もう一枚の絵 4
会社に戻ると、田部井課長が、「どうだった、林さんは?」と笑いを噛み殺しながら訊いてきた。
自転車が趣味でスリムな課長は、よく通る声の持ち主で、オークショニアとして演台に立つ姿が凛々しい。普段は温厚な人だけにギャップが激しく、きっとそれが人を惹きつけるのだろう。会社の女性たちに人気があった。
「課長が話していた、永仁の壺の写しでした。国会図書館で、勉強したのが、直ぐに役立ちました」と話すと、思った通りだったのだろうか? 大声で笑った。なぜか林が、「胆胆堂では贋作を、本物のふりして売ったりはしない」と力説した話をすると、
「ああ見えて、そんな人なんだよ。あの林さんは!」と、真剣な眼差しに戻り、緩んだ頬を引き締めた。
どこか信用の置けない風貌の林を、真面目な課長が評価するのが意外だった。初対面の時の黒楽茶碗が尾を引いていた俺は、どうも課長の言葉を額面通りには受け取れない。
「二年前に、林さんに写しの黒楽茶碗を見せられたんです。まだファーストに入社したばっかりの頃で、上手く言いくるめられて、真作であるはずがない黒楽茶碗の鑑定をしたあげく、写しが入っていた極箱の、真作茶碗の持ち主まで探してしまいました。結局、そのときの極箱が入るべき真作の持ち主はわからなかったけど、油断も隙もない人です」
俺は、課長の知らない林を知っているのだと、誇示するように自慢げに話した。課長は、俺の話に、一瞬ちらっと戸惑ったような顔を見せた。
「ああ、それはたぶん聞いたような気がするな。きっと楽茶碗、確か『赤匂』の極箱じゃないかな?」
と、課長は俺を見た。俺が肯くと、
「それなら林さんは、カモ太郎さんが写しを手に入れた所を聞き出し、京都まで足を運んで、『赤匂』の現在の持ち主に、その極箱は売ったそうだ。写しの黒楽茶碗は、近所の福祉会館の茶会に寄付して、凄く喜ばれたと電話をくれたよ。てっきり、君にも話していると思ったが、僕から伝えると考えていたのかも知れない。今度、それとなく聞いてあげるといいよ。あの話し方で、得意なのを隠して喋ると思うから」
二年前に、贋作だとわかっている茶碗を鑑定させ、極箱の持ち主を俺に探させた。結局、贋作に間違いないことと、京都の骨董屋筋には、『赤匂』の極箱を扱ったところがないのを俺に確認させた。あのときと同じように、こっそりと『赤匂』の持ち主を見つけていた林が、一枚上だった。しかし、林が『赤匂』の鑑定を頼んだ俺には話さず、課長にだけ伝えていたのに、臍を曲げたくも思った。
だが、「聞いてあげるといいよ」と課長に言われると、ふと笑いたくなった。ポーカーフェースを越えた、のっぺり顔の林が、どんな風に俺に話すのか、想像したからだ。
古物商やオークションの仕事は、物を売買するのではなく、人と人との間に、美術品を仲介するのだと課長から教えられていた。オーナーのかも太郎氏と『赤匂』の持主の間を林が動いたことにより、真作は極箱の中に納まったのであり、老骨董店主の矜持を見た思いがした。
この後、トイレの前で美術第一課の鈴木とすれ違った。鈴木は、俺と同じ歳だ。
俺は同期のつもりだが、向こうはわずか三ヶ月先輩なのを鼻に掛ける嫌みな奴だ。勝手にライバル視して「よっ、学芸員、がんばってまっか!」と、機会あるごとに関西弁でからかってくる。絵がまったくわからないくせに、俺がやりたい絵画担当をやっている鈴木が、日頃から気に障った。
その鈴木が、「よっ新人! 永仁の壺は、どうやった?」と例の如く品のない関西弁で、嫌みを込めて絡んできた。
いつもの「学芸員」が「新人」に変わったのは、学芸員である俺が永仁の壺事件を知らなかったのが、鈴木の耳に入ったからだろう。つまり、鈴木の頭の中では、学芸員から新人へと一段格下げになったということだ。一度でいいから、この鈴木をぎゃふんと言わせたい。いけないと重々わかっていながら、精巧な祖父の贋作である諏訪画廊の絵が頭に浮かんだ。