第十三話:免罪符
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酒場は、静まり返っていた。
壁は崩れ、
床には割れた瓶と瓦礫が散らばり、
乾ききらない血の跡が、無造作に残されている。
朝の光が、容赦なくそれを照らしていた。
そこに立っているのは、
白い鎧ではない。
剣も持たず、
華奢な身体を外套で包んだ、
ひとりの踊り子だった。
サダオミは、崩れたカウンターの前で、
ただ立ち尽くしていた。
守れなかった。
その事実だけが、
胸の奥に沈んでいる。
不殺は、守った。
誓いも、破っていない。
それでも――
ここは、壊れた。
足音がした。
振り向かなくても分かる。
常連の一人だ。
無駄のない歩き方。
気配が、重い。
背後から、落ち着いた声がした。
「……無理に、声をかけるつもりはなかった」
ライアス・カッファだった。
一拍、間を置いて続ける。
放っておくのも、違う気がした。
そう判断しただけだ。
サダオミは、答えなかった。
一瞬、
ひとりにしてほしいと思う。
だが、
その感情はすぐに揺らぐ。
この人は、知っている。
戦場を。
取り返しのつかない選択を。
そういう人間の気配が、あった。
振り向かないまま、
丁寧に声を返す。
「……お気遣い、ありがとうございます」
言葉を選びながら、続ける。
今は、少し――
そう言いかけたところで、
ライアスが静かに口を挟んだ。
遮る意図はない。
事実を置くだけの声音だった。
無理に元気づけるつもりはない。
立っていられなくなる前に、
誰かが、ここにいた方がいいと思った。
その言葉に、
サダオミの肩が、わずかに揺れた。
しばらくして、
低い声が落ちる。
大事なものを守るために。
人を殺さなければならない時が、
あると思いますか。
ライアスは、すぐには答えなかった。
だが、
驚きも、戸惑いもない。
短く、はっきりと言う。
ある。
続く言葉を、
サダオミは探す。
その手段を持っていて。
それを選ばないのは――
守るべきものを、
見殺しにするのと、
同じでしょうか。
瓦礫の隙間を、風が抜ける。
少しの沈黙のあと、
ライアスは断言した。
同じだ。
経験に裏打ちされた声だった。
守るために、殺した。
殺させないために、殺した。
誇りも、後悔も、
そこにはなかった。
選ばなかった結果、
失ったものもある。
視線が、瓦礫を一度だけなぞる。
だが。
選ばなかったことを、
正しかったと思えたことはない。
サダオミは、何も言わなかった。
ただ、その言葉を、
深く受け止めている。
小さく頭を下げる。
重いことを、聞いてしまって。
そう詫びると、
ライアスは踵を返した。
構わん。
答えを出すのは、
お前自身だ。
足音が、遠ざかる。
酒場に残ったのは、
瓦礫と、
踊り子ひとり。
サダオミは、崩れた床に座り込む。
問いを、繰り返す。
不殺は、間違いだったのか。
誓いは、驕りだったのか。
否定する。
否定し続ける。
それでも――
最後に残るのは、
あの言葉だった。
同じだ。
ゆっくりと、顔を上げる。
選ばないことも、選択だ。
ならば――
俺が、選ぶ。
誰にも聞こえない声で、呟く。
殺させないために。
俺が、殺す。
それは、誓いを捨てた宣言ではない。
誓いを抱えたまま、
地獄へ進むという選択だった。
瓦礫の酒場に、
答えだけが残る。
白い鎧は、まだ呼ばれていない。
だが――
次にそれを纏う時、
その内側は、
もう戻れない場所に立っている。




