果実の甘い息。
「あれ? みんなもう帰ってきてたの?」
アンネリーゼがシルトクレーテに戻ると、自分より先に出発したはずのケルネリウスとキャスバルが、すでに戻っていた。
「あぁ、俺もさっき戻ってきたところだ」
「……俺も」
一人はイキイキとした顔で返事をするが、もう一人は真逆の反応。
果樹の都を見てきただけだというのに、こうも表情が違うものなのか。
(まっ、考えても無駄ね……どうせ、リースは“研究ができるから”っていう感じだろうし)
アンネリーゼは肩をすくめながら尋ねる。
「なにか収穫はあった?」
「……なくは、ない……」
キャスバルの反応を見るに、そこまで良い状態ではなかったのだろう。
言葉を濁すその様子に、アンネリーゼは少しだけ眉をひそめる。
「そう…。それで? 何があったか三十文字以内で答えて」
冗談交じりにそう言えば――
「はぁ……お前ってやつは……もう少し人の話をゆっくり聞く気は――」
「はい、文字オーバーです!!」
「数えてたのかよ!!」
二人のやり取りを見ていたエリザベッタが間に入って話を止めた。
「ハイハイ…そういう冗談はあとにして、話を進めましょ? アンナも、もうすぐ成人なんだからもう少し考えて行動しなさい?」
エリザベッタは「空気読まなきゃ」とでも言いたげに、そっと彼女の耳元で小さく囁く。
「はぁ~い。」
その言葉に素直にうなずけば、アンネリーゼはキャスバルの方を向いた。
「それで? どうだったの?」
「泉は…あった…」
言葉尻がどんどん小さくなっていく。
「…にはあった…だが…」
「…だが?」
アンネリーゼが首を傾げて聞き返すと、キャスバルは少し沈黙の後、重たい口を開いた。
「腐っていた…。」
その瞬間、空気が落ちる音がした。
アンネリーゼの笑顔が、一瞬だけ止まる。
「……腐ってた?」
短い沈黙の重さが、温度まで変えたようだった。
アンネリーゼは目を伏せ、ほんの数秒だけ考え込む。
そして、顔を上げると、表情を軽く整えて言った。
「……そう。じゃあ、その話は後で詳しく聞かせて。それで――ケルネリウスの方は、どうだったの?」
ケルネリウスは静かに通された視線を受け取り、瓶を取り出す。
「こっちも似たような状態だ。どこへ行っても、木はすべて腐っていた。それどころか……土もだ」
彼はポケットから小さな瓶を取り出しながら、淡々と続ける。
「一度、浄化の剣を土に刺してみた。だが……何の反応も得られなかった。お前が言ったように、この地では浄化の類は効かないようだ」
アンネリーゼが眉をひそめる。
「そう…思った通りだったわね…」
ケルネリウスは瓶をいくつか机に並べながら話を続けた。
「一応、土の状態を調べるために採取してきた。木の皮や根も少し。腐敗の進行具合と、ガスの発生源を特定できれば、何か見えてくるかもしれない」
瓶の中には、黒ずんだ土、変色した木片、そして微かに泡立つ液体が入っていた。
アンネリーゼはそれを見つめながら、ぽつりと呟く。
「……見た目は、土にしか見えないんだけどね……」
その言葉に、ケルネリウスだけでなく、エリザベッタやキャスバルも静かに頷いた。
「こっちの瓶に関しては、俺がこのまま調査しようと思う」
「お願い」
そう返すと、ケルネリウスはふいにアンネリーゼをじっと見つめた。
「な、なに……?」
人の話はよく聞くくせに、自分のことは話そうとしない――
そんな彼女の様子に、ケルネリウスはどこか引っかかるものを感じていた。
「それで……お前の方は、どうだったんだ?」
アンネリーゼの肩がびくりと揺れる。
