巨大蛸デュオーデキム。
「ウゴォォォォォーーー!!!」
巨大蛸が再び咆哮を上げると、海面が大きく揺れ始めた。
聖女たちは先ほどの騒動もあって、高台からアンネリーゼの姿をじっと見つめている。
すると——
蛸の腕が一本、二本、三本……と海面から顔を出し、その中心から、巨大な頭部がゆっくりと浮上した。
「すごい……足がたくさんあるわね」
「えぇ……あんなものが海の中に隠れていたなんて」
「「「「んふふ。きっとすごく美味しいんでしょうね?」」」」
巨大蛸が姿を現した瞬間、先ほどまでの焦燥感はすっかり消え、聖女たちの表情には高揚感が宿っていた。
アンネリーゼが無事だったという安心感もあるだろう。
だが、それ以上に、これまで幾度となくアンネリーゼの食事に付き合わされてきた経験が、彼女たちに一つの“確信”を与えていた。
——アンネリーゼが倒す魔物は、美味しい。
「んふふ……あなたも、私に食べられたいということね? だったら誠意を込めて、あなたに名前を授けてあげるわ」
「「「え!?今!?」」」
突然の“命名宣言”に、聖女たちは思わず声を揃えてツッコんだ。
しかし、アンネリーゼはお構いなし。
聞こえていないのか、聞いていないフリなのか、いつもの調子で続ける。
「……そうね。デュオーデキム……なんてどうかしら?」
“ウゴォォォー!!”
理解しているのかは定かではないが、その名に反応するように咆哮を上げる巨大蛸——デュオーデキム。
その赤い瞳がほんの少しだけ、柔らかく見えた気がした。
「んふふ……嬉しいのね? じゃあ、さっそく始めましょうか?」
(もしかして……名前をつけると、魔物にも効果があるのかしら)
アンネリーゼは腰の蛸引き包丁に手を添え、片足を後ろに引いて構える。
その視線は、まっすぐにデュオーデキムを見据えていた。
どちらが先に動くか——
緊張の糸が張り詰める中、波のさざめきだけが静かに響く。
アンネリーゼは深く息を吸い込み、吐き出すと同時に走り出した。
海面を駆け抜け、一本の足を踏み台に跳躍。
空中で包丁を刀のように構え、刺身を引くような滑らかな動きで頭部めがけて振り抜く。
その瞬間——
デュオーデキムは咄嗟に別の足を伸ばし、攻撃を避けた。
だが、避けきれなかった一本の足が、見事に切り落とされる。
“ズバァッ!”
「えぇぇぇぇ~!!! 頭を狙ったのにぃぃぃ……さすが足がいっぱいあるだけあるわねぇ!」
そう言いながらも、切り落とされた足が海に沈む瞬間、アンネリーゼはそれを蹴り上げ、海岸にいる聖女たちへと叫んだ。
「これ! おねがーーーーーい!!」
緊迫した空気を、器用にぶち壊すアンネリーゼ。
しかし、彼女に慣れきった聖女たちは動じない。
何も言わずに巨大な足へと駆け寄った。
「大きいわね!!」
「これで一本……って、まだ足もたくさんあるし……」
「んふふ……今夜の料理が楽しみだわ!」
もはや彼女たちの関心は、戦いよりも“食材”に向かっていた。
アンネリーゼは足を蹴り上げたあと、軽やかに着地し、再び包丁を握り直す。
「次こそは、本命よ!」
包丁の刃が陽光を反射し、波間に金色の線を描いた。
その光景を見ながら、ケルネリウスは静かに息を吐く。
(アンナは気づいていないが……以前よりも、浄化の力が確実に強くなっている)
再び、アンネリーゼが駆ける。
その動きは、まるで“命を捌く”儀式のように静かで、無駄がなかった。
海面を踏みしめるたび、光の粒が足元に弾ける。
そして、包丁がひと筋の軌跡を描き——
まるで余分な脂をそぎ落とすように、澄んだ光がデュオーデキムの頭部をなでた。
“シュゥゥゥゥ——”
金属音ではなく、水面を撫でるような音が響く。
次の瞬間、海の濁りがゆっくりと晴れていった。
それは戦いではなく、まるで“浄化の調理”。
罪と瘴気を切り離し、魂だけをきれいに取り出す——そんな一太刀だった。
***
「誰か……助けてくれ……」
「俺たちを……解放してくれ……」
「頼む……」「お願い……」
もう、自分が何者だったのかすら思い出せない。
それでも何十年、何百年もの間、頭の奥には“声”だけが残っていた。
光の届かぬ海の底で、ただ誰かが来るのを待ち続ける。
その時間は、永遠にも似ていた。
——もう、待つのも疲れた。
そう思いかけた、その瞬間。
「あなたの名前は、デュオーデキムよ!!」
まばゆい光が、暗闇を裂いた。
“デュオーデキム”という響きが、深く沈んだ記憶の底を震わせる。
忘れかけていた“自分”という感覚が、静かに蘇る。
“ウゴォォォォーーーーー!!!”
——昔、ここは海の美しい港町だった。
漁師たちの笑い声。
潮風とともに漂う焼き魚の香り。
「おかえり」「ただいま」「また来ようね」
そんな言葉が波に混じっていた。
だが、それが途絶えたのは——ルシフェールがこの地を侵したとき。
(あぁ……そうか。僕は、皆の“悲しみ”の記憶だったんだね)
アンネリーゼに名を呼ばれた瞬間、閉ざされていた感情が、濁流のように押し寄せる。
(これで……やっと、解放される)
そう思ったとき、悲しみよりも、静かな安堵が胸に広がった。
アンネリーゼの包丁が振るわれた瞬間——
光はデュオーデキムの心を包み込み、ゆっくりと浄化していく。
「ありがとう——」
その言葉とともに、無数の光の粒が空へと昇っていった。
アンネリーゼにも、その声は届いていたのだろう。
彼女は微笑みながら、消えていく光に言葉を送る。
「んふふ。最後は私がおいしく食べてあげるから、あなたたちはゆっくり眠りなさい」
その声は、儚げで、どこか誇らしげでもあった
「リース…!わ、私たちを見てくれた人が七千人を超えたみたいよ!!」
「な、な、七千人!? そ、それは……すごいな。」
「でしょ!? これはもう――みんなに魔物料理をご馳走するしかないわね♪」
「いや、だから好みもあるし……普通の料理でいいんじゃないか…?」
「なに言ってるの! 私の料理は“だいたい”好評なんだから大丈夫よ♪それに皆も食べたいはずだもの!!」
(美味いのは確かだが……“だいたい”って言ったよな今……?)
✿ここまで読んでくださってありがとうございます(*.ˬ.)"
次回はいよいよ第一章ラスト回。
パーティーといえば、あれしかない……よね?
明日 8:10 更新予定です。どうぞお楽しみに♪




