横領の罪で婚約破棄されたので、裏帳簿を武器に氷の公爵様と「監査」に参ります
王宮の大広間、シャンデリアの煌めきが冷たく床を照らしている。
数百の貴族が集う予算決算パーティーの最中、その声は響き渡った。
「ライラ・フォレスター! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」
財務大臣の息子であり、私の婚約者でもあるジェローム様が、壇上で私を指差していた。
彼の隣には、派手なドレスを身に纏った見知らぬ女性が寄り添っている。
音楽が止まり、ざわめきが波紋のように広がった。
私は手にしていたグラスを給仕に預け、静かに彼を見上げる。
「……理由を伺っても?」
「白々しい! 貴様が経理係の立場を利用し、国庫から多額の資金を横領していたことは分かっているんだ!」
ジェローム様がバサリと書類の束を床に投げつけた。
散らばったのは、送金記録の写しだ。
周囲から「なんてことだ」「地味な顔をして恐ろしい」と嘲笑が漏れる。
「私のIDを盗み使い、架空の補修工事名目で裏口座へ送金しただろう。この性悪女め! 我が家の恥だ!」
罵倒を浴びながら、私は散らばった書類の一枚を拾い上げた。
……なるほど。
日付は先月の三日。金額は金貨三千枚。名目は北塔の修繕費。
私は小さく息を吐き、いつもの癖で懐中時計を取り出した。
「計算が、合いませんわ」
「は? 何を言って……」
「先月三日、私は王太后陛下の茶会に招かれており、終日執務室にはおりませんでした。アリバイなら王太后陛下ご本人が証明してくださるでしょう」
淡々と事実を述べると、ジェローム様の顔が微かに引きつった。
だが、すぐに隣の女性が「嘘よ!」と叫ぶ。
「夜中に忍び込んだのを見たっていう証言があるの! 往生際が悪くてよ!」
あぁ、そういうことか。
私は冷静に状況を分析する。
ジェローム様は、ご自身の遊興費――おそらくは違法賭博の負け分――を埋めるために国庫に手をつけ、その罪を私に被せて切り捨てるつもりなのだ。
完璧な筋書きのつもりなのだろう。
……私という人間を、理解していれば。
(馬鹿な人)
私はドレスの隠しポケットに触れた。
そこには、一冊の小さな黒革の手帳がある。
私が独自に記録していた『裏帳簿』だ。
正規の帳簿と照らし合わせれば、ジェローム様がいつ、どこで、いくら抜いたかが全て分かる決定的な証拠。
これを今、ここで叩きつけてもいい。けれど――。
「――そこまでだ」
空気を凍らせるような、低く威厳のある声が広間を制圧した。
人垣がモーゼの海のように割れる。
現れたのは、漆黒の礼服に身を包んだ長身の男性。
銀色の髪に、氷のように冷たい青い瞳。
王宮監査局長、アレクシス・フォン・ヴァルデック公爵。
「歩く断頭台」と恐れられる、王宮で最も敵に回してはいけない男。
「か、監査局長……? なぜここに」
ジェローム様が狼狽える。
公爵は彼を一瞥もしなかった。
その鋭い視線は、真っ直ぐに私に向けられている。
「ライラ・フォレスター男爵令嬢だな」
「……はい」
「そのポケットに入っているものを出せ」
心臓が跳ねた。
気づかれていた? いつから?
抵抗しても無駄だと悟り、私は『裏帳簿』を取り出した。
公爵は私の手からそれを奪うのではなく、私の手を上から包み込むようにして手帳を押さえた。
冷たいと思っていたその手は、驚くほど熱かった。
「これはまだ出すな。……小物が逃げ出す」
公爵が私の耳元で囁く。
甘い毒のような声だった。
「ジェローム・バーンズ。その女との婚約破棄、確かに受理しよう」
「えっ、あ、ありがとうございます! 公爵閣下も、この泥棒女を裁いてくださるのですね!」
「あぁ、裁こう。――徹底的にな」
公爵の口元が、捕食者の形に歪む。
そして次の瞬間、彼は信じられない行動に出た。
大勢の貴族が見守る中で、私の腰を強く引き寄せ、その場に跪かせたのだ。
まるで、求婚するように。
「ライラ嬢。君のその計算能力、そして不正を見逃さない潔癖さ。私がずっと探していた人材だ」
「は……?」
「私の専属監査官になれ。いや――私の妻になれ」
会場が静まり返る。
ジェローム様が口をパクパクさせている。
「こ、公爵閣下!? そいつは横領犯ですよ!?」
「黙れ。彼女が横領などするはずがない。なぜなら――」
公爵は立ち上がり、私を背に庇ってジェローム様を見下ろした。
「彼女が管理していた帳簿の写しは、全て私が毎晩チェックしていたからだ。一円のズレもなく、実に美しい仕事だった。……あのような美しい数字を書く人間が、汚らわしい真似などするわけがない」
毎晩? チェックしていた?
