幻のお酒と黒く脈打つ泉。
「悪いな。お前まで付き合わせちまって…」
アンネリーゼ達が冷蔵庫の件でバタバタしている頃――
キャスバルとケルネリウスはシルトクレーテの分身体を連れて、再び幻のお酒が取れるという泉に足を運んでいた。
「別に構わない。それに楽しみにしてる奴がいるしな。」
フッと軽く笑うケルネリウスを見て、誰を思い浮かべているかわかったキャスバルは、乙女のように少し顔を赤くする。
(これは…あとでエリザベッタに報告だな。)
「だって…あいつ…食に関しては絶対諦めないだろ? 皆には言っていないが…成人する時には一度プロセルピナ神殿に戻ってくるようイアンから言われているんだ。」
ネプリヌス海でイアンと会った時の言葉が、ケルネリウスの脳裏に蘇る。
『リース。アンナの事を頼むよ。それと…成人の日までになんとしてでも連れて戻ってくれ。』
キャスバルの眉がピクリと動く。
「戻れって…なんでまた…?」
二人の間に沈黙が流れる。
(そんなに大事なことなのか!?)
不気味なほど静かな空間で、甘い匂いだけが漂う。
心臓の音が周囲にも聞こえるのではないかと思うほどの重たい空気の中――
ケルネリウスは、やっと口を開いた。
「……成人の祝いをしたいんだそうだ」
「……え!? それだけ!? 今のためる必要あったか!?」
これだけ溜めたのだから、何か重大な秘密があるのではないかと身構えていたキャスバルは、思わず全力で突っ込んだ。
その声が、泉の周囲に反響する。
「それだけって……お前、絶対わざとだろ……」
ケルネリウスは肩をすくめ、ふっと笑う。
「いや、俺はちゃんと言ったぞ。お前が勝手に深読みしただけだ」
「……くっそぉ……」
キャスバルは頭を抱えながら、泉の水面を見つめる。
そのとき――
「ボコッ……ボコッ……」
泉の奥から、泡の音が響いた。
さっきまでの冗談めいた空気が、再び張り詰める。
「おい…今の音。聞こえたか?」
「…あぁ、聞こえた。」
音のする方へ目を向けると、泉の底で、まるで鍋の中でお湯が沸騰しているかのように「ボコッ……ボコッ……」と泡が規則的に浮かび上がっている。
「あぁ…またこうなったか…。」
道案内しかしてこなかったシルトクレーテの分身体が、泉を見て深くため息を吐いた。
「『また』…?」
キャスバルとケルネリウスが同時に声を上げる。
シルトクレーテは少し考え、それから語り始めた。
「これは恐らく…杏菜の浄化の力に反応しておる。この泉はな、昨日杏菜が収穫したといっていた大樹の幹とつながっているのじゃ。 ケルネリウスよ。試しにお前の腰につけておる剣をその泉にさしてみろ。」
小さい顔をグイグイっと動かして催促するシルトクレーテに、ケルネリウスは腰から《フレア・レメディア》を取り出した。
「これを…そのまま泉に刺せばいいのか?」
昨日スコップにして土を掘っていたのだから問題はないはず―― そう思っていたが、ケルネリウスはなぜか妙に戸惑っていた。
「…いいから早くやれ。」
シルトクレーテの容赦ない言葉に押され、ケルネリウスは渋々泉に《フレア・レメディア》を刺した。
すると――。
先ほどまで「ボコッ…ボコッ…」と一定のリズムを刻んでいた泡たちが、《フレア・レメディア》に集まり始め、「ブクブクブク」と細かい泡を発生させていく。
「これは…浄化に反応しているのか!?」
キャスバルが泉を覗き込むと、濁っていた泉が澄んだ水へと変わっていく。
「あぁ、そうみたいだ…。やっぱり浄化は効かないわけではなかったということか。」
ケルネリウスの喉が、ごくりと鳴った。
喜びかけたその瞬間――
ふいに、焦げ臭いような酸味のある匂いが漂う。
泉は、瞬く間に真っ黒な水へと変貌を遂げた。
「「えっ……!?」」
先ほどまで澄んでいた水面は、墨を流し込んだように濁り、泡は「ボコッ……ボコッ……」と低く重たい音を立てていた。
「……浄化が効いたんじゃなかったのか?」
キャスバルが震える声で呟く。
