真作 4
この時、黒楽茶碗を、どうしてもファーストで調べて貰いたいと林が頼んできた。きっと、二百万円で買ったオーナーの鴨志田に、自分からは贋作だと言い辛いのだろう。初めて訪れた時でもあり、林の顔を立てるため、仕方なく持ち帰った。
ファーストの査定セクションの鑑定は、黒楽茶碗は昭和初期のもので、楽家十一代・慶入の写しだった。『赤匂』の極箱は、落款の署名や花押も間違いないが、楽茶碗がそのまま入る箱としては少し大きい。赤楽茶碗の外箱だという。
本物の『赤匂』の持ち主が見つかれば、きっと極箱は売れるに違いない。扱った覚えはないかと、何軒か京都の骨董屋をあたったが、わからなかった。
数日後、黒楽茶碗を持って胆胆堂に行き、「いけないものでした」と話した。林は「そうでしょう!」と、淡々としている。俺も林と同様に、端から贋作に違いないのはわかっていたが、林に「そうでしょう!」とさも当然の如くあしらわれると、けっしていい気はしない。
「極箱の箱書は本物で、『赤匂』の銘がつく道入の茶碗を扱った所があるか、京都の骨董屋を何軒かあたったが駄目だった」と伝えると、今度はがっかりしていた。林は、黒楽茶碗が贋作なのを知りながら、俺に調べさせるふりをして、実は極箱の持ち主を探させたのだ。
慶入の写しだった黒楽茶碗は、しばらくは胆胆堂に売り物として出ていたが、いつの間にかなくなっていた。
『赤匂』の極箱は、どうなったのか? オーナーの鴨志田のようなカモを見つけて、黒楽茶碗と一緒に売ったとまでは思いたくないが、一度、訊いてみたい。だが、あの林ののっぺりした顔を見ていると、訊く気にはなれなかった。
林が店主をする胆胆堂は、林の祖父が興した店だ。戦前は日本橋にあった古道具屋で、戦災で早稲田に移った。店が鴨志田の手に渡ったのは、林がバブル期の土地投資に失敗したからだ。
資金繰りに窮して、最後に借りた街金は、都内にいくつもの駐車場を持つ、鴨志田が出資しているところだった。書画骨董のコレクターでもある鴨志田は、骨董屋の経営に以前から興味があったそうだ。林を今まで通り店の二階に住まわせたまま、胆胆堂を手に入れた。
林は、雇われ店主となったが、陶磁器の鑑定では、並の骨董屋では敵わない。商売に専念したのだから間違いはなく、胆胆堂はそこそこ繁盛していた。
音楽に関わる話しを書いています。是非読んでください。
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