初耳だ。というか、怖い。
私が困惑していると、公爵は再び私に向き直り、愛おしげに私の頬に触れた。
「君が必要だ、ライラ。君が持つその『裏帳簿』と、私の権限があれば、この国の膿を全て出し切れる。……どうだ? 私と共に、彼らを『監査』してくれないか?」
目の前には、最強の権力者。
そして背後には、青ざめる元婚約者。
私の答えは、決まっていた。
私は公爵の手を取り、優雅にカーテシーを決める。
「――謹んで、お受けいたします。閣下」
その瞬間、公爵の瞳が熱を帯びた。
彼は私の手を取り、甲に唇を落とす。
「交渉成立だ。……覚悟しておけよ、私の愛は執念深いぞ」
◇
「な、何を言っているのですか公爵閣下! その女は詐欺師です! 私のIDを使った記録があるんですよ!?」
ジェローム様が金切り声を上げた。
私の手を握るアレクシス様の瞳が、すっと細められる。
温度が、消えた。
「……私の婚約者を愚弄するな。彼女が詐欺師だと言うなら、証明してみたまえ。今すぐにだ」
アレクシス様が指を鳴らすと、控えていた黒服の監査官たちが数名、音もなく現れた。
彼らはジェローム様がばら撒いた「証拠書類」を瞬時に回収し、整列させる。
その手際の良さに、会場の空気が張り詰めた。
「では、監査を始めようか。ライラ、君の『裏帳簿』を見せてくれ」
「はい」
私は黒革の手帳を開いた。
震える指先を、アレクシス様がそっと支えてくれる。その体温だけが今の私の支えだった。
「ジェローム様が提示された送金記録。先月三日の金貨三千枚。送金先コードは『北塔修繕・業者B』となっています」
「そ、そうだ! お前がそこに流したんだろう!」
「ですが、私の手帳の記録……および、国庫のアクセスログと照合すると、奇妙なことが分かります」
私は淡々と、愛する数字を読み上げる。
「この送金処理が行われたのは深夜二時。同時刻、アクセス元の端末IDは確かに私のものですが……発信元の魔力波長が記録されています」
魔力波長。
それは指紋のように、個人を特定する絶対的な証拠。
ジェローム様の顔から血の気が引いた。
「王宮のセキュリティシステムは、IDだけでなく操作者の魔力もログに残します。……ジェローム様。貴方は私のIDを盗み見ることはできても、私の魔力を真似ることはできません」
私はアレクシス様を見上げた。
彼は凶悪な笑みを浮かべ、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「これが監査局で抽出したログだ。記録された魔力波長は……ジェローム・バーンズ。貴様のものと完全に一致している」
どよめきが爆発した。
「自分の魔力で?」「なんて間抜けな」「IDさえ使えばバレないとでも?」
嘲笑の的が、私から彼へと移る。
「ち、違う! これは……そうだ、マリアンヌ! お前がやったんだろう!?」
追い詰められたジェローム様は、隣で青ざめていた浮気相手の女性――マリアンヌ嬢の腕を掴んだ。
「お前が『借金があるから金を用意して』と泣きついたんじゃないか! 僕はそれに協力させられただけだ!」
「なっ……!? ひどい、ジェローム! 貴方が『俺の家の金は使いにくいから、あの地味女に罪を被せて国庫から抜けばいい』って言ったんじゃない!」
醜い。
あまりにも醜い内輪揉めが始まった。
マリアンヌ嬢もまた、自分の保身のために洗いざらい喋り始めた。賭博での借金、ドレスへの散財、そして私を陥れるための偽造工作の計画まで。
もはや、私が追加の証拠を出すまでもなかった。
「……計算、終了だな」
アレクシス様が冷酷に告げる。
「国庫横領罪、および公文書偽造罪。加えて、私の未来の妻への侮辱罪だ。……衛兵、連れて行け」
「ま、待ってください閣下! 父が、財務大臣が黙っていませんよ!」
「ああ、君の父君か。彼なら今頃、別動隊が家宅捜索に入っている。息子の不始末を隠蔽していた疑いでな」
ジェローム様が絶望に膝をついた。
衛兵に引きずられていく彼の姿を見ても、私の心は驚くほど凪いでいた。
かつて愛したかもしれない人の破滅。
けれど、それ以上に――。
「……終わったか」
アレクシス様が、私をふわりと抱き上げた。
いわゆる「お姫様抱っこ」だ。
周囲の貴族たちが息を呑み、そして割れんばかりの拍手を送ってくる。
私は真っ赤になって彼の胸に顔を埋めた。
「か、閣下、降ろしてください……!」
「嫌だ。君は今日、あまりにも美しく敵を追い詰めた。その功績に対する報酬を与えねばならない」
「報酬……?」
「ああ。……続きは、私の屋敷でたっぷりと」
氷の公爵様は、見たこともないほど甘く、熱っぽく微笑んだ。
***
その後。
ジェローム様とマリアンヌ嬢、そして財務大臣家は没落の一途を辿った。
横領された資金は全額回収され、私の「裏帳簿」は王宮の危機管理マニュアルとして採用されることになった。
そして私は今、アレクシス様の執務室にある特等席――彼の膝の上に座らされている。
「あの、アレクシス様。仕事ができません」
「君はそこにいればいい。私の癒やしだ」
「監査局長が職権濫用ですか?」
「妻を愛でるのに公私混同はない」
彼は書類にサインを走らせながら、合間に私の首筋に口づけを落とす。
契約結婚だと思っていた。
けれど、彼は初夜に私に告げたのだ。
『三年前、君が提出した予算修正案を見た時から、ずっと君を狙っていた』と。
私の書く数字の美しさ、論理の完璧さ、そして不正を許さない正義感。
その全てに、この仕事人間は発情していたらしい。
「ライラ。愛しているよ。君のその怜悧な頭脳も、地味だと卑下するその顔立ちも、全てが私には好ましい」
「……変わり者ですね、貴方は」
「ふっ、最高の褒め言葉だ」
抱きしめられる腕の強さに、私は観念して力を抜いた。
どうやら私の人生の計算式には、「溺愛」という予想外の係数が組み込まれてしまったらしい。
けれど、その答え(ハッピーエンド)は、決して悪くないものだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
「すっきりした!」「公爵様の執着最高!」と思っていただけたら、
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(地味に有能なヒロインが愛される話、もっと書きたいです……!)




