魔王、覚醒。
「さて、アンナの所に向かうか。」
ペドロとの戦闘を終え、イアンは剣を腰へ戻した。
先ほどまで戦っていたせいか、まだ身体に熱が残っている。
(久しぶりだな……ここまで血が騒ぐのは)
心を落ち着けようと、深く息を吸った、そのとき──
バサッ……バサッ。
頭上の闇を切り裂くような、重い羽ばたきの音が響いた。
(……なんだ?)
見上げた空は、さっきよりもさらに暗く沈んでいる。
その中を、ひらひらと黒い羽が舞い落ちてきた。
まるで、何かから“千切れ落ちた”かのようだ。
(羽根か……)
落ちてきた一枚を、そっと手に取る。
「見ツ……けたゾ……」
頭上から、低く濁った声が響いた。
その声音は、もはや人とは呼べない。
「ふっ……まさか、君から来てくれるとはね。エルネスト。」
ほんの一瞬だけ、イアンは笑った。
だが次の刹那、
その笑みは音もなく消える。
全身の血が逆流するような寒気が、イアンの背筋を貫いた。
「オ前……ダレ、ダ……?」
人の関節ではありえない角度で、カクンと首を傾げる。
「あぁ……私のことは忘れてしまったのかい?
一応、君の元婚約者――アンネリーゼの兄なんだけどね。」
「アン、ねりーゼ……?」
その名を聞いた瞬間、赤い瞳がきらりと光った。
空気そのものが凍りつくように冷え込む。
イアンの心臓が、ドクン、と脈打つ。
(これは……まずいな)
先ほどしまった剣を、ゆっくりと腰から引き抜く。
どこから攻撃が来てもいいように、自然と構えが整った。
(あれは……今まで戦ってきた相手よりも強いな……。
一人で倒せるか……いや、倒せるか倒せないか、じゃない)
イアンの目が、静かに細められる。
殺気が、空気を震わせた。
「……アンネリーゼに手を出すなら、兄の俺が相手だ。」
膝に力を込め、腰を落とすと――
イアンは一気に地を蹴った。
風を裂く勢いで、エルネストの懐へと踏み込む。
その踏み込みも、体の使い方も、
まるでアンネリーゼが戦う時と、そっくりだ。
下から上へ剣を振り抜き、
その勢いのまま高く放り投げる。
イアンは滑るように足を運び、体勢を崩したエルネストを押し倒した。
ズドォォォーーン!
すかさず高く跳躍し、空中で剣を掴む。
そのまま、エルネストの胸元へ突き刺した――
――はずだった。
パリィィィンッ!
刃は肉を裂くことなく、
まるで岩に叩きつけられたかのように、ひび割れ――折れた。
「……鋼かよ。」
イアンの呟きは、あまりにも冷たく、空気に落ちた。
――その瞬間。
視界が、ふっと揺らぐ。
イアンが反応するより早く、
エルネストの拳が頬にめり込んだ。
ドォォォンッ!!
凄まじい衝撃が頭を突き抜け、
身体は投げ出されたボールのように吹き飛ぶ。
壁を一枚、二枚、三枚……
次々とぶち破り――ようやく止まった。
「っ……ぐ……っ」
肺の奥の空気が押し潰され、喉が震える。
(これは……ペドロの数倍どころじゃないな……!)
「ゲホッ……ゲホッ! ゲホッ!!」
口元から、赤い血がたらりと落ちた。
――重い。
――痛い。
――速い。
たった一撃で、格の違いを嫌というほど思い知らされる。
首を必死に上へ向けると――
先ほどよりもさらに冷たい気配をまとったエルネストが、こちらを見下ろしていた。
角は“メリメリ”と音を立て、竜の爪のように湾曲し、
黒い鱗めいた紋様が浮かび上がっていく。
黒く変色した顔にはヒビが走り、
その割れ目から赤黒い光が滲み出ていた。
(っ……なんて、威圧……!?)
角が伸びるたび、
空気そのものが押し潰されるように沈み込む。
「……ッハ……ハァッ……」
肺に圧が重くのしかかる。
完全に伸び切った角は、
すでに“人間の頭では支えきれない”ほど巨大だった。
夜の闇を切り裂くように鋭く――
まるで本物のドラゴン……いや、
魔王そのもの。
「……これは……もう、エルネストじゃないな……」
喉が、自然と鳴る。
目の前に立つのは、
もはや“人”の名残さえない存在――
魔王へと堕ちきった姿。
「フッフッフ……ハハハハハハハ!!
