桜の木の下で 4
「今日、カタログに載っているのを見て、びっくりしたんだ。まさか、あの絵が出品されるなんて、思いもよらなかったから」
鞄からオークション・カタログを出して、オークションへの出品について尋ねた。もちろん、言外には俺に相談せずにと、遠回しな非難を込めての上だ。
「やっぱりご存じじゃなかったんですね。すいません」
馨は、てっきり俺が知っていると思っていたようだ。何か、思うところがあるのか、考えている様子だ。
「神山さんに相談しようと思って、会社に電話をしたら、外に出ていらっしゃる時だったんです。電話を受けた人に、絵の出品で電話をしたと話したら、担当が違うからって、鈴木さんのところに回されて」
なるほど。それで、鈴木が一課の担当として、出品させたのだ。絵を出品した事情は、納得できるものだった。
ただ、少し不満だ。馨にとって俺が、たまたま出会ったオークションハウスの社員に過ぎないのは重々わかっているつもりだ。だが、それでも電話の一本くらいは、直接かけてくれても良かったのにと思ってしまう。
きっと、俺の表情が曇ったのに気が付いたのだろう。
「私も、直ぐに神山さんに話せば良かったんですね。神山さんの話をしたら、鈴木さんが大丈夫だと言ったんで、きっと話してくれるんだと思い、つい任せてしまって……」
馨は申し訳なさそうに謝った。
会社にいる時から、ファーストの査定セクションが、諏訪画廊の『霧のペルシア』をどう判断したのか、気になっていた。
「うちの会社から、絵について何か説明は受けた?」
「鈴木さんが、桐島禎博のペルシア・シリーズが一九八七年からで、その時の作品に違いない、と説明してくれました」
鈴木の言葉を真に受けて、満足したようにはきはき話す馨が気に障った。鈴木なんかに、絵の鑑定眼があるわけはない。きっと会社の査定セクションの考えを、そのまま受け売りで馨に伝えたのに違いないのだ。
「レゾネについて、何か言っていなかった?」
俺が尋ねると、何か思い出そうとしているのか、ちょっと考えた。
「確か桐島画伯の作品は、銀座の帝国画廊がレゾネを作って管理していて、ファースト・オークションの担当部署が確認したけど、記載がなかったそうです。ただ、画家本人が直接、人に譲った作品などは漏れる場合があって、今までも数例記載されていない作品があったと聞きました。帝国画廊も、念のため桐島画伯に確認を取ろうとしたら、海外への取材中で、連絡が取れなくて……。でも、今回の作品は、サインもタッチも問題ないものだから、出品することになりました」
祖父が自慢げに、描いたばかりの絵を、人に譲っている光景が想像できた。しかし、本当に祖父が、イランから帰った翌年の忙しい時期に、レプリカを描いて人にあげたのだろうか。祖父は、のんびりと海外取材に行っているが、日本ではおかしな事件が起こっているんだ。といっても『霧のペルシア』が出品されている事情なんて、知るわけはないのだが。
あの絵が一点しかないのなら、馨が鈴木から聞いた説明でも十分に納得がいった。だが、真作が俺のマンションにあり、祖父の今までの創作活動を考えれば、レプリカではなく、贋作が出品されようとしているのは明らかだ。
「お父さんは、絵の出品は了解している?」
「以前も訊かれましたけど、今度は……。鈴木さんがうちに来て、父と相談したから」
かすかに馨の目が揺らいだような気がした。確かに、一億円を超える作品の出品だけに、正式な手続きを踏んでいるのに違いない。