第十九話:目で追うキミ
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夜の酒場は、以前よりも騒がしかった。
客が増えたわけではない。
声が大きくなっただけだ。
戦の噂が巡る。
白の噂が混じる。
遠い戦場で、異様な戦果を挙げている何かの話。
名前は、まだ定まっていない。
この酒場は、
かつて踊り子がいた場所ではない。
それでも噂だけは、
勝手に辿り着く。
派手な外套の男が肘をついた。
杯の中身は、すでに半分ほど減っている。
「最近の白、聞いたか」
サリド・ヤンは、
思い出した話題を投げるような調子だった。
向かいの席の男は、杯を傾けたまま沈黙している。
ライアス・カッファは、反応を外に出さない。
短い間が置かれた。
「戦場が終わるって話だ」
サリドは肩をすくめる。
面白がりはするが、深める気はない。
ライアスは低く息を吐いた。
「……噂だろ」
声は落ち着いている。
言い切らないことで、温度を下げる。
「まあな」
サリドはすぐに頷いた。
否定されたこと自体は、どうでもいいらしい。
視線が、店の中央へ流れる。
自然と人が集まり、
自然と空いてしまう場所。
「前にも言っただろ」
言い方は、確認に近い。
「踊り子の話」
ライアスは杯を口に運ぶ。
動作は一定で、間も崩れない。
「……ああ」
「あれも、そのまんまだな」
サリドは気楽に言う。
すでに咀嚼し終えた話題を、軽くなぞるだけだ。
「最近、見ねぇし」
サリドは杯を回しながら続ける。
「でもさ」
少しだけ間を置く。
「白の動きと、踊り子の舞」
言葉を探すように、間を挟む。
「言われてみると、
なんか通じるもんがあるだろ」
軽い調子だった。
噂話に、もっともらしい理由を足すだけの声だ。
「だからさ」
サリドは肩をすくめる。
「恋仲って話も、
案外それっぽく聞こえる」
笑いを含んだ言い方だった。
深く考えてはいない。
ライアスは、答えなかった。
否定もしない。
肯定もしない。
杯の中を見つめたまま、
言葉だけを受け取る。
――確かに。
思考になる前の、
ただの反射だった。
二つの像が、
頭の中で触れかける。
重ねるという行為そのものが、
不快だった。
理由を探す前に、
ライアスは思考を切る。
考える必要はない。
そう判断した。
戦場で見る白は、
大きすぎて、遠すぎて、
人の形をしていない。
あれは、兵器だ。
「ま、噂なんてそんなもんだ」
サリドは肩をすくめる。
「流れてきて、
勝手に形が決まる」
ライアスは答えなかった。
ただ一度だけ、
酒場の中央を見る。
すぐに視線を逸らす。
白は、守るものではない。
白は、使われるものだ。
そういう世界だ。
だから。
踊り子が、
その白に守られているという噂も、
ただの噂で、それ以上ではない。
酒場の灯は、今日も揺れている。
だが、その中心に、
あの姿はない。
その事実だけが、
小さく胸に残ったまま――
夜は、何事もなく更けていった。




