のどかな時間の中で
ここには便利な物なんて何もない。でもそれがいい。
ここにあるのは四方を囲む大きな山々に天高い青空。あたたかい日差しに広がる緑の海に咲き誇る野花。そしてこの村にひとつしかない古小屋のバス停だけ。
錆びた時刻表には朝と夕方の2本の時刻しか書かれていない。小屋に貼られているチラシは10年前のもので、何が書かれているのかも読めない。けれどそのチラシの日付だけはしっかりと残っている。
青色のプラスチック素材でできたベンチがひとつある。色がほとんど取れて薄くなっている二人掛けのベンチなのだが、二人が座っているのをみたことはなく、正確にいうならば誰かが座っているのを一度も見たことがない。
もしかするとこのベンチに座ったことがあるのは、いま座っている私だけなのではないかと思えてしまうほどだ。
知ってはいるが携帯電話を開いてアンテナを確認する。もちろん電波は届いておらず圏外だ。村にはまず電信柱も電線というものも無い。現代の技術はこの場所では無意味と言ってもいいだろう。
ここはほんとうにのどかなところだ。
草木がさらさらと擦れる柔らかな音に小鳥のさえずりだけが耳に入ってくる。人の声も車やバイクの騒音も何もない。おまけに建物というものがほぼ存在しない。あるのは村で暮らしている人達の家が片手で足りる分だけ。すべてが木造建築で、今にも壊れそうで、人が住んでいるとは到底思えないような古い家だ。
この村で私は人を見かけたことがない。朝から夕方まで誰一人として出会ったことがない。いまさらかもしれないが、もうこの村には人はいないのだろう。これでようやくこの静けさに納得がいく。
だからなのかもしれない。この場所では本当の意味で一人の時間を過ごすことができる。
私はただベンチに座って景色を眺めている。携帯電話の時計は見ずに、五感で時間の流れを感じてみた。風の匂いや方向、太陽の位置や影の長さ、鳥の声や虫の声、肌で感じる気温、味覚は働かせないが空腹具合で時間の動きを把握する。
……もうすぐバスが来る時間だ。
遠くの方からエンジン音が聞こえてくる。舗装されていない砂利道の軋む音が響く。
バスは私の座るベンチの真ん前で止まり、ドアが開いた。
17時48分ちょうど。
誰も乗っていないバスの一番後ろの中央に座る。
びーっと音が鳴ってドアが閉まると、ゆっくりとバスは走り出した。
今日もいい創作意欲が湧いたかな。そうだ、今度はこの体験を物語として書こう。
忙しい人にひとときの安らぎを与えるために。
たまには息抜きも大切ってこと知ってもらいたいな。
あ、言い忘れてた。
窓を開けて遠くなっていく村に手を振る。
「今日もありがとーまたくるねー」
沈む夕陽はたしかに手を振り返す人の影を照らしていた。
読んでいただきありがとうございます。私の息抜きです。この風景は実際に私が見たものです。(少し美化されていますが……)