戸惑い 2
仕事を隠れ蓑にし、夜遅くまで馨に電話を掛けている隣の課の鈴木は、オークション・カタログが配られてから、ずっとハイになっている。
「桐島禎博の絵を出したいて電話が掛かって来た時は、あんまりにも若い女の子の声で、どうせ怪しいもんやと思うたんやけど、先方さんはものすごう真剣やった」
そんな風に、一課の鈴木が得意げに話しているのを何度か耳にした。
(その電話は、そもそもお前にではなく、俺に掛かってきたはずだ)
俺は、鈴木の声を聞くだけで、頭に来るため、声が聞こえない所に移動するが、いつもそういうわけにはいかない。
「写真を送ってくれへん、て頼んだら、直ぐにメールで送ってきた。見た途端に、ペルシア・シリーズの傑作やとわかったから、その日のうちに実物を見せてもらいに行ったんですわ」
普段から甲高い鈴木の声が、より一段と高くなって響く。
「カタログの締め切りまで、もう時間がないし、向こうはできるだけ早うオークションに出したいって急かしてくる。そやから、査定に回すんと同時に、写真の撮影も急いで進めてもろたんです」
ここまで話すと、次は必ず第一課長がオークションへの出品に反対した悪口が始まるのだ。
鈴木の話が どこまで本当かわからないため、仲のいい一課の女子社員に訊くと、教えてくれた。確かに鈴木のいる美術第一課長は、今回の『霧のペルシア』の出品に反対したようだ。
「『霧のペルシア』が、帝国画廊のレゾネにない作品なら、葉山まで行って、桐島先生に確認していただいたらどうか?」
第一課長は、査定セクションに長くいた人で、真贋には人一倍うるさいと社内では定評の人だ。石橋を叩いて渡るタイプで、長くいた自分の古巣がOKした作品だからと無条件で通す人ではなく、慎重に進めるように鈴木に指示したという。
営業がわかっていないと一課の人間の評判はもう一つだが、絵はわかる人だと定評がある。きっと、あの微妙なタッチの差に気が付いたのだろう。
「課長、桐島先生は、今、海外取材で東南アジアに行ってはるんですわ」
普段から自分の上司であるはずの課長を良くは思っていない鈴木は、きっと小馬鹿にしたように話したのだろう。
「じゃあ、桐島先生が帰国するのを待って、確認して貰った上で、次回のオークションに回せばいい」
「出品者は、うちか三和アートに出そうか迷っているようやから、次回に回すと、どうなるかわかりませんですよ」
あの頃の馨が三和アートを知るわけはない。鈴木は意図的に、わざわざライバルのオークションハウスの名を出して、第一課長を牽制したのに違いないのだ。
「それに課長、査定(=査定セクション)の判断は、桐島先生のペルシア・シリーズでした。そこまで言わはるんなら、課長から査定に再確認してもろて、あやしいのなら出品を断って、三和アートに出してもろたらええんと違いますか」
最低落札予想価格が一億五千万円の作品だ。仮に、一億円の値が付けば、ファーストに入ってくる売買手数料は、売り買い双方から一〇%ずつの二千万円になる。エスティメイトの最高額(二億五千万円)なら、五千万円の手数料が入るのだ。
鈴木から何度も他のオークションに出品されると、半ば脅すように言われると、第一課長も黙るしかなかったそうだ。
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次は、1月3日に掲載の予定です。
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