第十一話:白の初陣
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夜明け前の川原は、静かだった。
水面がわずかに揺れ、
草が風に撫でられている。
サダオミは、白い鎧の前に膝をつき、
布で最後の仕上げをしていた。
磨く。
白が戻る。
光が均される。
胸部。
肩。
脚部。
胸甲の中央あたりに、自分の頭が来る。
それほどに、この鎧は巨大だ。
本来なら、
視界も、手足の位置も、
まともに合うはずがない。
だが――
なぜか、動く。
なぜか、見える。
天使の仕業だ。
いい加減で、都合のいい奇跡。
サダオミは、鎧の脇に差した刀を確かめる。
大太刀。
いつもなら背負っていたものだ。
だが、この鎧では無理だった。
物理的に、届かない。
背中が遠すぎる。
「……仕方ないな」
呟き、位置を直す。
腰の横。
脇差のように。
違和感はある。
だが、扱えないほどじゃない。
◇
深く息を吸う。
「……行くか」
短く呟き、
その場で白い鎧を装着した。
外装が身体を覆う。
視界が狭まり、
音が遠のき、
感覚が一点に収束する。
白。
巨大。
無言。
――これでいい。
◇
街道に近づく手前で、
人の気配を感じ、
白い鎧を空間へ沈めた。
重量が消え、
世界が一気に近づく。
簡素な衣服のまま街へ入り、
門前で、再び鎧を呼び出す。
白い影が、朝靄の中に立ち上がった。
朝番の兵が、欠伸混じりに顔を上げ――
次の瞬間、言葉を失う。
「……なんだ、あれ」
でかい。
異常だ。
鎧の胸部に人影が埋もれている。
頭部からは、顔が見えない。
白い兜が、わずかに傾く。
「兵志願」
短い。
目的だけの声。
◇
兵舎の奥。
即席の試験場。
志願兵が、数名並んでいた。
剣士。
槍兵。
弓兵。
その中に、
白い鎧が立つ。
誰も話しかけない。
誰も近づかない。
試験官が、鎧を見上げた。
「……名は」
一拍。
「不要」
試験官は、説明をやめた。
理解できないものを前に、
人は判断を保留する。
「――模擬戦だ。
刃は使うな」
相手は、槍兵だった。
◇
踏み込む。
――間合いが、ズレる。
巨躯の感覚が、
まだ身体に馴染んでいない。
槍が来る。
速い。
正確だ。
だが。
白い鎧は、
一歩、外へ。
踏み込まない。
踏み込まないのに、
踏み込みの気配だけが残る。
次の瞬間、
槍兵の視界から、白が消えた。
気づいた時には、
床に転がっている。
誰も、
何が起きたのかわからなかった。
槍兵は、生きている。
怪我もない。
だが、
立ち上がれない。
◇
沈黙。
合格だ。
文句のつけようがない。
だが――
拍手はなかった。
試験官が、低く言う。
「……前に出ろ」
それだけだ。
後ろには置けない。
横にも置けない。
使うなら、
前だ。
◇
初陣は、賊の討伐だった。
街道沿いに根を張った、
小規模な集団。
白い鎧は、前に出る。
剣は、抜かない。
いや――
抜いているのが、見えないだけだ。
踏み込む。
――遅い。
酒場の感覚が、残っている。
人を殺さない間合い。
制する距離。
一人、
逃げる影。
本来なら、
斬れていた。
だが。
斬らなかった。
殺さなかった。
判断が、
わずかに遅れた。
賊は、散った。
一人を除いて。
白い鎧は、追わなかった。
任務は、達成されている。
それでいい。
それでいいはずだった。
◇
兵たちは、白い鎧を遠巻きに見ていた。
声をかけない。
近づかない。
誰も、
顔を見ようとしない。
見えないものは、
想像で膨らむ。
想像は、
畏怖に変わる。
◇
夜。
サダオミは、再び川原にいた。
鎧を外し、
布で磨く。
昼とは違う静けさ。
風が、優しい。
「……まだだな」
呟く。
間合い。
癖。
判断。
全部、修正が必要だ。
あの一人。
逃がした影。
殺せば、防げた。
殺さなければ、
何かが起きる。
その答えを、
まだ、受け取れていない。
◇
酒場の灯は、
今も街を照らしているだろう。
人は集まり、
期待も、噂も残っている。
――だが。
そこに、自分はいない。
白い鎧の胸部を、そっと撫でる。
磨かれた白が、月を映す。
その光は、
もう、誰のものでもなかった。
サダオミは、立ち上がる。
殺さなかった。
それでも、任務は終わった。
それでいいはずだった。
――それで、いいはずだった。
白い影は、
静かに闇へ溶けていった。




