イアン、王の剣を振るう時。
「うっ……苦しいわね……。まるで、初めてプロセルピナ神殿に着いた時みたい……」
同じ頃――。
王都の片隅にある小さな神殿の中では、瘴気にやられた聖女たちと、逃げ遅れた人々が肩を寄せ合っていた。
(ダミアンの話によると、全員逃げたということだったが……邪魔になりそうな者だけ置いていった、というところか)
ラケルは、残っている人々を見渡し、ため息を吐く。
乳飲み子を抱えた母親。
足の悪い老人。
魔物に両親を奪われたであろう、泣きじゃくる子ども。
「よく魔人化しなかったものだ……。恐らく、早い段階でここに避難したことが幸いしたか」
外よりも、少し清浄に感じる空気。
そのおかげか、聖女たちも楽になってきたのか、呼吸が少しずつ落ち着いてきているのが見えた。
そんな時――。
ラケルは、アンネリーゼに言われた言葉を思い出した。
『ラケル、オリザールス。あなたたちは、聖女たちと一緒に行動してちょうだい』
『なぜ、我々があ奴らと行動を共にせねばならん……』
『お願いよ? あなたたちにしか頼めないの。それでね……もし誰かが体調を崩したり、動けなくなったら、これを食べてって渡してほしいの』
そう言って渡された、大きな風呂敷。
解けば、中にはぎっしりと――。
『アンネリーゼ特製ハンバーガーよ!! とろっと絡むソースに、ふわふわのパン……えへへ……あ、違う違う! 皆のために作ったの! これを食べれば、この瘴気の中でも、多少は動けるはずだから。頼んだわよ?』
(……本当は、自分も食べたかったんだろうな)
ラケルは、あの時のアンネリーゼの、どこか悲しそうな笑顔を思い出し、首を横に振った。
(いかん、いかん。あ奴の笑顔に持っていかれるところだった)
近くにいた聖女の一人に声をかける。
「おい、お前!! これを食べるように言え!!」
アンネリーゼに持たされた風呂敷を、一人の聖女に渡す。
中身を確認した彼女は、理解したのか、ぱっと表情を明るくした。
「ラケル様、ありがとうございます! すぐ、皆に配りますね!!」
ほどなくして、神殿中にパンの温かい香りが広がった。
「……はむっ……なに、これ……おいしい……」
「アンネリーゼ様が作ったものよ! ほら、まだあるから!」
「アンネリーゼって……厄災とか言われてる、あの……?」
怯えていた人々の顔に、ほんの少し、血の気が戻る。
だが、次の瞬間――。
聖女たちが、勢いよく叫び出した。
「厄災!? そんなわけないでしょ! あの方は、すっっごい方なのよ!!」
「武勇伝を聞きなさい!!」
しかし語られる武勇伝はすべて、
魔物を倒し、美味しくいただく話ばかりだった。
(……いや、それは逆効果だろう……)
「た、倒して……食べる……?」
と青ざめる領民たちを見て、ラケルは心底、同情した。
それでも――。
温かい食事。
人の声。
人の気配。
それらが、少しずつ神殿の空気を変えていく。
(時代が変わっても……良いものだな。人の笑顔というものは)
ラケルは微かに笑みを浮かべ――
ふと、昔のアゼール領を思い出した。
***
ドスンッ!!
「いたた……。まったく、我が妹ながら人使いが荒いな」
まさか床を破壊され、下の階に落とされるとは思っていなかったイアンは、腰をさすりながら、ゆっくりと立ち上がる。
そして、目の前に立つ影を見て、ふっと目を細めた。
「お、お前ハ……」
「やぁ、久しぶりだね、ペドロ。
いつかの夜会で会ったきりだったかな。
君たちの弟妹には――我が妹が、随分とお世話になっているよ」
イアンが軽く手を払うと、床に散った瓦礫が、からからと転がる。
向かいでは、魔人となったペドロが、ギリ、と牙を剥き、背中には黒い羽根が生えていた。
(もう、人ではないな……)
「イ、イあん……。お、お前ダけハ……許さなイ……!」
なぜ自分だけ狙われているのか、イアンは首を傾げ――
ふと、何かを思い出した。
「あぁ……もしかして、アレットのことかい?」
アレットは、アンネリーゼと神殿に入る前、伯爵家の令嬢として社交界に顔を出していた。
その頃、しつこく言い寄っていたのが――ペドロだ。
(つくづく……アンナと言い、アレットと言い……ゴモリー家とは因縁しかないな)
イアンが呆れたように息を吐くと、その仕草が癪に障ったらしい。
「バカにしやガッてぇぇえええ!!」
怒号とともに、ペドロが剣を振りかざして突っ込んでくる。
「うおっと……。そんな乱暴に振り回したら危ないじゃないか。
騎士団で、君は何も教わらなかったのか?」
すれすれを斬り抜ける剣を、イアンはひらりと身を傾けてかわす。
その顔色は変わらず、冷静そのものだった。
さらに何度も斬りかかってくるが、イアンは軽いステップで避け続ける。
(……本当に、怒り任せだな)
それが、さらにペドロの癇に障ったらしい。
「い”ア”あ”ァ”ぁ“ァ”ぁ“ァ”ァ”ァ”ぁ“ァ”ぁ“ーーーーーーん”!!」
叫び声とともに、ペドロは黒い翼をバサバサと広げ、獣じみた動きで空へと舞い上がった。
そして旋回しながら、渦を巻くような速度で、イアンめがけて急降下する。
ドッカァァァン!!
