祠さんの昔話が重すぎる件~動く島の正体は海亀でした~
「儂は、とある聖女と一緒にこの世界を旅したことがあるのじゃ…」
祠の声は、風に溶けるような、柔らかな響きをしていた。
遠い昔、誰かを呼んだときのような――懐かしい気配を含んでいる。
「人間だった頃の記憶は、今でも鮮明に残っておる。名を呼ばれ、手を引かれ、共に食卓を囲んだ日々……。夕暮れの窓辺で湯気の立つ味噌汁を前に笑い合ったこともあった。……それが、いつの間にか終わっておった。」
アンネリーゼは、珍しく口を挟まずに耳を傾けていた。
祠の声に合わせるかのように、周囲の木々がかすかに揺れる。
「目を覚ましたら、儂は海亀になっていたのだ。甲羅は重く、声は届かず、手も足も人の形ではなくなっておった。海の底で目を開けたとき、水の冷たさよりも孤独の方が身に染みた。……それでも死ぬことはなかった。儂の身体が丈夫だったということなのだろう。」
アンネリーゼは息を呑む。
波の音が、どこか遠くで静かに響いていた。
「それから儂は、聖女と出会った。見た目こそ違えど、君に似ていたよ。杏菜……いつも食い意地ばかり張っておった。しかも儂の背中に勝手に乗って、好き放題し始めたのじゃ。……その結果がこれじゃよ」
シルトクレーテの背には畑が広がり、朝露を帯びた葉が揺れ、湖では小魚が跳ね、果樹の香りが潮風に混ざって漂う。
奥には立派な屋敷まで建っている。
「最初はただの畑じゃった。儂の甲羅に彼女が勝手に種を撒いてのぉ。『どうせ暇なんだから育ててみてよ』と言ってな。……儂は魔物じゃぞ? と言っても、まるで聞かんかった。」
祠の声はどこか誇らしげだ。
「しばらくすると芽が出て、花が咲き、実をつけた。彼女は『ほら、やっぱり魔物なんて関係ないじゃない』と言って、その野菜にがぶりと噛みついたのじゃ。」
(……ありがとう! 本当にありがとう!)
アンネリーゼは内心で深々と感謝していた。もちろん、推しの食材を育ててくれたことに対してだ。
悲しい過去の話すら“ご飯の恵み”に変換されるのがアンネリーゼである。
「それから彼女は湖を作り、水を引き、魚を放ち、釜戸を置き、屋敷まで建てた。まるで儂の背中を一つの国にするつもりのようじゃった。儂はただの魔物だったはずなのに……いつの間にか動く住居と化しておった。」
(んふふ……シルトクレーテには悪いけど……食と住が一気に解決!? 最高じゃないの……)
相変わらず現金なアンネリーゼ。もはやシルトクレーテの話は半分くらい頭に入っていない。
「そして旅の終わりが近い頃……彼女は言ったのじゃ。『この背中は、誰かの居場所になる。だから、あなたは生きていて』と。」
祠の声がわずかに震えた。
「それから長い時が流れた。誰も儂を呼ばず、誰も儂の背に乗らず、誰も種を撒かぬまま……。それでも儂は待っておった。あの聖女のように――食を愛し、人を癒す者が、いつかまた現れると。」
(癒す、はちょっと違う気がするけど……食を愛するのは、確かに私ね!)
「そして今ここにおる。栗花落 杏菜よ。お主は、あの聖女に似ておる。……儂の背中は、再び誰かの居場所になれるかもしれん。」
アンネリーゼは祠を見つめ、そっと手を伸ばした。
「ふふ。似てるかどうかはわからないけど……私はあなたを上手に使うすべを知ってるわ! だからこの背中、ちょうだい!」
その手は、かつて種を撒いた聖女の手と重なるようだった。
「ふぉっふぉっふぉ……本当にそっくりだの。よかろう、アンネリーゼ。ただし条件がある。今この海を汚染しておる元凶を倒してきてほしい。それが出来れば認めてやろう!」
海亀がここに来た理由――
それは、聖女の予言と、巨大蛸の瘴気を浄化したアンネリーゼへの確信だった。
「え!? 元凶!? それ倒したら……海鮮食べられる!?」
元凶より海鮮。
これがアンネリーゼである。
「あぁ、恐らく食べられる。元凶の名はサイレーン。先日倒した巨大蛸がおったじゃろう? 本来あ奴は大人しい。だが急に襲った。その理由が……」
「サイレーンね? つまり原因はあいつ!」
「うむ。あ奴は見た目が美しい。日本風にいえば人魚姫かの……だが、美しいのは見た目だけじゃ。声で魔物を魅了し、操る。サイレーン自体は強くないが……周りの魔物が厄介なのじゃ。」
(へぇ…厄介な魔物ねぇ…ってことは最高のご飯が手に入るんじゃないかしら。んふふ。楽しみだわ!)
アンネリーゼの脳内はもう“ご馳走モード”だ。
「わかったわ! おいし……じゃなかった魔物を倒してくるわ! その間、聖女たちはここに乗せておいてちょうだい?」
「よ…よいぞ。」
一人でどんな魔物が出てくるか想像しているアンネリーゼをみてシルトクレーテは少し引きながら返事をした。
***
アンネリーゼが消えて一時間――
ケルネリウスは、エリザベッタとキャスバルから正座で説教を受けていた。
「アンナのことだから大丈夫だと思うけど……見つからなかったらどうするのよ!?」
「そうだぞ! お前は知らないだろうが……イアンとダミアン様は、アンナのことになると怖いんだ!!」
真っ青になる二人。
その気迫にケルネリウスもつられて震えた。
(やばい……本当に怒られる……!!)
その時だった。
「ただいまぁ~~~~!!」
「「「ア、ア、アンナ!?」」」
満面の笑みで手を振るアンネリーゼ。
その後ろから、巨大な“島”が海岸に近づいてくる。
「え!? 島が動いてる!?」
「島って……動くの!?」
「動くわけ……え、動いてるじゃない!!?」
騒ぎ出す聖女たちをよそに、アンネリーゼはさらっと言う。
「魔物討伐に行ってくるわね! ここ荒れるかもしれないから、あなたたち海亀に乗っててちょうだい!」
その一言に、聖女たちは別の意味で悲鳴を上げた。
「「「「う、う、海亀ぇぇぇぇ!?!?」」」」
「そっ! 海亀島のシルトクレーテ! これから仲間になる予定だから、よろしくね!」
ケルネリウス以下、全員がそろって頭を抱えた。
「シルトクレーテって……伝説じゃなかったっけ……?」
誰かの小さなつぶやきは、波音に飲まれて消えていった。
「ま、まさか伝説の海亀に乗ることになるなんてな……」
「ほんとよ。ちょっと目を離したら、必ず何か問題を持って帰ってくるんだから…」
「まぁ、アンナだから仕方ないだろ?」
「そうね……アンナだものね。」
✿いつもお読みいただきありがとうございます。
シルトクレーテ回、いかがでしたでしょうか。
少ししんみりしつつも、アンネリーゼは相変わらずの明るさで駆け抜けてくれます。
次回、アンネリーゼ“美味しい魔物”を求めて再び旅へ――!?
明日 8:10 更新予定です。どうぞお楽しみに✨
「今度こそ、何事もなく進めばいいけどな……」
「無理でしょ。だって――」
「「アンナだものねぇ / アンナだからなぁ」」




