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霧のペルシア  作者: ウニコ
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もう一枚の絵 1

 南青山の諏訪画廊を訪れるのは、学生時代以来だ。西麻布に住んでいるため、この辺りはよく来るが、前を通り過ぎるだけだった。

 俺が店に入ると、馨は匂うような笑みを浮かべて、出てきた。今日の馨は、薄く化粧をし、黒の短い丈のワンピースを着ている。

 やけに幼く見えた昨日とは違い、ピンヒールに黒のストッキングの編み目が魅力的な、誰が見ても大人の女だ。

 百七〇センチ近くはある、すらっとした上背。茶色がかった髪と白い肌に、青い瞳。こんな馨がいるだけで、店の中がグレードアップし、銀座の一流画廊を訪れたような気がする。

 馨の父は出掛けていて、代わりに店番をしていた。俺は、馨の父の不在が『霧のペルシア』の購入による金策でなければと気になった。

「あれが昨日の見せた絵で、『霧のペルシア』です」

 馨は俺を、絵の前に連れて行った。

 諏訪画廊の『霧のペルシア』は、普段は飾られていないようで、店のどこにも二〇号の絵を飾るスペースはない。俺が来るために、商談用の小さな応接セットのそばに架けてあった。

 二〇号の油彩を目立つ所に飾れば、きっと人目を引くはずだ。馨の父が、この作品を飾らないのは、どうしてなのか? まさか、絵が贋作だと知ってでは、ないだろうが?

 掛けられていた『霧のペルシア』の前に一歩ずつ近寄った。写真でも見ていたが、目の前にある絵は、とても精巧なものだ。最初から贋作に違いないとフィルターを通して見ているのに、祖父が描いた作品ではないとは言い切れなかった。

 ただ、絵から伝わる力強さが、どこか違う。ペルシア・シリーズの頃の勢いがある祖父のタッチではなく、どちらかというと円熟味を増した、祖父が六十歳を越えてからの作品に近い。描いた画家は、たぶんある程度ベテランの熟練画家なのだろう。

 特に大きな違いは、制作年だ。馨の携帯を見た時に、気付くべきだった。諏訪画廊の『霧のペルシア』は一九八七年だ。

 確かに、祖父のペルシア・シリーズは、市場にある作品は全て一九八七年以降だ。画集などの解説には、一九八六年に、半年間のイランの旅に出た桐島禎博が、帰国した翌年の一九八七年から、本格的に描き始めたと書かれている。

 イランへの旅から帰った祖父が、最初に描いた作品が『霧のペルシア』で、他のペルシア・シリーズとは違い、この作品だけは一九八六年に制作したものなのだ。いずれにしろ、諏訪画廊の『霧のペルシア』は、誰かが模写した作品に違いない。

 とはいえ、模写であると考えても、疑問が湧く。制作年とサインの関係が、どうもしっくりいかないのだ。

 模写をする場合は、普通は二通りの方法がある。

 一つは、模写した年を入れて、描いた者のサインを入れる。例えば、俺がいま描き終えた作品なら《H.Kouyama 2008》と入れるのだ。これは、画学生が、習作として描いた場合などに用いる手法だ。

 もう一つは、真作と同じ制作年を入れて、真作と同じサイン、つまり桐島禎博のサインを真似るものだ。むろん、そのまま真作のふりをして売れば、贋作となる。

 模写作品(コピー)については、絶えず贋作として流れる虞れがある。贋作を防止するために、美術館などでは、模写する場合に、厳格な規定を設けている。

 どこの美術館でも、コピーを作る場合は、原寸大は禁じている。よく海外の美術館に訪れた時に、模写する人を見かけるが、贋作を配慮しルーブル美術館では原寸の七十五パーセント以下しか許可しないなど、厳しいものなのだ。

 わざわざ諏訪画廊の『霧のペルシア』のように、制作年の違うものを入れて、桐島禎博のサインを真似る手法は考えられない。じゃあ、翌年の制作年を入れ、祖父のサインが入った眼前の絵は、どう考えればいいのか?

 最も自然に考えられるのは、祖父が、翌年に再び描いた画家自身による複製画(レプリカ)だ。もし、祖父自身が描いたレプリカなら、制作年を偽って入れたりしない限り、贋作ではない。

 ただ、一般にレプリカは、オリジナルに比べると価値は落ちる。つまり、抑え切れない芸術的欲求の中で描いたオリジナルには、どんなに修正を施し、手を加えてもとうてい及ばないのだ。

 祖父は、同じ対象物ですら、あまり描かない画家だった。それ故に、わざわざレプリカを描くとは考えられない。やはり、レプリカと考えるには無理がある。似ているとはいっても、ペルシア・シリーズの力強いタッチとの違いを考えれば、目の前の絵は、祖父が描いた作品であるはずはない。

 念のため、カンバス裏を確認しようと思った。でも、「真作では?」と妙に馨に期待を抱かせるだけなので、それも必要はないと考え、やめた。

 俺は深く息を吐き、目の前に立っている馨を見た。目が合うと、なぜか青い瞳が激しく揺れている。何か言いたげな馨から目を逸らしたのは、諏訪画廊の『霧のペルシア』が贋作であり、真作が別の所にあるのを告げるべきか、一瞬ふと迷ったからだ。

 真作があるのを知ったら、馨はきっと驚くだろう。いや、昨日はあんなに真贋を気にしていたのだから、そうとも限らないか? しかし、今のところ、絵の真贋どころか「この絵をどう思うか?」とすら、まだ訊いても来ない。ただ俺の様子を伺うように、黙っているのだ。

音楽に関わる話しを書いています。是非読んでください。

http://ncode.syosetu.com/n3697cj/


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