果樹の都、バックース。
「うっ……この匂い、すごいわね……」
「あぁ……本当だな」
シルトクレーテから降りると、エリザベッタはすぐに鼻を手で塞いだ。
キャスバルやケルネリウスも限界なのだろうが、神官騎士として手をふさぐわけにはいかないと思ったのか、眉間にしわを寄せながら拳を握りしめて耐えている。
「この匂い……発酵とはまた違う匂いが漂っているわね。腐ったチーズのような……」
「腐ったチーズ……?」
「えぇ、そう。発酵ならもっと、こう……生きてる匂いがするのよ。でもここには、その“生きている気配”がない。むしろ、この地全体が死んでしまっているようだわ……」
すぐ近くにある木の幹にそっと触れると、表皮がパラパラと崩れ落ちる。
その光景に、皆は言葉を失った。
「この匂いは……一言で言えば、死臭に近いかしら…」
辺りを見渡せば、木々はすっかり色を失い、葉一つついていない。
枝は乾ききっているのではなく、湿り気を帯びながら崩れかけている。
アンネリーゼはシルトクレーテへ一度戻るように伝えると、深く溜息をついた。
「はぁ……これはちょっと、厄介かもしれないわね」
いつもなら、「大丈夫!大丈夫!」と軽く笑って返すはずの言葉。
だが今回は、どこか自信なさげで――その響きは、重くのしかかるようだった。
「おい……アンナがあそこまで弱気なの、初めて見たぞ……」
「そうね……いつもは軽口で、なんでも簡単にこなしてしまうものね」
アンネリーゼは黙ったまま、地図を見つめていた。
その横顔に、いつもの余裕はない。
(せっかくここまで来たのに……お酒が飲めないなんて、絶対いやだわ!でも、どうしたらいいのかしら……)
拳をぎゅっと握りしめると一瞬目を閉じ、大きく息を吸ってから「ふぅ~」と吐き出すと、目を開けた。
「まぁ、このままにしておいていい問題でもないし……できることからやっていきましょう!それに、二ヶ月もあるものね!!」
「「「二ヶ月??」」」
なぜ“二ヶ月”なのかと首を傾げる三人に、アンネリーゼはこくりと頷いた。
「そう、二ヶ月あるわ! 私の成人までね!!」
……
その言葉を聞いた瞬間、他の三人はそろって“やれやれ”という顔でアンネリーゼを見る。
「お前なぁ~……悩んでたの、そこだったのかよ……」
「まぁ、アンナらしいったらアンナらしいけどね。さすがに心配しちゃったわ」
「はぁ……それで? 何から始めるんだ?」
ケルネリウスは、“どうせもう決めてるんだろ?”という口ぶりで問いかける。
だがアンネリーゼは、その言葉を聞いて、きょとんとした顔を見せた。
「え? それは……これから考えるのよ? 皆でね!!」
その笑顔はいつも通りだったが――
アンネリーゼの胸の奥には、ひとつの不安が静かに広がっていた。
なんとなくだが、自分の浄化スキルは使えないのではないか……そんな予感があった。
まだ試していないから、本当に使えないかどうかはわからない。
けれど、見たところこの地は瘴気に覆われているわけではなく――腐敗している。
アンネリーゼの調理器具は、浄化の力を持っている。
だがしかし――腐敗そのものをどうにかする術は、持ち合わせていなかった。
それは、呪いでも毒でもない。
もっと根深く、もっと静かに広がる“崩壊”の気配。
アンネリーゼは一度深く息を吸い、皆に向き直る。
「とりあえず、皆をシルトクレーテの祠の前に集めて頂戴。ここからは――皆の力が必要になるわ!」
「わかった。」
彼女の言葉にうなずくと、三人は静かに部屋を出ていった。
アンネリーゼはその背中を見送りながら、ぽつりと呟く。
「はぁ……何もなきゃいいんだけど……」
その言葉は誰に届くこともなく、ただ空気の中へと、静かに溶けていった。
***
「あら、もう集まってたのね……」
シルトクレーテの祠の前に向かうと、すでにメメント・ムーンの面々と神官たちが集まっていた。
「ここで、メメント・ムーンとメメント・ソレイユの練習をしていたからね」
ディアナが“えらいでしょ?”とでも言いたげに鼻を鳴らす姿を見て、アンネリーゼも思わずその頭を撫でた。
唯一アンネリーゼより年下のディアナ。
アンネリーゼにとって、彼女はすでに“妹”のような存在になっていた。
「えらいじゃない!!……で? メメント・ソレイユってなに?」
皆が集まって練習をしていることは知っていたが、“メメント・ソレイユ”については初耳だった。