この時を――待っておったぞォ!!」
先ほどまでの片言は、完全に消えていた。
声も、目も、立ち姿さえも、
エルネストの面影は一切残っていない。
「……お前は、本当にエルネストか……?」
問いかけに、“それ”はゆっくりと首を傾げる。
「ふむ。そう呼ぶ者もいたな。
だが――お前には、こちらの名の方が馴染み深いのではないか?」
赤黒く輝く瞳が、イアンを射抜いた。
「ヴァルドリク・ルシフェール……とな。」
その名を聞いた瞬間、
イアンは息を呑んだまま目を見開く。
「ヴァ、ヴァルドリク……だと……!?」
次の刹那、瞳が鋭く細まり、
目の前の魔王を真正面から睨みつけた。
胸の奥――
決して思い出してはならなかった“前世の闇”が、
ざらり、と音を立てて逆巻く。
「久しいな――レオポルド。」
その一言が、内側で何かを切り裂いた。
前世の名を呼ばれた瞬間、
心臓がひときわ強く脈打つ。
「まさか、この世界でも再び相まみえるとはな。
ハッハッハッハッハ!!」
魔王の笑い声が、壊れた王城に響き渡る。
その瞬間――
ピシャァァァァァァッ!!
ゴロゴロゴロ……!!
黒雲が裂け、雷撃が一直線に降り注いだ。
「ヴァルドリクゥゥゥゥゥウ!!!!」
叫びとともに、イアンは折れた剣を投げ捨て、地を蹴る。
キィィン――
空気と金属が擦れ合うような音が鳴り響いた。
そこに、冷静なイアンはいない。
残っているのは、純粋な怒りと――
“レオポルド”としての記憶だけ。
次の瞬間――
怒りをすべて乗せた拳が、魔王の顔面へ放たれる。
――放たれる、はずだった。
「レオポルドよ……お前は昔から変わらんな。」
乾いた声が、耳元で響いた。
ヴァルドリクの手が、
羽虫を払うかのように、拳を受け止める。
「なっ……」
「頭より先に手が出る。
……だから“私に”負けたのだ。ハッハッハ!!」
そのまま、軽々と身体を持ち上げ――投げ飛ばした。
ドォン!
ガァン!!
ドォォォンッ!!!
天井、柱、床――
身体は何度も弾かれ、瓦礫とともに叩きつけられる。
肺から空気が押し出され、
視界が白く弾けた。
「……っぐ……は……っ」
(私は……今回も……負けるのか……)
指先が震える。
それでも、床を叩いた。
(……いや。考えろ。
約束したんだ。必ず、アレットのもとへ……)
壁に手をつき、ふらつきながら立ち上がろうとした――
その瞬間。
キラリ、と視界の端で光が走る。
「よっ。ボロボロじゃないか、イアン。」
「……ケ、ルネリウス……か……」
崩れ落ちそうな身体を、ケルネリウスが受け止めた。
「そこまでやった。あとは俺が代わる。」
「……た、のむ……」
そう言い残し、イアンは目を閉じる。
「フハハハハハハハ!!
やはり貴様は私の敵ではなかったな、レオポルド!」
魔王の視線が、ケルネリウスへ移る。
「次はお前か。羽虫め……」
ケルネリウスは鼻で笑った。
「ふっ……羽虫?
羽虫は……お前だろうが、エルネスト。
その翼、羽虫そっくりだぞ?」
フレア・レメディアを抜いた瞬間――
空気が、ビリ、と震えた。
「……それを、抜くか。」
ケルネリウスは口角を上げる。
「さぁ、戦おうか――羽虫。」
その笑みは挑発でも余裕でもない。
むしろ――
目の前の魔王すら霞むほど、
ケルネリウスは、魔王じみていた。
「ちょっと、私の出番あるって言ったのになかったじゃない。」
「すみません……次こそは……」
「これじゃあ食いしん坊聖女じゃなくて食いしん坊イアンよ?」
「いや、それは違うかと……。それに、主役は遅れてやってくるものですよ。」
「ふふ……主、役……それなら仕方ないわね。」
「あ、それは納得してくれるんだ……」
✿いつもアンネリーゼを応援いただきありがとうございます(*.ˬ.)"
今回こそはと思っていたのですが……アンネリーゼ出れず……。
次回21:10更新予定です♪
どうぞ、お楽しみに✨




