コーヒーを持ってきたマスターに「なかなかで悪かったな!」と嫌味を言われた。馨の前だからか、普段よりもマスターが、少しかっこよく見せているような気がした。

「今日は美人が来たから、特別にデザートをサービスするよ」

 馨を見て微笑んで、ケーキを持ってきた。てっきり、ケーキを二つ持って来ると思ったら、馨の分だけで俺のがない。

「俺のは?」

 直ぐ取り出せるところに隠してあったのを、忘れたふりをして持ってくる、そんな茶目っ気のある人だ。

「国立新美術館のモディリアーニ展に行って来たよ」とマスターに話すと、

「ああ、あの絵はいい。猫のように、撫で肩の女ばかりだからな」

 何でも猫に絡ませるマスターに笑ったが、馨は自分の肩を気にした。


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