エリザベッタはそんな彼女を見て、くすりと笑った。
「わ、私の方は……な、何もなかったわよ? ねぇ、エリザ?」
目を泳がせながら話すアンネリーゼを見て、ケルネリウスは深く溜息を吐いた。
「……リーゼ。こういう時は隠し事なしだ。わかったな?」
“リーゼ”と呼ばれた瞬間、アンネリーゼは観念したように肩を落とした。
その呼び方は、彼が本気の時の合図だったから。
代わりにエリザベッタが口を開く。
「ふふ。アンナもまだまだ子供ね。
私たちは果樹の都バックースの中心部まで足を運んできたの。そこで――
一本だけ、腐ることなく育っている大樹を見つけたわ」
そこから、彼女は見てきたことを淡々と語っていく。
その大樹には、さまざまな果物が実っていたこと。
だが、周囲の木々はすべて腐りきっていたこと。
そして、浄化の作用がまったく効かなかったこと――
「エリザ……あなたいつの間に浄化なんて使ってたのよ?」
アンネリーゼは果物を取るのに夢中で、まったく気づいていなかったらしい。
「いや、むしろなんでお前が隣にいて気づかねぇんだよ」
キャスバルが呆れた声を漏らす。エリザベッタはアンネリーゼの頭を軽く小突き、得意げに笑った。
「私、中級聖女よ? 旅を続けて浄化だって日に日に強くなっているの。 でも――この地では、やっぱり駄目だったわ」
最後の言葉は、強く言ったつもりでも、指先が小さく震えていた。
アンネリーゼはその肩に手を置き、柔らかく微笑む。
「この地はもともと浄化に頼っていなかったんだわ。
それがわかっただけでも大きな進歩よ。
それはエリザのおかげよ。もっと胸を張りなさい!」
エリザベッタは一瞬だけ戸惑い、それから息を吐き、アンネリーゼの手をそっと握り返した。
「……ありがとう。でも、次はちゃんと届かせるわ。
この地が拒んでも、他の方法を探しましょう!」
その瞳には、仲間への誓いが灯っていた。
***
「ふふ……ついにこの時が来たわね…」
それぞれが部屋に戻り、一日の疲れを癒やし始めたころ――
厨房では、不気味な笑い声が小さく響き始めていた。
アンネリーゼだ。
果物を並べ終え、“業務用冷蔵庫”と呟きながら扉を開ける。
甘く濃い香りがふわりと溢れ、発酵の匂いと混じって空気を満たす。
まるで高級ワインの貯蔵庫のような芳醇さ。
アンネリーゼは瓶を一つずつ取り出し、“儀式”でもするように手で撫でた。
瓶の中では、泡がコポコポと活発に動き、まるで“生きている”かのよう。
そして――
その泡は、まるで鼓動のように一定のテンポで脈を打っていた。
「発酵って……こんなに規則正しかったかしら……?」
小さく呟きながら棚へ戻し、冷蔵庫を閉める。
「ふふ。成人する日が楽しみね。」
その背後で――
「ボコ……」「ボコッ……」
甘く、ねっとりとした匂いとともに泡の音が鳴り続ける。
……甘すぎるほどに。
その夜。
厨房の奥では「ボコ」「ボコ」と泡の音だけが、不気味なリズムで鳴り続けていた。
「…ふふ…ふふふ…ふふふ」
「な、なんか…厨房から変な笑い声が聞こえぬか…?」
「いや、気のせいだろう?」
「ふふ…ふふふ…ふふふ」
「気のせいではないと思うのだが…」
「ラケル……聞かなかったことにしておく方が身のためだぞ。
丸焼きにはされたくないだろう。」
「……うむ…我は何も聞いていない。」
✿いつもお読みいただきありがとうございます(*.ˬ.)"
アンネリーゼが持ち帰った果物たち。
はたしてお酒は無事に完成するのか……?
次回 21:10 更新予定です♪
どうぞ、お楽しみに✨