床を破壊したアンネリーゼのせいで建物は脆く、城壁ごと吹き飛び、真っ暗な空が覗いた。
「ふッ……はーハッはっハっ!! ざまぁ見ろ!!」
瓦礫の山の上で、勝ち誇るペドロ。
崩れた壁から吹き込む夜風が、魔人の黒い翼を揺らす。
だが――。
「いやぁ……大振りにもほどがあるだろう?
君、戦いというものを、もう少し学んだ方がいいね」
瓦礫を払いながら、イアンが静かに姿を現した。
傷一つないわけではないが、その歩みに乱れはない。
「ナ、な、ナ……ナぜ……生キていル……」
「なぜって?
それは僕が……アンナの兄で、アレットの婚約者だからかな」
その言葉とともに、イアンは腰の剣を、ゆっくりと引き抜いた。
アンネリーゼが浄化した剣。
刃先から白い光が、細く立ちのぼり、空気が澄んだように震える。
次の瞬間、イアンの声が、わずかに低く落ちた。
「……さて――ここからは、私の番でいいかな?」
バサッ、と見えない風が吹いたように、空気が一段、冷たく張りつめる。
「ア”ァぁ”ぁァ”ぁぁ”ぁァア”ァぁ”ぁァ”ぁぁ”ぁァ」
ペドロは咆哮を上げると、再び空高く舞い上がり、バサッと羽根を広げた。
すると――。
黒い羽根が、矢のように一直線にイアンの方へ飛んでいく。
数にして、百を超えるだろうか。
一つでも当たれば、死んでもおかしくはない速度だ。
だが、イアンは足を止めることなく、ペドロへ向かって歩いていく。
「そんな玩具で、僕が倒せると思うかい?」
頬をかすめた黒い翼が、細く赤い線を描いた。
一瞬、熱を伴う痛みが走る。
だが、イアンは瞬き一つせず、目の前の敵を見据えた。
「ア”ア”ァ”ァ”ぁァ”ア”ァァ!!」
ペドロは叫びながら、上空から急降下する。
城壁ごと、イアンを押し潰すつもりのようだ。
だが、その瞬間――。
イアンの足元で、光が弾けた。
キィンッ。
浄化の剣が、空気を切り裂きながら真横へ振り抜かれる。
目に映ったのは、“白い線”だけ。
遅れて、空を飛んでいた黒い翼たちが、
ぱらぱらと、花びらのように落ちてきた。
「な……ッ!?」
ペドロの目が見開かれる。
自身の翼の何枚かが、根元から断たれていた。
「遅い……。そんな攻撃で、私は殺せないよ」
イアンは、ゆっくりと剣を構え直す。
「できれば、あまり乱暴な真似はしたくないんだけれど……」
足が床を蹴る。
その瞬間、世界が音を失った。
一歩。
踏み込んだ瞬間、イアンの姿は、すでにペドロの懐へ滑り込んでいた。
「私の大切な婚約者と妹に手を出す者を前にして、
遠慮などすると思うかい?」
白い光が、弧を描いた。
次の瞬間――。
ドガァァァンッ!!
床ごと衝撃が走り、ペドロの身体が大きく後方へ弾き飛ばされる。
崩れた壁に叩きつけられ、石が砕け散った。
イアンは剣を下ろし、静かに息を吐く。
「さぁ……まだ続けるかい?
それとも――ここで終わりにするか?」
その声は穏やかだが、拒絶を許さない強さを持っていた。
「な、なゼ……。こノ僕が……な、なゼ……お前ばかリ……
アレッとは、僕ノ物ナのニ……」
ペドロの瞳は震え、
ついさっきまで獣のように吠えていた喉が、恐怖で、ひゅ、と小さな音を漏らした。
「なぜって……まだ分からないのか?
アレットは物じゃない。
好きだったのなら、もっと違う方法があっただろう」
イアンの眉が、わずかに震える。
(あの時のアレットは……本当に、泣いていた)
アレットが、社交界の花と呼ばれていた頃――。
ペドロは彼女を“自分のもの”にしようとして、
ゴロツキを使い、誘拐を企てた。
イアンが気づいたことで事なきを得たが……
そのせいで、アレットは傷物と扱われ、神殿に入らざるを得なくなった。
(表向きは、アンネリーゼの付き添い……
そんな建前で、隠すしかなかった。)
「すべては、お前が蒔いた種だ。
そんなお前に、私が負けるはずがないだろう?」
イアンが見下ろすその姿は、
まさに――“王”そのものだった。
「ま、ま、待っテくレ……。た、頼ム……。た、助けテくれ……」
じりじりと後ずさるペドロへ、イアンは一歩ずつ近づいていく。
ペドロの指先が、何かを掴もうとするように宙を彷徨った。
そして――。
次の瞬間、イアンは、ペドロめがけて剣を突き立てた。
「……終わりにしようか、ペドロ」
その言葉とともにペドロは靄となって空へと消えていった。
✿いつもアンネリーゼを応援いただきありがとうございます(*.ˬ.)"
今回はイアンお兄様の回でした。
さすがアンネリーゼの兄だけありますね(笑)
無茶苦茶度でいけば、アンネリーゼの方が上ですが……
次回、21:10更新予定です♪
どうぞ、お楽しみに✨
「私の出番は!?」
「頼む。もう少し大人しくしていてくれ……」