アンネリーゼだけでなく、ケルネリウスたちも同じように思ったのか、顔を見合わせて首を傾げる。
「メメント・ムーンは知ってるけど……ソレイユって?」
「太陽のことだろ? でも初めて聞いたな…ムーンが月だから太陽ってことか…?」
「いや、さすがにありきたり過ぎないか?」
それぞれが言いたい放題言っていると、祠から"ゴホン"と咳払いが聞こえる。
「儂がつけたのじゃ。メメント・ソレイユはそこにおる、神官たちにつけた名じゃよ。」
神官たちを見ると、少し恥ずかしそうにしながらも、名を授かったことが嬉しいのか、口元がほんのり緩んでいるのがわかる。
その表情は、まるで子どもが褒められたときのような、素朴な喜びに満ちていた。
(見せ場も全然なかったし…よっぽど嬉しかったのね。前よりも少し顔つきもよくなったようだし…これもシルトクレーテのおかげね。)
シルトクレーテはそんな彼らをちらりと見て、口元をわずかにほころばせる。
「それで……この話はもうええじゃろう。早速、本題に入らんかい。杏菜よ」
その声には、いつもの飄々とした調子の中に、わずかな緊張が混じっていた。
「ふふ……そうね。この匂いの元――あなたも、わかってるんでしょ? シルトクレーテ」
アンネリーゼの問いに、シルトクレーテはしばし沈黙した。
その目は、祠の奥――誰もまだ踏み入れていない闇の中を見つめている。
「…なんとなくじゃがのぉ…。以前清子と旅をしているとき、似たような地を見たことがある。その時は…何もしようがなかったのじゃ。これは言わば死の森。すべてが腐敗し、生きている魔物すらいない地じゃ。」
その言葉を聞いて、全員が息をのんだ。
「そう…なんとなく生き物がいそうな気配がないのはわかっていたわ…。清子さんも無理だったということは…やっぱり浄化も効かないということ…?」
アンネリーゼの言葉にシルトクレーテの返事はなかった。
だが――その沈黙こそが、何よりも雄弁だった。
返事がないということは、つまり“肯定”なのだと、誰もが理解した。
アンネリーゼは、拳をぎゅっと握りしめる。
(やっぱり……浄化じゃ、届かないのね)
彼女の得意とする術が通じない。
そして生き物がいないとなればアンネリーゼのスキルが何一つ役に立たないということ。
それは何よりも悔しく、何よりも恐ろしいことだった。
だが――その悔しさの奥に、ふつふつと湧き上がるものがあった。
(だったら……別の方法を探すしかないわ。成人のお酒は絶対に成功させてみせる!!)
アンネリーゼは顔を上げる。
その瞳には、まだ消えていない光が宿っていた。
「ここは私だけでは解決できそうにない。(お酒のために)皆の力を貸してちょうだい!!」
アンネリーゼの頼みに皆が顔を見合わせる。
今まで誰かを頼ろうとすらしなかった彼女が…こんなふうに素直に助けを求めるなんて――。
その変化に、場の空気がふっと揺れた。
「……お前が“皆の力を貸して”なんて言う日が来るとはな」
ケルネリウスが、驚きと少しの照れを混ぜたような声で呟く。
「ふふ、でも悪いことじゃないと思うわ!強いだけになんでも一人でやっちゃうんだから。」
エリザベッタが肩をすくめながらも、どこか嬉しそうに笑う。
「そうだな。たまには人を頼るのも大事だ。少しは大人になってきたってことなんじゃないか?」
キャスバルが腕を組み、にやりと笑った。
アンネリーゼは、皆の反応に少しだけ頬を赤らめながらも、胸を張って言い切った。
「ありがとう!それじゃあ二ヶ月で何とかしましょう!(成人祝いを絶対成功させるわよ!)」
その言葉に、神官たちも次第に表情を引き締めていく。
“頼られる”ということが、彼らの背中を自然と押していた。
「お酒のためなら何でもするわ!!」
「……お前のことだから、そんなことだろうと思ったよ…。」
「なんて言ったって15年以上ぶりよ!? 飲みたいに決まってるじゃない!!」
「…そうか…(少しは変わったと思ったが…中身はあまり変わらないな。)」
✿いつもお読みいただきありがとうございます(*.ˬ.)"
果樹の都・バックースに到着しましたが、
まさかの 緊急事態 が発生!?
しかしアンネリーゼに「諦める」という選択肢はありません!
バックースの現状は一体どうなっているのか……?
次回、明日 8:10 更新予定です♪
どうぞ、お楽しみに✨