ケルネリウスは剣を握りしめ、泉を睨んだ。
一拍の静寂――。
泉の表面に、黒い泡がゆっくりと浮かび上がる。 まるで、地の底で眠っていた“何か”が目を覚ましたかのように。
「シルトクレーテ殿。あなたは…これを知っていたんですか?」
キャスバルが問いかけると、シルトクレーテの分身体は泉を見つめたまま、ゆっくり口を開いた。
シルトクレーテは、どこか懐かしむように目を細めた。
「昔、この地には清子と一緒に来たことがある。その時も、ここまでひどくはなかったが……この地は今と似たように腐敗していた。 いや、腐敗していたというよりも――清子が来たことで腐敗が始まったといった方が正しいかのぅ~……」
「清子……? その名前、以前も出てきましたよね。アンナからも聞きました。一体何者なんですか?」
「ふぉっふぉっふぉ。お主らには、こう言った方が伝わるかの? 儂と一緒に旅をした――伝説の聖女じゃよ」
「「伝説の聖女!?」」
驚きに目を見開く二人。
だが、シルトクレーテにとって清子は“神聖な象徴”ではなく――
旅を共にした家族であり、異世界から来た娘であり、アンネリーゼと同じ“食に全力の娘”だった。
「清子はな……食べることに命を懸けておった。魔物をどう美味しく調理するか。皆が笑顔で飯を食べられるようにするにはどうするか。浄化はその次じゃ。食にかける情熱は並じゃなかった。」
ケルネリウスが目を細める。
「……なんだかアンナに似ているな…」
キャスバルも静かに頷いた。
シルトクレーテは小さく息を吐いた。
「清子が来た時も同じように腐敗し、浄化を試したが……結果は今と同じじゃった。 そこまで言えば、お主らにも答えが見えるじゃろう。」
キャスバルとケルネリウスは、それ以上踏み込まぬよう頭を下げる。
「……話してくださって、ありがとうございます。」
「ふぉっふぉ。礼などいらん。ただ――同じ過ちを繰り返すな。それだけじゃ。」
泉では、黒い泡がまるで心臓の鼓動のように「ボコッ……ボコッ……」と鳴り続けていた。
ケルネリウスが低く呟く。
「……伝説の聖女が来たことで腐敗が始まった。 なら、アンナが来たことで“何か”が動き出したのも、偶然じゃないということか。」
「浄化と腐敗……似て非なるものだ。 もしかすると、この地は“浄化”そのものを拒んでいるのかもしれないな。」
泡がひときわ大きく「ボコッ」と弾ける。
キャスバルは深く息を吐き、泉を見つめながら呟いた。
「……じゃあ、俺たちがやってきた“正しさ”は、この地にとっては“異物”だったってことか…?」
沈黙。
その沈黙の中で、シルトクレーテは静かに言葉を落とした。
「料理と同じじゃ。同じ素材でも、扱い方次第で毒にも薬にもなる。この地にとって浄化は毒だった。ただそれだけのことじゃ。じゃが――お主らなら薬に変えられるはずじゃ。」
ケルネリウスの背後で、キャスバルは小さな不安が胸に石のように残るのを感じた。
「キャスバル。とりあえず帰ろう。とっかかりが掴めただけでも十分だ。あとは俺たちの腕の見せ所だ。」
その背中は、どこかアンネリーゼにそっくりだった。
(ほんと…長く一緒にいると似てくるもんなんだな…。)
キャスバルは静かにその後を追った。
「お前、なんで土を掘るのに戸惑わないくせに、泉は戸惑うんだ?」
「ラケル…男にはな。負けると分かっていても戦わなければならない時があるんだ…」
「はっ!? 負けるって何に負けるんだ!? っていうか、やってることはさして変わらんだろーが!!」
「……まぁ、お前にもいつか分かる時が来るさ。」
「分からなくていいわ!!」
✿いつもお読みいただきありがとうございます(*.ˬ.)"
今回は、ケルネリウスとキャスバルの 男同士の回 でした。
泉に浄化が効いたと思いきや……まさかの 効かない 結果に。
この状況、八方塞がりに見えますが――
アンネリーゼはどうやって打開していくのでしょうか!?
次回 21:10 更新予定です♪
どうぞ、お楽しみに✨




