焦げる匂いに導かれ、今日も食いしん坊聖女は爆走中!
シルトクレーテの甲羅の上を、潮風がまっすぐに抜けていく。
その静かな朝、祠からぽそりと声が落ちた。
「む……この匂い、儂は知っておるぞ……」
結界で瘴気こそ遮られているが、匂いまでは閉じ込められない。
外からは、肉がジューッと焦げる香ばしい匂いが風に混ざって漂ってくる。
「えっ!? シルトクレーテ、このおいしそうな匂いの正体、知ってるの?」
(……瘴気より食い気。まったく、清子が選んだだけあるわい)
シルトクレーテは甲羅の奥で目を細め、遠い記憶をそっと掘り起こす。
――昔、清子とこの火山を巡ったとき。
『そろそろ牛肉が食べたいわね……』
そう呟いた清子の声とともに、まったく同じ“香ばしい匂い”が風に乗ってきたのだ。
「まぁのぉ……じゃが、儂が行ってしまってはつまらんじゃろう。
折角ウルカヌス火山に来たんじゃ。外を見てくるがよい」
言うが早いか、シルトクレーテは甲羅をぐっと揺らし、
火山へ続く道を“強引に”作り出した。
――この世界に魔法は存在しない。
特殊なスキルを持つ者はいるが、それは本当に限られた者だけ。
だからこそ、シルトクレーテがどうやって道を作り、結界を張っているのかは、
アンネリーゼにも分からない。
ただひとつ分かるのは――
彼が「行け」と言えば、道は開くということ。
進路の変化に、聖女たちがざわつき始めた。
「……また何か始まったのね」
「まぁ、アンネリーゼ様だもの」
「それより……今回はどんな魔物かしら」
以前のように怯えたり絶望したりはもうしない。
アンネリーゼと旅を重ねるうちに、皆が逞しくなっていた。
アンネリーゼは立ち上がり、鼻をくんくんと動かす。
焦げた肉の、甘く濃厚な脂の匂い。
これは――完全に“当たり”だ。
「……間違いない! この匂い、絶対においしいやつだわ!!」
そう叫ぶと同時に、甲羅の縁をひらりと飛び越えて外へ降り立った。
(まったく……また勝手に……!)
護衛であるケルネリウスも慌てて追いかける。
甲羅に残った聖女たちは顔を見合わせた。
「……これは断言出来る。」
「うん。そうね!!」
「この匂いだもの。絶対においしいに決まってるわ!」
その言葉が甲羅に木霊する。
シルトクレーテは思わずため息混じりに笑った。
「ハハハ……類は友を呼ぶ、とはよう言うたものじゃのう……」
誰に向けた言葉か。
清子か。アンネリーゼか。それとも――自分自身か。
その答えを知るのは、シルトクレーテ一人だけだった。
「さて……アンネリーゼの力、見せてもらおうかの」
焦げた匂いを含む風が甲羅を撫でていく。
かつて清子と旅した場所で――
彼は今、家族となった少女の背を、静かに見守っていた。
***
「ンヴォォォォォォォーーーーーーーー!!」
地上に降り立つと、火山の熱気と濃い瘴気が全身にまとわりついてきた。
空はどんよりと沈み、雷鳴の気配が空気を震わせる。
(本当に……シルトクレーテの中は結界で守られていたのね)
アンネリーゼは、聖女たちを外に出さなかった判断が正しかったと悟る。
彼女たちは外に出れば、一分と持たず精神を侵されただろう。
「リース、あなたは大丈夫?」
「あぁ……なんとか。でも……空気が重すぎる」
ケルネリウスは腕で口元を覆いながら近づく。
アンネリーゼは平気でも、彼にはかなり堪えているようだった。
その瞬間、魔物が大きな斧を振り上げた。
「危ない!!」
ケルネリウスは斧を受け流そうか迷ったがギリギリ避けた。
(ヴォンッ!!!)
斧が地面に突き刺さり、火花が散った。
「すごい……せっかちな魔物ちゃんね……」
アンネリーゼが魔物へ視線を向けた瞬間――
「えっ!? まさか……牛!? 私、牛!?」
肩ロースのように盛り上がった筋肉。
赤く発光する溶岩の角。
火山岩のような皮膚。
そして鼻から上がる蒸気さえ、香ばしい焼けた肉の匂い。
ケルネリウスは顔をしかめてツッコんだ。
「いや……牛が何かわからねぇけど、お前は牛じゃなくて“大聖女アンネリーゼ”だろ」
しかしアンネリーゼには届かない。
彼女の目はすでに“食材の目”になっていた。
「わ、わ、私ね……あなたに会いたかったのよぉぉぉぉ!!」
恋人に再会したかのようなテンションで飛びつこうとするので、
ケルネリウスは慌てて首根っこを掴んで引き戻す。
「危ないだろ! 知り合いかよ!!」
だがアンネリーゼは涎を垂らしながら叫ぶ。
その涎が地面に落ち、ジュッと弾けた瞬間――なぜか瘴気が一歩だけ後退した。
ケルネリウスはゾッとして思わずつぶやく。
「……おい、魔物よりお前の方が怖いんだが?」
「見てよあのお肉!!
肩ロース! リブロース! サーロイン! ランプ肉!
あの舌なんて分厚くて完璧じゃないの!!
香ばしくてジューシーな匂い……たまらないわぁぁぁ!!」
運命……
お肉……?
「お、おま……それって……? 一目惚れ……なわけねぇよな……」
ケルネリウスは悟った。
(……恋じゃなくて“食材への一目惚れ”かよ……)
アンネリーゼの目はギラギラと輝き、
口元は完全によだれでテカテカしている。
「んふふ。一目惚れ……ねぇ。
確かに一目惚れかもしれないわね!
だって……目の前には、今すごーく食べたかった牛ちゅあんがいるんだもの!!」
彼女は肉たたきを取り出し、ギュッと握り直すと魔物へ向けて構えた。
ぼそぼそと呪文のように呟く。
「あれは……A3ランク……いや……A5ランク……それ以上かもしれない……」
そして、きゅっと目を細め――
「よし……決めた!!」
「んふふふふふ!!!!
貴方の名前は今日から――
焔角魔牛バラモーラ!!
A5ランクっぽい名前でしょ?」
ウィンクまで付けて名付けを宣言するアンネリーゼ。
ケルネリウスは空を仰ぎながら呟いた。
「……そういうことね……」
***
その頃、王都では――
誰一人として剣を抜こうとしなかった。
千人の騎士の半数以上が、ただ沈黙のまま立ち尽くしていた。
「こ、これは王命だぞ! 逆らえば全員処刑に――!」
エルネストの怒鳴り声だけが虚しく広間に響く。
――カラン。
一本の剣が床に落ちた。
それを皮切りに、次々と剣が置かれていく。
誰も声を上げない。
ただひとつの意志だけがあった。
“あの人に剣を向けるくらいなら、剣などいらない”
そして、一人の男が声を上げる。
「俺……もう王都は危ないと思う。妻も心配だし、ラファリエール領に帰る」
他の兵士たちも次々にその声に続いた。
「俺もだ。アンネリーゼ様に現状を知らせないと」
「俺も家族が心配だ。一度帰る」
それぞれが“自分の正しさ”を胸に、王都から去っていく。
エルネストは叫ぶ。
「な、なぜだ!!
なぜ俺についてこない!?
厄災は俺じゃない!
アンネリーゼなんだぞ!!!」
だが――誰も振り返ることなく辺りは静寂に包まれた。
“カラン…カラン”
そして、王城の旗が風もないのに落ちる。
――王都は静かだった。まるで“息をするのをやめた”かのように。
その音だけが、虚しく石畳に吸い込まれていった。
「お前、あまり“惚れた”とか言わない方がいいと思うぞ?」
「えっ!? なんで?」
「なんでって……顔だけはいいんだから、勘違いするやつも出てくるってことだよ。」
「顔だけって失礼ね!? それ以外にもいいところいっぱいあるわよ!!」
「……」
「ちょっと、何か言いなさいよぉぉ!!」
「……(まだまだ子供だな……)」
✿いつもお読みいただきありがとうございます(*.ˬ.)"
次の魔物は、アンネリーゼがずっと食べたがっていた牛ちゃんでした。
A5ランク(?)の牛ちゃん……一体どんな味がするのでしょうか。
次回 21:10 更新予定。どうぞお楽しみに✨




